五つ子たちのお気に入り。
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侯爵様がとうとう本音をこぼしてしまいます。
「・・・ところが、な。家を出て行ってスッキリしたのはセイラだけで、残されたユーフューズは親父を亡くしたばかりだと言うのに、慕っていた兄貴までいなくなってしまってエライコトショックだった。
勿論、侯爵家は正統な跡取りであるユーフューズを大切に扱ったし、相応の教育を施した。侯爵夫人の実の息子である彼は何憚ることなく堂々と生きられたんだが、やっぱり孤独だったんだろうな。
セイラに見捨てられたと思い込んで随分泣いたらしくて。その事がきっと兄を恨むことに繋がったんだろう。俺はよく知らんが、セイラは本当によくユーフューズの面倒を見ていたらしい。お互いに孤独だったんだろうな。大人ばかりの侯爵家で、年齢の近い友人も兄弟も他にいなかったわけだ。
ああまで特殊な環境でなければ、ここまであの二人の・・・というか、ユーフューズの気持ちは歪まなかったんだと思うんだよ。
奴らの親父が出奔しちまったから、侯爵家は子供らが外に出ることを極端に恐れた。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだってそれ用の学校がちゃんと存在してさ、普通はそこに通わせるんだよ。だのにさ、家庭教師で済ましたのは、やっぱり子供らが外の人間と接触してしまうことを嫌がったからだろう。
つまり、俺が思うに悪いのは奴らの親父だ。大恋愛の末子供までこさえて駆け落ちまでしたくせに、結局侯爵家に戻って、しかも子供らを守ってやることさえ出来なかった。貴族は非情に血筋と体面を重んじるが故に、それを軽んじた奴らの親父は愚かだったんだろうな。そんな家例を変えることさえ出来ずにあの世にいっちまったから・・・。」
学校生活というものに憧れていたのだというユーフューズ。陽気な笑顔を思い出すと、彼は孤独だったんだろうということがわかる。孤独であるが故に、それを分かち合えた唯一の存在がセイラだった。その唯一無二の存在に裏切られた衝撃はきっと言葉に尽くせないほど大きかったに違いない。
最初にセイラから事情を聞いた時には、まるでドラマのような話だと思った。だが、事実はいつだって小説や物語よりも奇であり、過酷だったりするのだ。
「・・・そう思うと、弟さんも可哀想なんですね。」
「セイラが送った少年時代に比べりゃはるかにマシだがな。よくあれでグレなかったと、本当に感心するよ。」
受け取ったハンカチで涙を拭う。
由良は、ごく普通の一般家庭で育っている。仲のいい両親の育てられた幸せな少女時代だった。剣道の道場に通っていたから友人もいたし、孤独を感じたことなど無い子供だった。セイラに比べたら、ユーフューズに比べたら、なんて幸せだったのだろう。彼らの苦痛の半分も、想像することさえ出来ないほどに。
「・・・鈴奈が生涯男嫌いだった理由は、そういう情けない親父を見ていたせいだ。誇り高い女だったからこそ、余計に許せなかったんだろうな。」
この世にはいない姪を思い出して、苦笑している静流。だが、少しも悲しんでいる様子は無い。自分の生きたいように生きた姪のことを誇らしく思っているのだろう。
「どうだい、由良ちゃん。・・・それでもあんた、セイラを好きでいてくれるかい?セイラは侯爵家の後継者という足枷と、沢渡の家の後継者と言う責任とその両方を担っていたんだ。
だが、沢渡の家のことはもう終わったことだ。セイラはもう自由になった。しかし問題の侯爵家の方は、セイラが関わりたくないと一生つっぱねていられれば問題はないが、そうも行かないだろう。少なくともイギリスで生きていくには避けては通れない壁だ。」
「私は・・・優しいセイラが好きです。いつも笑って、優しくしてくれて、美味しいご飯を作ってくれて・・・それが彼だと思ってます。好きだから、いつも彼の幸福を願っています。少しでもその手助けになるのなら出来ることをしてあげたいと思います。彼の弟が何者だろうと、彼の姉が何者だろうと、セイラが優しい人であることになんの影響もありません。」
小さな声だけれど、しっかりとそう告げた由良に静流は笑いかける。その答えで正しいのだと、そう言ってくれているかのようだった。
ピーターを従えた侯爵様が由良を出迎えたのは、彼女の部屋の玄関だった。
日曜日の朝、ジムに出かけようと着替えていた由良は玄関のブザーに反応してドアを開く。すると、目の前にユーフューズが立っていたのだ。テオの変装をしていない、金髪碧眼の若き侯爵は、同級生であるときと同様ににかっと陽気に笑った。
「ユーフューズさん・・・お早うございます。どうしたの、朝から。」
「一緒に買い物に行こうぜ。学校帰りが駄目なら、日曜日ならいいかと思って。な、遊びに行こうよ。」
彼の背後に立つピーターは無表情な振りをしているが、わずかに強張っている気がする。きっと、本来の今日の侯爵様のスケジュールが崩壊してしまったに違いない。気まぐれでわがままな侯爵閣下には振り回されてばかりいるのだろう。
とりあえず玄関先では人目に付く。そうでなくても目立つ人なのだから。
由良は自分の小さな部屋の中へ二人を促した。きょろきょろするのは侯爵だけで、ピーターはろくに顔をも上げないまま玄関口の傍に立ち尽くす。
何も無い彼女の小さな部屋が妙に珍しいのか侯爵様は落ち着かない。余りうろつかれても困るので、由良は用件をさっさと済ませようと声をかける。
「遊びにって、・・・。侯爵様なんだから、きっと何かしなくちゃいけないこととかあるんじゃないの。私なんかと出かけてていいの?」
「つっまんねーよ、一日中あんな所に座って、どこぞのお嬢様がいらっしゃいましたの、大臣がご機嫌伺いにきました、だの、うんざりだ。仕事ならまだいい。俺は仕事はやる気がある。だけどあんなくだらねぇ社交辞令の応酬なんざばかばかしくってやってられっか。由良、俺と遊びに行こう。ボディガードは連れてきたんだから、いいだろ?」
同級生が嬉しくてしょうがないみたいに。友達と遊びたくて仕方が無いみたいに。
浮き浮きした声で必死に説得を試みる彼がなんだか気の毒にさえ思えてくる。別に一緒に出かけるくらいしてあげてもいいのだが、セイラがなんと言うだろうか。
そんな由良の危惧を予想したように、ユーフューズが告げる。
「セイラならいねーよ。俺、確認してきたんだもん。」
「うん、今日はバイヤーとの打ち合わせに行くって言ってたから。最近お客さん増えて、仕入れを増やそうかどうしようか思案中なんだよ、彼。」
「ふーん・・・。一時的な盛況で在庫を増やすと面倒だからな。あんな小さい店だし、大量に抱え込むのはリスクがある。かと言って不足するのもマズイ。まあ、あの店はカフェだから、単価が高い分リスクをしょってもどうにかなるだろうけど、人件費をかけないと客数をこなせないんだぜ。」
由良の言葉にさらさらと感想を言う。思わず目を見開いてまじまじと侯爵様を見てしまった。
「凄い反応。経営に詳しい人みたい。」
「ったりめーだ。商法の基礎じゃねーかよ。俺を誰だと思ってんだよ、これでも会社三つ持ってる社長サンだぜ?」
びっくりしたように、つりあがった目を大きく見開いて同じ年の青年をまじまじと見つめてしまった。
授業はろくろく真面目に聞いているようには見えなかったユーフューズは、まあ、彼の母国語を今更勉強したって仕方が無いから、その態度も無理も無いものと思えた。昼休みに一緒にサッカーに興じる姿も、自分の同級生らしくやんちゃな子供のようだった。
現役の会社社長なのだと言われても、どうにも実感がわかない若き侯爵の姿に違和感しかない。
「・・・信じてねぇな?」
「い、いやいやいや、信じるよ。だって侯爵様っていっぱい会社持ってる複合企業でもあるんでしょ。当然と言えば当然だよね?」
「はん。大概の貴族は腕のいい経営陣を雇ってまかせっきりだよ。いっしょにすんな。俺は自分で経営して利益を出しているれっきとした会社社長だ。零細規模の子会社を上場にまで育て上げた実績だってあるぜ。・・・どうだ、少しは見直したか?」
「難し過ぎてよくわからない。私、バカだからそういうの、さっぱり。」
由良は軽く頭を掻いてそう言う。
目の前の東洋人の娘には、どうアプローチするのが正解なのか全くわからなくなる。
大概の娘はユーフューズの外見になびくし、家柄に陶酔し、その財産を見て目が眩む。それなのに、この娘は、そんなユーフューズを理解できないようだ。
「・・・お前ってどういう男がタイプなんだよ、一体。」
「優しくしてくれる人。」
たった一言で簡潔に答える。
「俺、優しくない?」
「・・・優しいのかどうかは私にはわからない。ただ、貴方は私自身に用事があるんじゃなくて、セイラの気を引きたくて私にちょっかいを出しているだけに見えるから。」
ピーターが顔を上げる。ユーフューズも思わず青い瞳を細めた。それから、侯爵は、軽く顎をしゃくって何事かをお守り役に指示する。
小柄なボディガードはあからさまに嫌な顔をしたが、仕方が無い、とでも言う風に頷いた。
一瞬で由良が身構える。唐突な殺気を感じて反射的に身体が動いたのだ。狭い部屋の中で数歩下がって腰を屈める。すぐに背後の窓にぶつかった。わずかな隙にピーターの小柄な身体が襲い掛かる。腕をつかまれて彼に引き倒されそうになるが、下半身を精一杯踏ん張り、かろうじて堪えた。腕力にそれほどの差は無いのだろう、無理だと判断したピーターがすぐに手を放す。
由良は悟られないように、部屋の隅に配置された机を横目で見る。机の引き出しに剣をしまってあるのだ。武器が無ければ、このお守り役には到底敵わないと思った。狭い室内で長い得物を振り回すのは不利だが、いざとなったら窓を剣で割って飛び出すことも出来る。あるいはうまく立ち回れば、二人の攻防を呑気に見守っているユーフューズを人質に取る事も出来るのだ。
ジャージのポケットに入っていたカード端末を素早く隣の部屋へ投げた。お守り役がそちらに気を取られた隙に由良は机の引き出しに飛びついて中の剣を取り出した。手にした瞬間に、何か熱いものが利き手の甲をかすった。武器を取り落としたことに気付く間もなく、至近距離にまで詰め寄られていることに気がついた。目の前に、消音機付の銃が発砲直後の熱をはらんで付きつけられている。
「・・・銃は必要ないと思っていたのに、怖いお嬢さんだ。」
肩で息をしているピーターが、しみじみと呟いた。
「な?強えだろ。ナイフじゃ駄目だって言ったのわかるだろうが。俺一人じゃ絶対返り討ちにあっておしまいだ。・・・由良、両手を上げな。」
血を流したままの右手を庇った状態で、由良は仕方なく両手を上げた。
「・・・出来れば、俺に惚れて貰いたかったんだがな。その方が、あんたもまだよかっただろうにさ。」
青い瞳が由良の目の前まで来てそう呟く。なんともいえないシニカルな笑みを浮かべていた。
「どういう意味ですか。また私をお屋敷に連行でもするつもり?」
武器を奪われて両手を上げた無防備な体勢でありながらも、彼女はまだ戦意を失ってはいない。声音に力があった。
「あんたを俺のもんにして見せ付けてやれば、セイラも俺を無視できないだろ?」
「馬鹿なことを。私は貴方のものになんかなれないよ。そんな価値もない。セイラに対してあてつけて、そんなことして、何になるの?」
「・・・俺は、セイラの大事なものを奪って傷つけてやるんだ。それがどんな高価な宝石だろうが、道端のガラクタだってかまわない。俺を裏切った罪の報いを受けさせてやる。そうすることのほうが奴自身をどうこうするよりもはるかに奴を苦しめることになるからな。ずっと調べ続けたが、セイラの周りであんた以外の女の影は全く無い。こんな地味な東洋人の小娘のどこがいいのか知らんが、セイラにとってもっとも価値があるのはどうやらあんたみたいだ。」
暗い感情を秘めてそう言ったユーフューズの瞳が由良の顔を凝視する。
その顔は笑っていたけれど、少しも楽しそうではない。
セイラと同じ顔で、そんな風に笑って欲しくない。
テオに扮して一緒にボールを蹴っていたユーフューズの笑顔は嘘ではなかったと思う。セイラとは全く質の違う笑いだったけれど、由良は、憧れていた学校生活を楽しんでいるユーフューズが嫌いではなかった。いつかの夜に、セイラのピアノに合わせてギターを弾いていた彼は楽しそうだったでは無いか。
「撮影して、奴に送ってやろう。・・・セイラがどんな顔して怒り狂うのか見物だな。」
ユーフューズが自分の上着のポケットから自分の端末を出してお守り役に手渡す。お守り役は由良に銃を向けたままそれを受け取って内蔵されたカメラを起動した。
カメラの起動した音を確認すると、ユーフューズは由良の身体に手を伸ばす。彼女が着ていたジャージを脱がせて、素肌に手で触れた。
由良が蒼白になる。カタカタと音がするほどに小刻みに震える。
「・・・すげぇ、傷痕だな。」
感心したように呟いた。裸にした由良の身体には大きな傷痕がいくつも残っていた。首の後ろから続いている左胸の傷、左大腿の手術痕が特に大きい。
彼女の顔を見ると恐怖に怯えているのか表情らしいものが無い。真っ青になり、冷や汗を額から流している。震えは全く止まりそうもなかった。空中の一点を見つめている焦げ茶の瞳にはユーフューズは映っていない。それがわけもなく腹立たしかった。
頭の上に掲げた由良の手の甲から血が滴り落ちて肩を汚す。
「いやだ。」
彼女の小さな唇から洩れたわずかな声だった。
「いやだ、怖い・・・誰かを、また傷つけてしまう。また、誰かを・・・怖い、怖い・・・。」
うわごとの様に洩れる言葉が、ユーフューズにも聞こえた。日本語であったために意味がわからない。両手で由良の顔を持ち上げ、強引に自分の方を向かせる。
「なんて言ってるんだ、俺の顔を見て話せよ。英語で言え。」
わずかな時間だけ、焦点の合わなかった由良の目が侯爵の姿を映した。その途端に、由良の血だらけの右手が侯爵の右顎を殴った。
「ユーフューズ様っ・・・!!」
銃も端末も放り出したお守り役が、由良に殴られてひっくり返った侯爵を抱きとめようとする。まともに落ちたら頭を床に打ち付けそうな勢いだった。間一髪で間に合ったか、侯爵の頭は無事にお守り役の手で救われた。
「この、女、なんて奴だ!」
油断していたところを殴られて逆上した侯爵はすぐに立ち上がって不埒な目の前の娘に殴りかかる。彼女はその動きを予測していたかのように、滑らかに動いてユーフューズの拳をかわした。重心を前にかけていたユーフューズがつんのめる足元をひっかけて、転ばせる。止めに入ったお守り役のみぞおちに強烈な肘鉄を食らわせた。よほど綺麗に急所へ入ってしまったのか、お守り役は胃の中身が込み上げるのを堪え、その場に座り込む。
由良が、うつ伏せに転倒したユーフューズの襟元を左手でつかみ上げ、高々と左手一本で持ち上げた。
「・・・や、やめろ、由良っ」
血まみれの彼女の拳が再び炸裂する寸前に、ふっと力が抜けたように、由良は侯爵様を床に下ろした。
お守り役のようにその場に座り込んだ由良は、突然嘔吐し始めた。吐いたものが裸の彼女の身体を汚し、床を汚した。両手で抑えても抑えきれないらしく、苦しそうに嘔吐を繰り返す。ようやく吐き気を収めたお守り役が思わず口元を押さえ、侯爵の方へ移動する。
「・・・救急車を呼びましょう。この吐き方、普通じゃない。」
殴られた左顎を片手で押さえた侯爵が、呆然としたまま、頷く。
もらいゲロって、辛いよね。