05
ナオは、ドールに向かっていた。
結局、入りたい部活も見つからず、かといって家に帰る時間を少しでも遅くしたいナオとしては、昨日、母親に言ったみたいに図書館で勉強をしても良かったのだが、どうせなら好きなジャズが流れるドールで勉強でもさせてもらおうかと考えていた。
「こんにちわ」
ドールに入ると、昨日と同じように、カウンターの中に座っていたマスターがニコニコしながら立ち上がり迎えてくれた。
「いらっしゃい。ああ、ショーコちゃんの……」
「はい。あの、昨日、ショーコちゃんが言っていたみたいに、ちょっとここで時間を潰させてもらって良いですか?」
「どうぞどうぞ」
「それじゃ、カフェオレをください。昨日いただいたカフェオレ、すごく美味しかったです」
「ありがとうございます」
ナオはどこに座ろうかと迷いながら、なんとなく店の奥まで進んでいた。
「マスター、この席でも良いですか?」
その席は一番奥まったところにあり、柱の陰になって入り口から見えにくい四人がけの席であった。
「あっ、そこは……」
「だ、駄目ですか?」
「いやいや、良いですよ。いつもそこに座る奴がいるんだけど、まだしばらくは来ないと思うから」
「じゃあ、その方が来られる時間まで」
ナオは、入り口に背を向けて窓側の席に座り、鞄から問題集を取り出して、宿題として指定されたページの問題を解き始めた。ジャズのBGMが心地良く、教室や図書館よりも能率が上がりそうな気がした。
しばらくすると、入り口のドアに付けられたベルが鳴って、ドールに客が来たことを知らせた。
「ちわー」
「あれっ、今日は早いな」
「ああ、練習を途中で切り上げたから」
ナオの背中から聞こえていたマスターと客との話が途絶えると、ナオの座っているテーブルまで足音が近づいて来た。
背後に誰かが立っている感じがしたナオが後ろを振り返ると、そこには、カズホが立っていた。
「あれ……。君は確か、後ろの席の……水嶋?」
「さ、佐々木君!」
「なんで、ここにいるんだ?」
「なんでって……。あの、その……」
予想もしていなかった突然の出会いに、ナオは動揺してしまった。カズホも驚いているようで、しばらく、お互い見つめ合ったままのポーズで固まっていた。
「この子はショーコちゃんの従兄弟なんだってさ。昨日、ショーコちゃんと一緒に来てくれて、これからうちを贔屓にしてくれるってことなんだよ」
「えっ、ショーコさんの……」
お冷やを持って来たマスターが、ナオに代わってカズホに説明をしてくれると、二人を固まらせていた魔法が解けたように、カズホは、ナオの顔を見ながら、ナオの斜め前の席に座った。
「へ~、そうなんだ」
「は、はい。あの、ひょっとして、この席は……」
ナオはカズホに訊いたつもりだったが、マスターがカズホの前にお冷やを置きながら答えた。
「そう。この席は、カズホがいつも座っている席なんだけど、別に、カズホから指定席料金をもらっているわけじゃないから大丈夫ですよ。なあ、カズホ。ところで、いつものやつで良いかい?」
「あ、ああ」
マスターはニコニコと微笑みながらカウンターの中に戻った。
「あ、あの、佐々木君。私、他の席に移るね」
ナオはテーブルの上に広げていた問題集とノートを片付けようとした。
「えっ、何で?」
「だって、いつもの席を取っちゃ悪いし、それにご迷惑じゃ……」
「別に迷惑なんかじゃないよ。それに、さっき、マスターが言ったみたいに、この席を俺が予約しているわけでもないから、先に座ってた水嶋を追い出すようなことはできないよ」
「……すみません」
「なんで水嶋が謝るんだよ」
「ご、ごめんなさい!」
「いや、だから……。まあ、良いけど」
「……」
気まずい沈黙が続いた。
(どうしよう。他の席に移ろうかな。でも、席を移ったら、佐々木君、逆に怒りそうだし……)
沈黙にいたたまれなくて、ナオはじっと俯いたままでいた。
そっと、上目遣いにカズホを見てみると、教室にいる時と同じように頬杖を付きながら窓の外を眺めていた。