失敗
「あのね…… 私のほうから打ち明けたの」
結局、博美は二人の追及により、ゴールデンウイーク前のデートの詳細を白状させられていた。
「ひょっとして秋本さん、その日路面電車に乗らなかった?」
樫内は加藤を見かけたことを思い出した。
「うん、乗ったよ。 バスセンターから模型屋さんまで二駅かな?」
「やっぱりー 私、見かけたのよ。 秋本さん、随分可愛い格好してたじゃない?」
「えー ねえねえ、どんな格好だったの? 見てみたい。 写真は無いの?」
永山も興味深々だ。
「撮れなかったのよー」
「なんだー 残念だなー あっ! そうだ。 博美ちゃん、そのときのコーデ、覚えてる?」
永山が、クッションの上でますます顔を赤くする博美を見た。
「う、うん。 覚えてるけど……」
「じゃあさ。 それ見せて」
「えっ! 今?」
「もちろん」
二人の追及は止まるところを知らない。
「この半そでシャツの上にキャミワンピを重ねて、そのままじゃ短くて恥ずかしかったからボトムにジーンズを穿いて」
ベッドの上にクローゼットから出してきた柔らかな綿の半そでシャツを置き、ひざ上長さのキャミワンピを重ねる。
「そして、セミロングのウイッグを付けたの」
ベッドの上に、あの日博美が着たコーディネートが再現された。
「うわー ほんと可愛いー これじゃ加藤君もイチコロだったわね」
永山の目が輝いている。
「ねえ、秋本さんが告った時の加藤君の返事って覚えてる?」
樫内が突然切り込んできた。
「え、え、え…… そ、そんなー…… やだー 言えない」
「あらー ここまで来てそれは無いでしょう? さあさあ、お姉さんに言ってごらん」
「やだやだ!」
博美は顔を隠して「いやいや」をするが、樫内は博美の肩を抱きしめる。
「ほらほら、ここには私たちしか居ないんだから、恥ずかしくないわよ。 さあ言ってごらん」
「誰にも言わない?」
「うんうん。 秘密にするから」
「うんとね、「好きだ」って 「博美のことは大事に思っている」って言ってくれたの……」
「きゃーーー 素敵! プロポーズみたいー」
二人のやり取りを聞いていた永山が声を上げた。
「へくしゅ! へくしゅ!」
「なんだー 加藤君、風邪でもひいたか?」
「いや、まさかこんな陽気で風邪はないでしょう」
加藤と井上が得点掲示板の前で話をしている。順位も出ているが、まだ全員の演技が終わっていないので仮の順位だ。
「しかしトップから5位まで得点差が15点ですよ。 こんな僅差の戦いなんですね」
加藤が感心したように言った。
「いや、こんなことは滅多に無いぜ。 今日はあいつの所為さ」
井上が目で示した所には本田が居る。彼は今日、目慣らし飛行を担当したのだ。その日の基準となる演技が日本選手権のトップクラスだったため、予選の演技はかなり見劣りがする事になり、得点に差が出なくなったのだ。
「まあ、午後の第2ラウンドでは審査員の目も元に戻るだろう。 それからが勝負だな」
「今井上さんが3位で4位の篠宮さんと3点差ですよね。 このまま行けば予選通過ですね」
加藤がそう言ったところで、新しい得点が書き込まれた。見ると井上の得点より2点多い。
「うーん。 来たか…… 広島のベテランだ。 順当ってところだな」
井上は第1ラウンド4位となった。
大きな大会では昼食代も参加費に含まれている。井上は博美の分も支払っていたので、お昼に弁当が二つ配られた。
「すみません。 俺の分も有るんですね」
本当なら加藤は自分で弁当を注文しなければいけなかったのだが、博美が来れなかったため、ただで弁当が食べられることになった。
「それ、博美ちゃんの分だぜ。 出場登録は選手と助手の二人までしか出来ないんだからな。 おまえはオマケってことだ」
何時ものテーブルに弁当を乗せ、井上が意地悪なことを言う。
「しかし、博美ちゃんが来なくて、なんだか詰らないですね。 男三人がテーブルを挟んで昼飯だもんなー」
小松がしみじみと言う。彼の順位は今の所15位と下から数えたほうがいいくらいで、若干凹みぎみだ。
「まっ、お前は実力通りだな。 今日はよく飛んでるくらいだ」
「酷いなー 弟子なんだからもう少し優しくしてくれてもいいのに……」
「いつおまえが弟子になったんだよ」
「そんなー」
今一調子の出ない井上は何時もしているように小松を弄る事で何時もの調子を取り戻そうとしていた。
第2ラウンドは井上は出場順が後の方だった。
「井上さん、少し風が出てきましたね」
加藤がエンジン始動ピットでビーナスを支えながら、前に立っている井上に言う。
「ああ、すこーしな。 この程度なら問題ない。 それよりサーマルが怖い」
博美が居ない今、フライトライン上にサーマルが流れてきても気が付かないだろう。そしてそれにより姿勢が乱れると減点になる。ここまで上位のフライトを見ていた限り、そんな小さなミスにより順位を大きく下げることになるはずだ。
「井上さん。 用意は良いですか?」
タイムキーパーが聞いてくる。
「いいぜ」
井上は簡単に答えるとスターターを握った。
「はい、スタートします」
タイムキーパーの声と共に井上はエンジンを始動し、念入りに調整をした。
何時も以上に集中した井上のフライトは離陸から気合が入っていた。
「おいおい、ちょっと力みすぎじゃないか?」
すでに第2ラウンドを終えた真鍋が誰に言うとなく言う。
「あれが周りの空気の変わる集中力ですか? 確かに凄いけど、疲れそうだな」
それを本田が聞きつけた。
「おや、本田君。 誰から聞いたんだい。 彼の集中力は凄いよね。 でも君の言う通り最後まで集中力が持たない事があるね」
二人が話をしている前で、井上は素晴らしい演技を続けていた。そして9番目の演技、スピン(錐揉み)のために速度を落としながらセンターに向かって来たとき
「あっ!……」
助手についていた小松が声を上げた。あろうことかビーナスが演技開始点のはるか手前で大きく姿勢を崩し、そのままスピンに入ってしまったのだ。
「あーー……」
「なんだ! どうしたんだ」
「まさか……」
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・
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井上の演技を見ていた者たちからも悲鳴に近い声が上がる。
「(くそっ! サーマルに弾かれちまった。 仕方が無い、このまま演技を続けるか……)」
井上は歯を食いしばり機体の姿勢を演技の形に持っていった。一旦スピンに入ってしまった以上、ここでやめると0点になる。大きな減点になるがこのまま演技を続ける方がまだマシだ。
「やっちまったな……」
「ええ、これは辛いですね。 挽回できますかね?」
「集中力が切れなければいいが・・・」
真鍋と本田が小声で話している。
「井上さんでもこんな事があるんですね」
近くに居た篠宮が真鍋に尋ねた。
「これは仕方が無い。 誰にでもあることだ。 問題はこの先如何挽回するかだ。 もっともこんな事のために複数回飛ばして、悪いやつを一つ捨てられるようにしてあるわけだ」
「このラウンドが井上さんには捨てるものになるんですね」
「ああ、多分な。 しかしこれで井上君は苦しくなった」
着陸したビーナスを回収に向かう加藤をぼんやりと井上は見ている。
「井上さん。 ピットに戻りましょう」
放心したように動かない井上の肩を小松が叩いた。
「あ、ああ。 そうだな……」
送信機のスイッチを切り、井上は自分のピットに向かって足取りも重く歩き出す。それも仕方が無いだろう。気合が入っていた分、スピンの失敗が尾を引き、後半の演技が「ガタガタ」になったのだ。集中力に頼って飛ばす井上の、その集中力が切れてしまっては、まともな演技は出来ない。
「(くそー 俺はなにをやってるんだ。 一つの失敗を最後まで引きずるなんて……)」
ピットに戻っても井上は何時ものチェアーに座ってビーナスの整備もせず頭を抱えていた。




