07
いつもカズホが来る時間になっても、カズホはドールに来なかった。
マスターも心配になったのか、独り言のように「遅いなあ」と呟いた。
ナオはじっと待っていたが、ついにカズホのバイトが始まる午後七時になってもカズホは現れなかった。
ナオは、これ以上待っていることが辛くなり、席を立って、カウンターの中にいるマスターに小さな声で話し掛けた。
「マスター。今日はもう帰ります」
「そうですか」
「あ、あの、マスター。このプレゼント、預かってもらえませんか?」
ナオはカズホへの誕生日プレゼントをマスターに差し出したが、マスターは受け取ろうとはしなかった。
「どうしてですか?」
「佐々木君のことだから、どんなに遅くなっても、ここには絶対来ると思うんです。だからマスターから渡してあげてください」
「明日、渡したらどうですか?」
「誕生日プレゼントだから、できれば今日、渡したいんです」
「私は受け取れませんね」
「えっ」
「私がそれを受け取って、カズホに渡したとしたら、それはただの物をあげることになるでしょう。でも、ナオちゃんがカズホにあげたいのは物だけではないでしょう?」
「……!」
「あのカズホのことだ。今日、ここに来なかったことは何か理由があるんですよ。大丈夫! 明日、渡したって、ナオちゃんの気持ちは、カズホにちゃんと伝わりますよ」
「……マスター」
カズホと母親は、診察室で医師の説明を受けていた。
どうやら、脳にも異常は無いようだった。しかし大事を取って、今日一晩は病院に泊まることとした。
「やれやれ、どうなることかと思ったぜ」
「ごめんよ、カズホ。心配掛けて」
と言いつつも、普段は忙しくて、平日に息子と一緒にいる時間が取れない母親は嬉しそうだった。
「それじゃあ、俺、もう帰るぜ。バイトの時間もあるからな」
「そうだ、カズホ。お前、晩ご飯食べているのかい? この病院の食堂で一緒に食べようよ」
食事のことを言われて、カズホはドールのこと、というよりナオのことを思い出した。
「お袋、悪い。俺、すぐに行かなきゃ!」
カズホは急いで病院を出た。
すぐに携帯電話を取り出すが、よく考えるとナオの携帯番号はまだ知らなかった。
急いでドールに電話を掛けた。
「はい。喫茶ドールです」
聞き慣れたマスターの声だった。
「マスター! カズホです! 水嶋、来てないですか?」
「ああ、カズホ。ナオちゃんは、今、帰ったところだよ」
「……そう」
「カズホに渡したいものがあるって言っていたよ」
「……分かった。ありがとう」
電話を切ったカズホは、なにか取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。
(水嶋に謝らなきゃ。でも、水嶋の連絡先は分からないし……)
結局、なすすべもなく、カズホは気持ちを切り替えて、バイトに行くことにした。
(仕方がない。明日、水嶋に謝ろう)
ドールを出たナオは、カズホがなぜ来てくれなかったのか考えていた。
(あれだけプレゼントもらったんだから、もう、プレゼントはいらないって思ったのかな?)
昼間のプレゼント攻撃を思い出し、そんなことを考えた。
(ううん。もし、そうだとしても佐々木君はハッキリ言ってくれるはず。約束しておいて来ないというような人じゃない)
駅に向かって、重い足取りを引きずりながら歩いていると、急に雨が降ってきた。
慌てて近くの商店の軒先に雨宿りしたナオが、周りをよく見ると、そこはドールから駅に向かって、ナオがいつも通っている道ではなかった。どうやら考え事をしながら歩いていたことから、一つ通りを間違ったようだ。
遠くに立花楽器店の看板が見えた。ナオは、惹き付けられるように、立花楽器店まで雨の中を走った。
店内に入り、リペアコーナーを探し出したが、そこにはカズホはおらず、中年の男性が一人で作業をしていた。ナオは意を決してその男性に問い掛けた。
「あの、すみません」
男性は作業を中断し、不機嫌そうに顔を上げた。
「リペア依頼かい?」
「いいえ、……あ、あの、佐々木君は、今日はいらっしゃらないんですか?」
「カズホなら、ちょっと遅れるって連絡があったよ」
「そ、そうですか」
無愛想な男性の態度にナオは気後れしてしまった。そんなナオに男性は表情を変えることなく訊いてきた。
「お嬢ちゃんは、カズホの彼女かい?」
「い、いいえ。違います。ただの同級生です」
「ただの同級生……。そうかい」
「あ、あの、ありがとうございました」
ナオは男性に頭を下げて、リペアコーナーから楽器展示スペースに移動した。
(遅れるって連絡があったっていうことは、佐々木君はここにやって来るということだよね。プレゼントを渡せるかも……)
しかし、客がまだ大勢いる楽器店で、カズホにプレゼントを渡すことはできないと思い、楽器店の外に出たが、楽器店の前でボーッと立って待っているのも、これまた店に迷惑を掛けると思い、ナオは、楽器店の向かいにあり、既にシャッターが降りているクリーニング店の軒先まで走って行った。
クリーニング店の軒先で雨をしのぎながら、ナオは、プレゼントを入れた袋を鞄から取り出し、胸の前で両手で握りしめた。
(やっぱり、今日、渡したい)
ナオは、カズホを待つことにした。




