水色メイドのお気に入り。
メイドさんがいまさら出てきたりして。
一体何の用でしょう。
コートを脱がせ、ベッドの上の毛布をかき集めるようにして由良を包んだ。薄着過ぎる彼女が気になってしまう。扇情的とは言いがたいが、目のやり場に困るのも確かだった。
「ユーフューズが君のクラスメートって・・・どういう事?確かに君たちは同じ年齢だけど、クラスっていうのは、まさか、君の語学学校の?」
由良は頷いた。ゆっくりとセイラの肩に頭を預けるように重心を傾けて、甘えるようにくっついた。由良の上半身を抱くように回しているセイラの腕に、自分の手を重ねる。
「パブに彼が現れた夜、ユーフューズは変装してたでしょ。あの格好で、通ってきてるの。学校に行ったことがなかったから、通ってみたかったんだって。」
そう言うと、セイラはどこか遠い目をして空中を見つめた。彼にも、その気持ちに覚えがあるのだろう。セイラも、学校に通ったことは無いと言っていたから。
「もしかして、お昼に遅れてくるのは・・・彼のせいなの?」
「・・・彼のせいっていうか。なんか、学校での彼は変装してるから安心しちゃっててガードが甘い気がするの。ボディガードはつけてるって言うんだけど、どうみてもそんな様子がなくて。だから、何かあったら、って思うと心配で、誰か侯爵家の人が学校へ来るまではなんか放って置けなくて。」
「君がそんなこと気にする必要ない。侯爵家のことは彼らでやる。君は何もしなくていいんだ。君をあんな目に合わせて、君に守ってもらおうなんて虫が良すぎる。」
「うん、さすがに今日はそう思ったよ。だから、口止めされてたけど貴方に喋っちゃった。・・・でも、貴方にばれると、彼はもう学校へ通わせてもらえなくなるって言ってた。どうしてなの?」
「そうだね。一応理由はある。・・・君が僕と婚約してくれたらそのわけを話してもいい。」
「ま、またその話なの?どうしてそんなこと言うの。わ、私はまだ・・・。」
「わかってる。君はまだ若いから、結婚の話なんて考えられないだろうと思う。それはよくわかっているつもりだよ。・・・ただ、僕と一生つきあってくれる覚悟がないなら話すわけにはいかないんだ。わかるかい?」
そこまで言われると、由良は沈黙するしかない。
・・・セイラと一生・・・一緒にいる・・・
それが嫌なわけではない。むしろ望むところだと思う。この優しい人に一生寄り添ってもらえるなんて、夢のような話だ。現実味を感じられないほどに。そう思うと、先ほどの診断結果が途端に現実味を帯びて生々しく感じられるのだ。自分が妊娠しているかもしれない。この人の子供が自分の体内にいるかもしれない。もし本当にそうなら、どんな子供が生まれるのだろう。セイラのように金髪碧眼なのか、それとも自分よりに日本人らしく黒髪で茶色の瞳なのか。男子なのか女子なのか、そんなことまでも妄想してしまう。なんだかサワタリ家の五つ子が懐かしくなってしまった。あんな風に自由に元気に育つだろうか。
それからふと現実に返るのだ。自分は今日のように暴走する恐れのある心身障害を持っている。それで子供を産んだり育てたりなどしていいのだろうか。そんな不完全な自分が、セイラのような完璧な人と一緒になっていいのだろうか。
何も、ユーフューズが言っていた彼の縁談相手のお姫様でなくちゃいけないわけではない、としても。せめて普通で健康でまともな女性であるくらいの条件はクリアしているべきだと思うのだ。たとえば、愛子のような。身元がしっかりしていて、頭も良く外務省に入ったエリートで美人。そう、お姫様でなくても、愛子のような女性なら彼に相応しいといえるだろう。彼女はセイラに夢中だ。由良がいなければ速攻で彼に押して行くくらいの行動力もあるだろう。鈍い由良にもそのくらいの事は察することが出来た。
セイラが由良を思ってくれているのは痛いほどわかっている。
それでも、それに甘えていいのかどうかはいまだにわからないでいる。彼とはつり合わないことを常日頃から意識している由良に取っては、婚約だの結婚だのという重い話は、簡単に決めていいことではない。
セイラは長い髪を軽くかき上げてから、もう一度両手で由良を抱きしめる。急に沈黙してしまった彼女を慰めるように。
「婚約してくれたら、ユーフューズに招待されている婚約披露パーティに、君をエスコートして出席できるんだけどな。」
誘うような流し目で由良に問いかける。
「・・・!」
侯爵様がいつか言っていた、例のパーティの話がセイラの口から出て思わず顔を上げる。
パーティとかエスコートとか、いかにも由良には理解不能な横文字だった。勿論言葉の意味は知っているが、彼女には無理なシチュエーションだと言う意味で、理解不能なのだ。
しかし、パーティとはいえ、兄弟が会う機会でもある。
今日の事もあるし、さっさと会って仲直りしてもらいたいという気持ちがあった。
「・・・もう少し、考える。」
「いいんだよ、いくらでも考えて。急がなくてもいいんだ。」
顔をセイラの胸に埋める。彼の背中に手を回してぎゅっと手に力を込めた。
学校を出た時間はいつもより早かった。これなら今日はランチタイムに間に合うだろうか。いくら愛子が手伝ってくれるとはいっても、いつまでもそれに頼ってはいけない。
もう少しゲームに付き合うようにテオやエリーに言われ後ろ髪を引かれつつも荷物を抱えて通りへ走り出る。通りに一台の黒塗りの車が駐車してあるのを見て思わず身構えるが、そういつもいつもユーフューズのさしがねというわけでもあるまい。
由良は神経過敏になっている自分がおかしくて、舌をだした。
「失礼ですが、ミズ・・・。」
あまやかな若い女性の声がかかった。
自分ではないだろう、と思いつつも一応振り返った由良は、見覚えのある制服に目を見開いた。水色の、可憐なメイド服に身を包んだその女性は、ユーフューズの屋敷で由良を接待してくれたあのメイドさんだった。とても可愛らしかったのでよく覚えている。
「エリア・ギルフォードと申します。一度お目にかかったかと思いますが、覚えておいででしょうか。」
「・・・覚えています。侯爵邸のメイドさん、ですよね?」
愛らしいメイドは、由良とそれほど年齢が離れていない印象だった。せいぜい、二十歳とかそのくらいではなかろうか。
金色の瞳を細めて、エリアはにっこりと微笑む。なんて可憐なんだろう。
「あの、侯爵様ならまだ学校ですよ?」
「存じております。今日は、貴方に御用がありまして、お声をかけさせていただきました。それほどお時間は取らせません。少しお付き合いいただけますでしょうか?」
「私に?」
水色のメイドさんはゆっくりと頷いた。
「率直に申し上げます。セイラ様と別れて頂きたいのです。勿論それなりの保障はいたします。慰謝料、生活費など貴方に見あったものをお支払いする所存でございます。・・・別れて、あの方の前から姿を消していただきたい。まことに勝手なお願いとは存じておりますが、お聞き入れください。」
路上で、人も行き交う公衆の面前でいきなりそんな事を言われて驚かないわけが無い。狼狽の余り視線が宙を彷徨っている由良を見てエリアが心配したように続ける。
「難しいお願いとは存じておりますが、そこを曲げてお願いしたいのです。」
「待って。待って。・・・ちょっと、待って。いきなりそんな話をこんなところで・・・。」
「曲げてお願い致します。」
態度も口調も信じられないほど丁寧だが、主張には一片の妥協も無い。
「場所を変えて話をしませんか?」
「いいえ、ここで結構です。お互いに中立のこの場がよろしいかと。」
確かに公衆の面前というのはお互いの立場は同じように公平だし中立だけど、それにしてもそんな込み入った話をこんな雑多な場所でするとは余りにもラフだ。
「・・・理由は教えていただけるのでしょうか。」
「貴方が精神疾患を抱えた状態でセイラ様の子供を妊娠しておられるからです。」
「・・・!なんで、なんでそんなことを・・・。」
由良の心身障害の事はセイラと静流しか知らない。公的な文書には一切残していないはずだった。だからカルテも存在しないのだ。
そして妊娠のことは、救急病院の医師と静流しか知らないはず。セイラにさえまだ打ち明けていなかった。
エリアの言葉は淡々としている。口調は平坦で一切の感情を含めずに喋っている気がした。ユーフューズの屋敷で会った時にはもう少し年齢相応の天真爛漫さがあったような気がするのに、機械みたいに事務的に話していることが気味が悪いくらいだった。外見が可愛らしいが故に余計にそう思う。
「調査させていただきました。日本での貴方の戸籍が贋物であることもすでにわかっております。」
顔色を無くすほどの衝撃だった。
現状のみならず、過去の事まで遡って調べられていたとは。
・・・戸籍は贋物じゃないもん。ただ、新しく作ってもらっただけだもん。本物だもん。
声に出せずに口惜しく心の中で否定する。
「疾患があるから、私はセイラには相応しくないって、ことですか。」
「万が一にもそのお子様に障害が出ないとは言い切れません。侯爵家の血筋をくむものにそのような方があっては困るのです。貴方がただの恋人であるのなら見逃して置けたのですが、妊娠がわかったとあっては放ってはおけません。セイラ様は絶対に貴方が子供をおろすことに納得なさらないでしょう。ですから、貴方の方から消えて頂くしかないのです。」
随分いやなやり方だ。
障害があるかもしれない子供など認めない。だから排除するということなのだろう。由良の疾患は先天的なものではないのに、それでも排除しようと言うのか。
セイラに知られぬようにこうして相手に近付いて警告していくのか。
彼の母親の事が思い出された。ひょっとしたら、セイラと鈴奈の母親はこうやって英国を追い出されてしまったのかもしれない。若き侯爵が異国の恋人との恋に溺れるのをいさめるために。それに耐えられなかった彼の父親は、彼女を追いかけて英国を出て行ってしまったのだろう。侯爵家は同じ轍を踏まぬよう、その子供達を厳しく監視しているのだ。
「お断りしたら、どうなるのですか。」
「戸籍が贋物であることを告発し、パスポートを没収させて日本へ強制送還いたします。・・・出来ればその手は使いたくないのです。セイラ様がきっと自分も再び日本へ行くとおっしゃることが目に見えているからです。しかし、侯爵家はもう二度と彼を英国から出すことを許さないでしょう。少なくとも、現侯爵様は決してお許しにはならないと思いますよ。」
メイドの最後の言葉は確かに納得が行く。ユーフューズはセイラが国外に出ることを今は絶対に許さないだろう。たとえ仲違いしていようとも、あれほどの執着を見せているのだ。
「貴方がセイラ様に黙って子供をおろすと言うのならば、しばしの猶予期間が再び与えられるかもしれません。今の段階でしたら堕胎はそれほど難しいことではありませんから。」
「・・・おろすだなんて。」
人よりも初潮が遅く、発育異常だと言われて悩んできた由良なのだ。一度乱暴されて以来、まともな妊娠など出来ないかもしれないと思っていた。妊娠を知って驚きはしても、堕胎するなどいう考えは微塵も浮かばなかった。せっかく宿った命だと言うのに、どうしてそんなことが出来ようか。これを逃したら次はもう無いかもしれないのだ。それほどに女のとしての自分の体に自信がなかった。単に体力だけならば有り余っているけれども、子供を宿して生む能力があるかどうかはそれとは別物なのだ。
しかもエリアの言い方では、仮に今回堕胎したとして、次も無いのだと言うことを示している。侯爵家では、セイラの子供を由良が産むと言う事は許されない。
「彼と別れてなら・・・生み育てることを許してくれるのですか。」
「セイラ様の子供という事を一生涯隠して頂けるのでしたら。・・・国外へ出ていただければセイラ様にもどうにも出来ないでしょうし。」
通りをまた車が走っていく。黒塗りの車はそこに相変わらず停車していた。中に、誰かが乗っているのだろうか。それは一体誰なのだろう。
由良とセイラを監視し、コントロールしようとする侯爵家。セイラに固執する現当主ユーフューズ。
・・・なんかわかる。これは、息が詰まるよ・・・。セイラがあれほどに嫌な顔をするのが、よくわかる。
この国で生活する以上は、その存在を無視できないほど強大な権力を持つ貴族の思惑にうまく乗れないのならば生きていけないのだ。
自分がいては、ますますセイラはしがらみから抜け出せなくなってしまうような気がした。由良がいるから、彼はあれほど生き辛いのだ。侯爵家にとっても由良は目の上のこぶなのかもしれない。彼一人ならば、侯爵家に戻って、それなりに幸福に生きていけるのかもしれないのに。それが本来の、侯爵家の長男としての生き方なのかもしれないのに。
「わかりました。・・・近いうちに、この国を出ます。」
視線をすっと持ち上げて、金色の瞳が由良の視線を捕らえた。
「日本へ戻ります。渡航の手続きや生活費については、お任せしていいんですね?」
「渡航費は勿論、生活費については貴方の寿命の分だけ保障しますよ。」
「助かります。」
「・・・本当に、貴方はセイラ様の元を離れて生きていけるのですか?」
はじめて、水色のメイドの声に感情らしいものが含まれているような気がした。
その感情の揺らぎに答えるように、由良は顔を上げる。
「だって、もう私は一人じゃない。・・・だから、セイラがいなくても生きていけます。」
どこか寂しそうに、それでもはっきりと呟いた。
二人は別れてしまうのでしょうか。