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ふいにBGMが切り替わった。最近、日本でも一部のジャズマニアを中心に人気急上昇中の女性ピアニストである、アリス・クレイトンの最新アルバムの収録曲がドールに広がった。
「あれ、マスター。これってアリス・クレイトンだよね? ここでは初めて聴くんだけど」
カズホがカウンターの中にいるマスターに声を掛けた。
「そうだっけ。カズホがいる時には、たまたま掛かっていなかったんじゃないの」
「そうかなあ。でもさ、俺的には、この前のアルバムが好きなんだよね。え~と、なんてタイトルだったかな?」
「ああ、あったね。え~と、……いかんなあ。ど忘れしちゃって思い出せないよ。もう、歳かな」
「マスターが健忘症で思い出せないのは良いとしても、俺まで思い出せないのは、なんか悔しいなあ」
「なんだよ。人を老人扱いしないでくれよ」
「歳かなって言ったのはマスターじゃん。ああ、ここまで出掛かっているのに思い出せないなんて、なんかイライラしてきた」
「あ、あの~」
二人が困っている様子を見て、ナオが口を開くと、カズホとマスターの視線がナオに向けられた。
「それって『ムーンフラワー』ですよね」
「ああ、そうだそうだ! なんか便通が通ったみたいにスッキリしたね」
「マスター、例えが最悪」
マスターに突っ込みを入れた後、カズホが不思議そうな顔をしてナオを見た。
「水嶋。アリス・クレイトンを知っているのか?」
「は、はい」
「まあ、ジャズ喫茶に来るくらいだから、ある程度は知識はあるんだろうけど、アリス・クレイトンを知っているとは、けっこうマニアックだよなあ」
「そ、そうですか。私も『ムーンフラワー』大好きですから……」
「へえ。人は見かけに寄らないとはよく言ったもんだな。全然、ジャズとか聴きそうな雰囲気じゃないんだけど。……って、そもそもジャズ好きの女子高生自体が珍しいとは思うけどな」
「あの、父親がジャズが好きで、よく家で聴いているので、それで……」
「水嶋のお父さんって音楽関係の仕事とかしているのか?」
「いいえ、普通のサラリーマンですよ。でも、本当にジャズが好きで、家にはジャズのCDが一杯あって、私も良く聴かせてもらっているんです」
「へえ~、良いなあ。自分の小遣いだと、CDなんて何枚も買えないからなあ。水嶋は、他はどんなミュージシャンが好きなんだ?」
「父親がよく聴いている曲が自然と好きになっているんですけど、父親も特定のミュージシャンが好きなわけではなくて、マイルスもコルトレーンもロリンズも何でも聴いてます」
「それじゃ、コルトレーンの『至上の愛』っているアルバムは聴いたこともあるか? あれの三曲目に入っている――」
それまでの重苦しい沈黙が嘘のようだった。音楽のことを話す時のカズホは能弁であり、これまでナオが教室で見てきたカズホとは別人のようだった。
また、ナオも男の子と向かい合って二人きりで話をするというシチュエーションは初めてだったが、カズホと自然に話ができていることに気がついていなかった。