04
「ナオちゃん!」
いつもより強いレナの口調に、ナオはその場に立ち尽くしてしまった。
「ショーコさんも言っているでしょ! また逃げるの? そのまま人に遠慮をし続けたまま大人になるつもり?」
「……」
「何が怖いの? このスタジオの中には、徒歩き大会で一緒に歩いた仲間しかいないわよ。他には誰もいない。誰に見られることもないの」
「……」
「それとも、このままバンドのメンバーになってしまうことが怖いの? それなら大丈夫! わざと下手に演奏すれば良いだけ。そんなやる気のないメンバーと一緒にやるって、マコト達はけっして言わないから」
「……」
「もう、私達はスタンバイできているわ。ナオちゃんも練習をしてきているのでしょう? そろそろ始めましょう。立花楽器店はね、スタジオの利用時間については厳しいことで有名なんだからね」
ナオは、スタジオの入り口付近に立ち尽くしていたが、レナが近づいて来てナオの手を取った。
レナは、先ほどの様子から一変して、優しく微笑みながら手を引いて、ナオを、立って演奏できる高さにセッティングされているキーボードの前まで連れて行った。
キーボードには既に電源が入っており、レナが音量や音色を素早く調整してくれた。
「ナオちゃん。楽譜は?」
「鞄の中に……」
「見る?」
「……いいえ」
レナは、ナオから離れると、自分のテレキャスタータイプのエレキギターを持ち、アンプのボリュームを上げ、Aコードを一鳴りさせた。
スタジオ中に響き渡った硬くシャープな音が、キーボードの前で俯いて立ち尽くしていたナオの体を貫いた。その瞬間、今までナオを怯えさせていた呪文が一瞬消え去り、その呪文に束縛されていたナオと、音楽が大好きでバンドで演奏をしたいとずっと願っていたナオとが入れ替わった。
(私は……、私は……)
レナは、キーボードの前で俯いたまま立ち尽くしているナオが心配だったようだ。
「カズホ。カズホからも一言、掛けてあげたら?」
「あ、ああ」
俯いたままのナオは、カズホの顔を見ることはできなかったが、いつもの優しいカズホの声は、掻き乱されていたナオの心の中を微風のように吹き抜けて行った。
「水嶋。とりあえず、俺たちは練習を始めるから、気持ちの整理がついたら、いつでも参加してきてくれ。……マコト、やろう」
「お、おう。それじゃあ、一番の曲からやろうか」
まだ、詞も曲名もついていないオリジナル曲であり、番号で特定していたのだ。
「OK! ハル!」
カッカッカッカッ。
乾いたスティックのカウントがスタジオに響いた。
次の瞬間、圧倒的な音の連鎖が始まった。
ナオは、まず激烈な衝撃に体を打たれるとともに全身が音の渦に飲み込まれてしまい、そして今まで聴いたことがないほどの高密度の音で満たされた空間に体が浮遊している錯覚を覚えた。
ナオは、俯き加減のまま、無意識に最初からキーボードを弾いていた。
メンバー全員が演奏しながらも、驚いた様子でナオを見ていたが、それも束の間、おそらく、メンバー全員がナオと同じような感覚を感じたのだろう、何かに取り憑かれたかのように、演奏に夢中になっていた。
ナオは、ショーコから楽譜を渡された日のうちには、楽譜を見ずとも弾けるようになっていた。ナオは、キーボードの練習をしている時、中学校時代に感じていたようなワクワクするような気持ちを覚えていた。ショーコのバンドで演奏できることは、本当を言うとすごく楽しみだった。
今、一緒に演奏をしているのは、ショーコのバンドではなく、カズホ達のバンドだったが、今のナオにとって、そんなことは、どうでも良いことになっていた。
(あんなに怖かったのに……。あんなに避けていたのに……)
指が自然に鍵盤の上を動いた。
左足が自然にリズムを刻んだ。
俯いて鍵盤を見つめていた顔が自然にカズホの方を向いた。カズホは、笑顔でナオの方を見ながらベースを弾いていた。ナオも、ちょっと涙ぐみながらも笑顔を返した。
中学校時代のバンドとは明らかにレベルが違った。マコトのギター、カズホのベース、ハルのドラムが一体となり、それにレナのサイドギターとナオのキーボードが加わって、今日、初めて合わせて演奏したとは思えないようなグルーブ感を生み出していた。
メンバーは、スタジオの中で輪になって演奏していたが、マコト、カズホ、そしてレナが、ドラムセットとその隣に設置されたキーボードの周りに集まって来て、自然にその輪が縮まってきた。メンバー全員がお互いの顔を見ながら、更に気分を高揚させているようだった。
ナオの右隣にいたレナは、時折、心配するようにナオの方を見ながらも、思いっ切りギターをかき鳴らし、時折、歌詞らしき言葉を口ずさんでいた。
マコトは、まるでライブをやっているような派手なアクションを見せ、ギターソロの時には、ナオの真ん前に移動してきて、ナオを煽るように演奏した。
カズホは、やはり、ナオのことが心配だったのか、アクションとアイコンタクトで、曲のキメとなる箇所を教えてくれていた。しかし、本当に楽しそうにベースを弾いているということはすぐに分かった。
ナオの左隣では、ハルが嬉しくてたまらないという感じで、笑いながらドラムを叩いていた。
ナオは、今まで悩んでいたことが、この瞬間、頭のどこからも消えていた。




