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ドールから遠くない場所に、カズホがバイトをしている立花楽器店があった。そこはレナの自宅でもあった。
一階が楽器店、二階がピアノやギター、管楽器などの個人レッスン用教室、三階がバンド練習や録音もできるレンタルスタジオ、四階が事務室と倉庫になっていた。そして、五階と六階が経営者家族の住居となっていた。
レナの父親は、楽団でサックスを吹いていた。レナの母親は、ピアノ講師であった。レナの父親は、レナが生まれる前に、楽団を退団して小さな楽器店を始めた。サックス教室やピアノ教室も開催した。レナの成長とともに店も大きくなり、今のビルを建てたのは四年前だった。しかし、中小企業が苦しいのはどこも同じで、人件費削減のためには、経営者といっても自らが事務をするしかなかった。
現在は、株式組織にしている立花楽器店の決算期で、父親も母親も四階の事務室から五階に戻るのは深夜になってからであった。食事も事務室で取るようにしており、最近は、レナが作って事務室まで届けていた。
レナは、両親が店や教室をしていたため、小さい頃から鍵っ子で一人で家事をしていたことから、その見た目とは裏腹に料理などの家事全般が得意であった。
「はい、お母さん。夕食持って来た。お父さんの分も作ってきたから」
「ありがとう。いつもごめんね」
ラップをした夕食を載せたトレーを持って事務室に入って来たレナは、母親が仕事をしている事務机の隅にそのトレーを置いた。
「今日も遅くなりそうなの?」
「来週には終わると思うけど。たぶん今日も遅くなるから先に寝てて良いわよ」
「分かった。でも無理しないでね」
事務所を出て、プライベート用のエレベーターに乗ったレナは、ちょっと考えて、一階へのボタンを押した。プライベート用のエレベーターは、来客用のエレベーターとは別に、店の裏口にあり、一階に降りたレナは、従業員詰め所から楽器店スペースに出てきた。
詰め所に近い場所にリペアコーナーがあった。カウンターで仕切られただけの小さなスペースにはリペアスタッフのチーフである川村とカズホの二人がいた。
二人とも黙々と作業をしており、レナには気付かないようであった。レナは、ちょっと寂しげな表情でカズホを見ていたが、すぐに楽器の展示スペースの方に移動した。小さい頃から楽器に囲まれて生活してきたレナにとって、ここは居心地の良い場所であった。
(あ~あ。バンドしたいな。やっぱり)
本当はバンドをしたくてたまらないのに、吹っ切れない自分にちょっと腹を立てた。
ギターやキーボードのコーナーを見て回ったレナは、ドラムセットのコーナーで、同じ高校の制服を着ている見覚えのある男の子を見つけた。
(あれ、あの人は……、確か、同じクラスの、え~と、北岡君じゃ……)
北岡の名前が出るまで時間が掛かったのは、同じクラスになってから、北岡とまだ一度も話したことがなかったからだ。
七三に分けた髪型に銀縁眼鏡を掛け、見た目は勉強一筋の優等生という感じだったが、神経質な感じはせず、気が優しいお坊ちゃまという風貌だった。
どうやら、北岡は、展示されているドラムペダルを見ているようだった。
「北岡君?」
レナは北岡の背後まで近づいてから声を掛けた。振り向いた北岡は、レナを見て相当驚いたようだった。
「あっ、た、立花さん! び、びっくりした。どうしてこんな所に?」
「えっ、私が楽器店にいたら変?」
「いや、そ、そんなことはないけど……」
「ふふっ。北岡君、ドラムやってたんだっけ?」
「いや、今はやってないよ」
「『今は』っていうことは、昔はドラムをやっていたの?」
「うん。ちょっとね」
「ふ~ん。中学の時とか?」
「そうだね。ロックバンドで……」
「へえ~、意外。でも、どうして、高校ではバンドをしないの?」
「親から高校に入ったら、とにかく勉強をするようにって言われて……。塾にも行かなきゃいけないし……」
「勉強、大変なの?」
「そ、そういうわけでもないけど……」
「でも、わざわざ楽器店まで来て、ペダルを見てたってことは、本当はバンドをやりたいなあって思っているのかな?」
「う、うん、まあ……。でも、勉強しなきゃいけないし……」
北岡は、微笑んで話すレナの顔をまともに見ることができないようで、遠くを見つめながら後頭部を掻いていた。
「……ねえ、北岡君。昔、ドラムをやってたことって、みんなには内緒なの?」
「いや、内緒にしているわけじゃないよ」
「本当? 私って口が軽いから、友達に、ふと言ってしまいそうだなあって心配になっちゃって」
「別に言われて困ることはないから、大丈夫だよ」
「ふふふ。安心した。……あのね北岡君。実は、この楽器店、私の親がやってる店なの」
「えっ、そうなの?」
「だから、ペダル買う時はうちで買ってね。ふふふ。じゃあ、さよなら」
「さ、さよなら」
レナは、笑顔で手を振りながら、店の奥に引っ込んで行った。
一方、北岡はというと、同じクラスになったとはいえ、口を利くことすらできなかったレナと話ができたことが嬉しくて、しばらく、にやけた顔で立ちずさんでいた。




