08
アリス・クレイトンのライブの日。
ライブは午後七時から開始だったが、カズホとナオは、午後五時に渋谷駅ハチ公前で待ち合わせという約束にしていた。
ナオは、家から三つ編みをおろしてくるのが、何となく、家族に対して恥ずかしかったため、午後三時には三つ編みのまま家を出て、デパートのトイレで髪をおろした。櫛で丁寧にブラッシングをしたが、三つ編みのくせは自然なウェーブのようになっていた。
ナオは、午後四時過ぎにはハチ公前に立っていた。
眼鏡はそのままだったが、三つ編みのくせが残った黒髪のロングヘア。ポシェットのような小さな鞄をたすきに掛けている下には、淡いイエローのシャツに薄いピンクのサマーカーディガンと、ふわっとした白いミディスカート。足元にはシャツと同じ色のソックスに黒いコンバースハイトップ。これまで、お洒落にも無頓着な振りをしていたナオが、数少ない私服のレパートリーから、このコーディネイトを決めるまで、三時間は悩んだ結果だった。
何人かの男がナオに声を掛けてきた。ナンパしようとしたのだが、ナオは怖くて俯いたまま、無言で拒否をした。
午後五時に十分前、カズホが駅から出て来た。
ノーカラーの白いシャツの上にダークグレーのジャケットを羽織り、ブラックジーンズに黒のショートブーツという出で立ちのカズホは、きょろきょろとナオを探しているようだったが、髪をおろしているナオに気がつかない様子であった。
カズホが近くまで来たとき、ナオから声を掛けた。
「あ、あの、佐々木君」
「あっ、水嶋! ……なんか髪をおろすだけで全然、雰囲気が違うなあ。まったく気がつかなかったよ」
「そ、そうですか」
「あ、ああ。……あの、その服もすごく似合っているよ」
「あ、ありがとう」
「と、とりあえず、腹ごしらえしようか?」
「は、はい」
ライブハウスでの食事は高いと思い、高校生の二人は渋谷駅の近くにあるファミレスに入った。
注文が終わって二人だけになると、ナオは、カズホからじっと見つめられていることに気がついた。
「あ、あの、佐々木君。わ、私の顔に何か付いてますか?」
カズホに見つめられて、ナオはどこを見たら良いのか分からず、俯いたまま、上目遣いにカズホに尋ねた。
「い、いや、ごめん。つい……」
カズホも思わずナオに見取れていたようだった。
一旦、ナオから目をそらしたカズホは、すぐに視線を戻した。
「あっ、そうだ。水嶋は、どうしてアリス・クレイトンが好きになったんだ?」
「お父さんから勧められて、『裏通りのアリス』っていう『ムーンフラワー』の前のアルバムを最初に聴いたんです。お父さんはそっちの方が好きだったみたい。でも、それでアリス・クレイトンに興味が湧いて、『ムーンフラワー』も引っ張り出して聴いたんですけど、一回でとりこになっちゃいました。アップテンポの曲も良いですけど、私はバラードナンバーの『マーメイド・ドロップス』が大好きなんです」
「おお、そうだな。確かに、あれは名曲だよな」
「佐々木君は、どの曲が好きなんですか?」
「俺は、やっぱり、ベースを中心に聴いてしまう癖があって、アリスのアルバムに良く参加しているテレンス・ショウっていうベーシストのベースが好きでさ。特に『スターライトボサ』っていうサンバナンバーが最高だよ」
「ああ、そうですね。すごくノリが良くって、自然に身体が動いちゃいますよね」
「そうだよな。俺も将来は、ああいうリズムの音楽もやってみたいなあ」
「そうですね」
ナオは、カズホ達とのセッションを思い出した。
カズホのベースはもちろん、マコトのギターやハルのドラムは、ナオが中学校時代に結成していたガールズバンドよりは数段上のテクニックに裏打ちされた、ナオが今まで感じたことのないグルーブ感を感じさせてくれた。そのうねりの中でキーボードを弾くことがこんなに幸せだったのかと、ナオは、そのセッションの時に感じていた。
(佐々木君達と一緒にバンドをやりたい。でも……)




