#02:take 3
閃光。
フィールドの中央で弾けた雷撃が一瞬、相手の出足を止める。
その間を盗むように前へ。
選択する攻撃は、最速の突き。
剣の長さの分、体格に優る相手の腕よりも長くなった間合いが先を取らせる。
腹に突き刺さる剣は、鋼のような筋肉に阻まれ。
それでもダメージがノックバックを発生させる。
間合いを固定したまま剣が上に跳ね上がり。
そのまま大きな円を縦に描いて逆袈裟の斬撃。
突きの数倍のダメージとともに、相手の巨体が宙に浮く。
地から天へと駆け抜けた剣はまだ止まらず、さらに縦に一回転。
先の斬り上げとは逆の角度からの逆袈裟が、もう一度巨体を浮かせる。
Xの形に交差した剣線の中心。
二度目の逆袈裟で仰け反った反動を剣先に込めて、放つのは再度の突き。
今度の刺突は初撃と異なり、きつい抵抗を受けながらも相手の防御力を超過し、衝撃波がダメージとなって胸板から背中へと貫通する。
文字どおりに吹き飛んだ相手は。
一度だけ起き上がろうと身をよじったまま、地に伏した。
《You Win!!》
大きく文字が空中に浮かび上がる。
対CPU戦の一戦目を先取。
再描画の後、何事もなかったように構えを取る巨漢を眺めながら二戦目の開始を告げるゴングを待つ。
チャイムのような電子音が響いた。
続いて空中に踊るように表示される文字列。
Here come a new challenger!!
淡く金に輝く文字列と同時、巨漢が溶けるように姿を消し。
替わって出現するのは、長い黒髪を背に流したチャイナドレス風の衣装を纏った少女。
無論、このキャラクターもまた、ベースとなっているのはマッチメイカーから提供された素体である以上、これまで何度となく戦った相手の一人でしかない。
《鈴音》
そう銘された素体は、軽量高速、中国拳法の動きを基本とした、一撃の重さよりも手数で勝負するタイプの戦い方を想定されている。
ゲームのキービジュアルに使われている外見と、比較的扱いやすいことから人気が高く、愛用しているプレイヤーは多く。
こうして乱入してくることも少なくはない。
けれど。
「《彼女》だ」
口の中だけで呟くと、コントローラーの横の小さなコンソールを操作する。
インターフェースプレートの上に置いたスマホの上でアプリが起動。
プリセットしてあるコマンド群と幾つかの外見データが筐体に上書きされる。
マッチメイカーが認めた範囲内でのコマンドカスタマイズは、《彼女》と戦うためだけに組んだもの。
通常のコントローラー操作とは異なる動作、異なる連携を可能にするが、個々の動作は保証されず、基本的には難易度だけが上がるやりこみ要素でしかない。
けれど、《彼女》のクセや連携のパターンに効果的に対応するというそれだけのための、いわばメタデッキのようなこのコマンド群は、《彼女》を倒すためには必要だったのだ。
僕がこの駅前のゲームセンターでこの格闘ゲームをプレイするようになって、一年ほどになるだろうか。
ごく普通の3D対戦格闘ゲーム。
ゲームセンターに設置した筐体でしかプレイできない、というのは、昨今のプレイヤーには受け入れられず、すぐに姿を消すだろう、というのがゲーム通たちの予測だったらしい。
家庭用のゲーム機がネット経由で世界中のプレイヤーと戦えるご時世に、わざわざゲームセンターに足を運ぶなんて、余程のコアなプレイヤーだけだという、もっともな理由だったのだけれど。
予想に反して、このゲームは一定のシェアを維持し続けている。
ゲームと連動したスマホアプリで、外見や技をカスタマイズでき、それを実際に動かせるのはゲームセンターでだけ、というコンセプトがよかったのだろうか。
遠い昔、格闘ゲームの聖地がゲームセンターだった頃のムーブメントとは違うけれど。
着せ替えを楽しむ女の子まで含めれば、それなりの裾野を持つタイトルとなりおおせていた。
3ヶ月ほど前のことだと思う。
夕方、CPUと対戦していた僕の画面に乱入者が現れた。
《鈴音》を多少カスタマイズした、軽量級のスピードファイター。
接戦の末、3マッチ目を取られて僕の負けだった。
対CPU戦の20連勝を阻まれたので、よく覚えている。
それから、たまに同じようなカスタマイズをした《鈴音》の乱入を受けるようになった。
デザインと、なによりその技の切れと連携の巧みさから、僕はその乱入者が同一人物が操っているのだと確信した。
乱入しようとする時に表示されるマッチングリストでは、国や街、店舗と稼働しているキャラクターまで絞りこめる。
このゲームセンターで、今メインで使っている《クライフ》を使っている時だけ、《彼女》は現れる。
コマンド群のロードが終わり、《クライフ》がゆっくりと構えをとる。
細く長い直剣を突きの形に。
自動選択され描画されたのは《湖上ステージ》。
風光明媚な湖の上に六角形の石が敷き詰められたステージが浮かぶ。
3セットマッチで2本先取。
勝利条件は、相手のHPバーをゼロにするか、ステージから叩き落とすこと。
カウントダウンが始まり、ゼロになる。
弾かれたように間合いを摘めてくる《彼女》を見据え、コントローラーとボタンを複雑に操作。
右の突きを伸ばしてくる《彼女》から大きくバックステップで間合いを広げ。
着地前に剣を振るう。
黒い光球が剣から生じ、置き土産のように《彼女》の着地点に飛ぶ。
【グラビティ・バインド】
魔術剣士、という設定を持つ《クライフ》が使える戦闘支援魔術。
重力の塊に一瞬足を取られて、《彼女》の動きが鈍る。
この術は、《彼女》との対戦ではこれまで使ったことがなかった。
通用したのはたぶんそのせい。
二度目はないならなお、今回は使いきらせてもらう。
前ダッシュ、同時に横斬りのアクション。
《クライフ》が一気に加速し、《彼女》の横をすり抜けながら胴を横に薙ぐ。
足を止め、慣性を剣に乗せて全身で横回転。
同じ向きから再度の横斬り。
《彼女》の軽い身体が弾け飛ぶ。
それを追いながらコマンド。
剣線は右下から左上への斬り上げ。
当然、空を斬った剣線から紫の鎖が出現し、《彼女》に走る。
【チェイン・ウェブ】
四肢に絡んだ鎖に空中に張り付けられた《彼女》に通常の三連撃技を発動。
三撃目の命中と同時、すべての鎖が弾け飛び、《彼女》のHPバーが一気にゼロになる。
《You Win!!》
1マッチ目を先取。
先手を取れたのは久しぶりだな、と思いながら2マッチ目が始まる前のデモ画面を眺める。
HPバーは両者ともに全快。
ゆっくりと身構えた二人をパンして画面が流れ。
2マッチ目が始まる。
直剣を槍のように構え前にダッシュ。
先制から畳み込もうという思惑は甘かったようだ。
突き込んだ剣先に、ふわりと舞い上がった《彼女》が直立する。
軽身功。
それこそドット単位のタイミングが測れないと成立しないコマンドだったと思ったが。
突っ込むタイミングを完全に読まれていたらしい。
体重を感じさせない《彼女》を乗せたままの突きの動作が終了。
短い硬直時間を読んだ《彼女》は、剣を踏み台にもう一度舞い上がり。
その細く長い脚を振り上げるように縦に一回転。
サマーソルト。
爪先が顎を下から蹴りあげる。
体重の差で空中に浮きこそしないが、ダメージがさらに動作をディレイさせる。
地上に降り立った《彼女》は軽いステップで間合いを詰めると同時、今度は横に身体を振る。
旋風脚。
頭を薙ぐように蹴り抜かれた脚を軸に、逆の脚が胴を裂くように駆け抜ける。
剣のポメルを叩きつけるように振り下ろし、《彼女》の脚を迎撃。
無理矢理に軌道を変えられて《彼女》がよろめく。
剣の間合いの内側。
肘を《彼女》の胸に。
ヒットした打撃にわずかに間合いが開く。
コマンド。
さっき《彼女》が見せた旋風脚のように、《彼女》に背を向けるように身体を振る。
踏み出した足。
膝から腰へ。
捻る動きを昇らせるように、下半身に一拍遅れて上体が回り。
さらにその動きに追随する剣の動きは横一閃。
ヒット。
肘撃ちなどと比較にならないダメージが計上され、《彼女》の動きにディレイが入る。
追撃を。
叩き込んだコマンドが成立、横に振り抜いた剣線がベクトルを変え、縦に円を描く。
加速しつつ振り上げられた剣の落ちる先は《彼女》の頭上。
ヒット。
そう見えた瞬間、《彼女》の姿がブレた。
横に三歩、こちらに一歩。
間の挙動なしで立ち位置を変えた《彼女》の影だけを断ち切った剣が地面に食い込み、短い硬直時間にある《俺》の懐にするりと入り込んだ《彼女》の両手の平がそっと胴鎧に触れて。
轟音のような衝撃が《俺》を真横に吹き飛ばす。
擬似的な極短距離瞬間移動である《縮地》から、ゼロ距離での極大打撃を放つ《発剄》。
どちらも、《俺》の魔術攻撃と同様、3セットマッチの間は回復しないアビリティゲージを消費することで発動する特殊技能だ。
この連携技で負けたことがあるというのに、失念していた。
派手に吹き飛ばされた《俺》が地面に落ちる前に、《俺》のHPゲージはゼロになった。
《You Lose...》
空中を流れた文字とともに2マッチ目は終了し。
まるで何事もなかったかのように立ち上がった《クライフ》が演武のように構えをとる。
画面がパンしながら流れるカウントダウン。
残ったアビリティゲージを確認。
たぶん《彼女》も同じ確認をしている。
格闘ゲームは相手のアドリブに対応しながらやる詰め将棋だ、という強豪プレイヤーの言葉を聞いたことがある。
数手、時に数十手先までの読み合い。
条件反射での対応。
その根幹にあるのはたぶん。
鍛え、磨いてきた技や武器への信頼。
だから。
カウントダウンの終了と同時。
前へと踏み込んだのもまた、《彼女》と同時。
《クライフ》の剣の間合いが一瞬で食い潰される。
左右からの突きと掌底。
それに絡ませて、コンパクトに突き上げられる膝。
直撃だけを剣で迎撃するも、ジリジリとHPバーが削られていく。
やはり速い。
そして強い。
《彼女》の連撃と、それを迎撃する《クライフ》の剣が更に加速。
既に視認よりも反射と先読みの比率の方が高い。
無数の攻防の中の一手。
《クライフ》の顔面に放たれた突き。
下段に振っていた剣のポメルを突き上げるようにして弾く。
弾いた反動で剣を返し右袈裟。
半ば条件反射的に組み上げた流れを半瞬だけ遅れて剣がなぞろうとして。
突き上げたポメルが空を切る。
わずかに崩れたバランス。
それを後押しするのは背後からの蹴り。
正面からの突きを囮に《彼女》が《縮地》を発動させたのだ。
蹴られた勢いのまま自分からも地を蹴り、前転。
間合いを稼ぎ剣を振りながら振り向く。
牽制に立ち止まり追撃を見送った《彼女》と視線が絡む。
ほぼ無傷の《彼女》に対して、一連の攻撃を受けて《クライフ》のHPバーは既に60%近くの長さしか残っていない。
深呼吸。
受けきっていれば隙を見せるような相手ではない。
クリティカルを叩き込む隙は、強引にでも作ってやるしかないのだ。
ならば。
前へ。
踏み出し、そのまま前へダッシュ。
一気に間合いを詰め、剣を振り上げる。
タイミングを計り。
キャンセル。
コマンドを入力。
《俺》は剣を降り下ろさぬままに《彼女》の右横をすり抜ける。
振り向き踏み下ろす脚。
その地面から蒼い光が生まれ、地表を波紋のように広がる。
反射的に波紋から離脱しようと背後に跳ぶ《彼女》。
だがこれは《彼女》を狙って放ったものではなく、範囲攻撃。
広がり続ける波紋は、跳びすさった《彼女》の足元に追い付き。
蒼い茨を《彼女》の脚に巻きつかせる。
行動阻害系の支援魔術。
地を摺るように剣先を下げたままダッシュ。
一気に間合いを詰めて逆袈裟。
回避できない《彼女》が降り下ろした突きをすり抜けて剣が直撃。
《彼女》が衝撃に浮き上がると同時、蒼い茨が弾け飛ぶ。
宙に浮いた《彼女》に連撃。
縦に一回転した剣が再度、逆袈裟に《彼女》を斬り上げて滞空時間を加算。
剣を水平に引けながら踏み込み。
《俺》の剣が走る軌道上。
《彼女》の左手が迎撃に動く。
《俺》の手が剣を手離す。
《彼女》の掌底が剣を弾く。
剣が数ドット分のダメージを《彼女》に与えて跳び去る。
まだ突きだされたままの掌底を掻い潜るようにさらに前へ。
踏み込むと同時、左の肩から《彼女》にぶつかる。
技でも何でもない、ただの衝突。
けれど、限定的とはいえ再現された物理法則は。
《俺》の質量と運動量を《彼女》に伝える。
《彼女》との質量差の分だけ増大した運動量は、まだ宙にあり自分を支える術のない《彼女》に横向きのベクトルを与えて。
ふわり、と。
《彼女》の細い肢体がステージの外の湖に落ちる。
水飛沫に虹がかかる中、画面に文字が流れる。
《You Win!!》
「っし!」
3セットマッチの勝利が決まり、《クライフ》の演武のデモが流れるのを視界の隅に、俺は反射的に拳を握ってしまった。
小さなガッツポーズと小さな歓声を、見聞きしたものは居なかったかと、つい周りを見回してしまう。
ようやく。
ようやくの《彼女》への初勝利なのだから、少しばかり喜んでも仕方ないだろう、とは思いつつ。
そこは日本人らしく、周囲の視線が気になるのだ。
もっとも、小さな町のさして流行っていないゲームセンターのこと。
人など居ないし、居ても周囲を気にする程の常識人など居るはずもない。
そう思った俺の希望を裏切るように。
イタズラっぽい視線でこちらを眺めている人物が居た。
「キミ、強いねぇ、やっぱり」
笑いと微かな悔しさを混ぜ合わせた声音で言葉を投げてきたのは、長い髪を無造作に束ね、上質そうなスーツを少しばかり着崩した若い女性だった。
「ラッシュからの《縮地》をかわされたのもまいったけど、最後に剣を捨てて体当たりで押し出されるとは思わなかったよ」
女の台詞がそこまで続くのを聞いて、ようやくつながった。
《彼女》だ、と。
「今の《鈴音》の?」
投げた確認の言葉に、《彼女》は頷く。
「実はこれまでも何度か、キミの様子を見ながら闘ったことがあったんだけどね」
華やかな笑み。
「まさか、同じゲーセンに居たとは思わなかった」
「世界中に端末とプレイヤーが居るゲームだからね。
相手が隣に座ってる可能性は、普通ははじめから考えないよねぇ」
答えながら《彼女》は、少し大きめの黒いトートバッグを肩に掛けた。
「今日の勝利のご褒美という訳ではないけれど、お茶の一杯くらいは奢ろう。
付き合ってくれないかな?」
《彼女》が言った通り、本来は地勢的な制約のないネットワーク上のゲーム。
現実側の物理座標には意味がなく、それ故に広範な商圏を得ることで採算分岐を上回っている。
それなのに。
「格ゲーのネット対戦でリアル逆ナンとは……」
ぼそりと呟いた俺の台詞を拾った《彼女》はクスクスと笑い、指に挟んだ小さな紙片を差し出した。
「残念ながらそこまでロマンチックなお誘いではないよ」
そこに書かれているのは聞き覚えがある中規模出版社の社名。
「《アーケード・レビュー》という雑誌で、一応記者をやっていてね。
ちょっと取材させてもらおうと思ったんだよ。
今度コレを特集するんでね」
《彼女》はコンコンと、たった今まで《彼女》が闘っていた筐体を叩くと。
からかうように俺を指差した。
いや、正確には俺の前の筐体を。
「どうやらキミもたった今、ヒマになったようだしね」
《彼女》の指を追うように落とした視線の先行きにあるディスプレイ上では。
乱入者を倒したことで自動的に再開されたCPU戦で、何の入力もしてもらえなかった《クライフ》が一方的に打ち倒されたところだった。
「今の対戦の負け分に、ケーキを一つ付けよう」
俺は肩をすくめると鞄を持ち上げた。
「コーヒーじゃなく、紅茶にしてくれるなら」