03話
ウルバヌスは廃棄された都市である。当然ながら建物の殆どは朽ち果て、インフラなどは全くと言っていいほど整えられていない。さらに言えばレスキール半島が同様の状態であり、最寄りの都市――どころか村でさえ1ヶ月近く離れているため輸送も非常に困難である。
しかし現状ではそれは大きな問題とはならない。トトや奈那を含めた3万余人は、その殆どが衣……はともかくとして、食と住を必要としない身体だからである。物資はゲームで言うところのNPC、つまり生粋のメルヴェイユ人100人名の分だけで事足りるのだ。
ゲームとして提供する以上、都市が完全に無人のままというわけには行かない。各種商店やクエスト、ナビゲートなど、ある程度の人員がどうしても必要となる。基本的に都市の発展はプレイヤー達の裁量次第ではあるものの、ある程度はコントロールする必要があるのだ。彼ら、ウルバヌスに在住するメルヴェイユ人にとってVRMMOという娯楽は概念として存在しなかったものの、今では自分達がゲームのNPCの役割を求められているという事を理解している。
例えばここ、商業通り中程にある小さい体育館ほどもある商店“雑貨屋ヘネラル”の店長アラック・ヘネラルなどは、最初に話を聞いたとき「つまりはあれか。ごっこ遊びに付き合えばいいんだな」などと身も蓋もない発言をしたものである。
そんなアラック氏はサービス開始早々“ビア樽”“ヒゲもじゃ”などという渾名をプレイヤー達に与えられてしまったが、本人は案外まんざらでもないようである。今も、初期装備のままのプレイヤー達が棚を覗き込んでいるのを楽しそうに眺めていた。
「こんにちはー」
「おう、トトちゃんじゃねぇか。いらっしゃい」
近くに他のプレイヤーがいない事を確認してからトトが声をかけると、カウンターに座った熊のような巨漢、アラックは一見凶暴ながら見慣れると愛嬌のある笑いを浮かべた。
「どうですか、お仕事の方は」
小首を傾げて柔らかい微笑みを浮かべるその仕草は、ほんの数十分前まで奈那に頬を膨らませて奈那に文句を言っていた気配はない。この姿を与えられてからの一ヶ月、トトというキャラクターとしての仕草を同僚達にみっちりと仕込まれたのだ。
智之にはこれまで演技の経験はない。そのためトトとして動き、しゃべろうとしても羞恥心を抑えられなかった。ならばどうすればいいかと考えた結果、自分自身がトトになり切るのは早々に諦め、鳥羽智之とトトは別の人間であると考えるようにしたのだ。トトの身体を動かすのはトトというキャラクターで、智之はそれを俯瞰で眺める傍観者。それは演技というよりも、小説家が登場人物を、ゲームのプレイヤーがキャラクターの事を話す感覚に近かった。
……とは言ってもあくまで別人格を作ったつもりなので、焦ったりリラックスしたときなどはつい智之としての地が出てしまう辺り、まだまだ年季が足りないようだ。
「どうもこうも殆どの客はただの冷やかしだな。何人か気の早い奴が売りに来たが、買ってくれる奴はほとんどいねぇわ」
「始まったばかりですから。でもきっともう少ししたら大忙しですよ。お店はまだここしかないんですから」
そう、現在このウルバヌスに商店はこの1軒しか存在しない。近々もう何種類か増やす予定ではあるが、現状では序盤から必要とされる初心者用装備や安価の回復アイテムを中心とした雑貨の提供と各種アイテムの買取りを行える環境を優先としたために、都市内に1軒しかないという状態になっている。
そうなると今度は、この1軒で3万人の客を捌かないとならないという問題が出てくるが、
「しっかし、あの嬢ちゃんの作った魔法道具はすげーな。試しに使ってみたが、この便利さに慣れるともう手放せねーや」
「あはは、美鳥ちゃんに伝えておきますね」
アラックがやたらと褒めているのは、何の事はない現代日本人からしてみればどの店にあってもおかしくないレジスターとバーコードのシステムの事である。開発者によって大幅なアレンジを加えられた上に簡略化されているが、細々とした取引を何度も行うようなこの場には必須のシステムである。この世界従来の大雑把なドンブリ勘定に任せるわけにはいかないのだ。
「レッテちゃんとロッテちゃんはどうしてます?」
さすがにそれだけの取引をする店を、1人だけで切り盛りできるわけはない。
手伝いとして一緒にこの都市までやってきた彼の2人の娘の姿が見当たらないため聞いてみたが、あいにく留守にしているらしく、
「まだ店の方は忙しくならねぇからな。今のうちに看板もって宣伝して回って貰ってるよ」
「そうですか、入れ違いになっちゃったみたいですね」
「どうせまだあちこち見て回るんだろ? もし見かけたら構ってやってくれや。随分とトトちゃんには懐いてるみたいだしな」
「それでは見かけたらそうさせてもらいますね」
そう言って軽く頭を下げた後、店を出る。
ついでに陳列棚を物色していたプレイヤー達に軽く手を振ってみると、彼ら……特に男性陣などは妙に嬉しそうな顔でトトに手を振り返した。中の人が男なだけに、男性が喜ぶ女性の仕草というものを、時には本物よりもよく知っていたりするのだ。
◇ ◇ ◇
店を出たトトは、南門の方へと向かっていた。
商業通りはその名の通り将来的に各種商店を揃える予定であり、東西南北のメインストリートのうち最も賑わう事となることが予想される。またヴィルラ城を正面に仰ぐ位置関係であることから、正門としての役割を担うことにもなる。
必然的にプレイヤーの人数も一番多くなり、どちらを向いても初めてのVR世界に興奮気味にキョロキョロと辺りを見回しているプレイヤーの姿が数多く見受けられた。
現状では雑貨屋ヘネラルの他は飲食店が2軒のみが営業できる状態となっており、それ以外は良くて空家、状態が悪いものになると建物が完全に崩れ落ちた廃屋が並んでいるだけとある意味殺風景なものである。
もっともこのゲームのコンセプトの1つとして“都市を蘇らせる”というものがあるので、舞台演出としてはあながち間違ったものでもないのだが。
実際、侵入禁止区画として設定した工事中の数ヶ所以外は立ち入りが自由になっているのだが、約半数のプレイヤーは童心に帰って廃墟探検を楽しんでいるようだ。
トトの頭上、友達同士でプレイしているのであろう少女型外殻の2人組が、楽しそうに空家の3階の窓から外を指差しては歓声を上げている。
すれ違う少年型のプレイヤーが目の前に浮かべている肩幅サイズの板状の物体は、この世界の通信魔法による情報の取得・表示機能を流用して作られた“ナビゲート・ウィンドウ”。そこに表示したまっさらな都市地図と目の前の狭い路地を見比べながら、近道できるかどうか悩んでいるようだ。
ほんの一日……いや、半日前まで文字通り無人だったこの街が、賑やかな喧騒と人の姿に満ちている。
そんな些細な事に胸が沸き立つような気持ちを感じながら、トトは道を歩いていく。
南門の手前には厩がある。
現在そこには3頭の馬がおり、厩番のメルヴェイユ人が飼葉を与えている最中であった。一般のプレイヤー達にとってそれはCGによって描かれた舞台演出にしかすぎない筈であるが、待ち合わせの時間つぶしなのか純粋に馬を見るのが初めなのか、それでも柵に持たれて興味深そうに眺めているものもいた。
新しい装備を手に入れられていないのであろうお揃いの麻服を着た集団の中、お揃いの赤と青の服を着た2人の少女が、他のプレイヤー達と一緒に楽しそうに馬を見ている事にトトは気がついた。
「レッテちゃん、ロッテちゃん」
「あ、おねえちゃん!」
ばっと振り向いた雑貨屋ヘネラルの看板娘2人は、満面の笑みを浮かべてトトに向かって駆け出すと、我先にと飛びついたのだった。
以前から妙に懐かれていて好意を示されるのは正直言って嬉しいものの、こうなると少々困ったのがトトである。
一応このゲームのNPCは高度かつ多彩な思考パターンを持っており、こちらの行動に対して高度なリアクションを返すと謳っている。またある程度定型文で対応出来るような店舗での応答はともかく、道端での雑談などはその言い訳でごまかすのも難しく、かと言って制限するとメルヴェイユ人の日常生活に支障をきたす事となる。よってクエスト中など特定の役割を持っていない状態の人については、会話の一切が聞こえないようにプレイヤーの外殻にフィルターをかけて、日常の街中を演出する一種の背景と受け取られるようにしたのである。
並んで馬を眺めていた他のプレイヤー達に取ってもそれは同じで、「可愛いNPCがいるなぁ」くらいにしか思っていなかったのが、急にそれが一種のプレイヤーキャラであるトトに向かって積極的なアクションを起こしたもので、これはどういう事だろうと疑問を感じたのであった。
慌てて|他のプレイヤーに聞こえないよう《内緒話モード》にして2人に注意した後、ごまかすように周囲のプレイヤーに告げる。
「キャラクターによっては好感度が設定されています。そのレベルによってはこういう特殊なリアクションを取ってくれる場合もあるんですよ」
その言葉に密かにガッツポーズをしたプレイヤーが何人かいたのを、トトは見逃さなかった。
◇ ◇ ◇
後日、レッテとロッテの「最近いろんなお兄ちゃんがプレゼントくれるんだー」という嬉しそうな報告を聞いて、トトはこの街の風紀について頭を悩ますこととなったのだった。
時間があるときよりも、無い時の方が筆が進む気がします