第一章 曖昧な輪、連鎖の始点 Ⅴ
「まあ、ここから高等法院までは十分ぐらいやけど、せっかく出会ったんやし、名前ぐらい教えてえな」
エルバさんは、マリーナさんにすり寄って行く。マリーナさんはそれを、軽くあしらう。
「いいわよ。あたしは、マリーナ・ランカスティ。見たとおりの異端審問官よ」
「へえ、まさかと思っていたけど……それにしても、今時の異端審問官には、キミみたいな綺麗な人もおんねんなぁ……そや! 後で、一緒にお茶でもどうや?」とのエルバさんのモーションに対して、マリーナさんは「あら、異端審問官をナンパする人の方が珍しいと思うけど」と軽く流した。
マリーナさんの言うとおりだ。
いくらマリーナさんみたいな綺麗な人であっても、黒い審問衣を着ていたら普通の男の人なら避ける。
実際に、マリーナさんのルックスに目を奪われた男の人が、彼女が審問衣を着ていることに気づくとすぐに目線を逸らすという光景を何度も見かけた。
「そうかなあ。オレは気にせえへんけど。いや! むしろその方が燃える!」
「あなた、もしかして審問官属性?」
属性?
「なんやねん、その属性って?」
そうだ、属性ってなんだろ?
「……まあええわ。さっき着いたばっかりやったら、すぐに仕事というわけやないんやろ? 道案内のお礼も込めて、オレとお茶でもしようや」
エルバさんは、なおもマリーナさんにモーションをかける。
しかも、お礼を自分で要求するところなんて……積極的と言いうか、図々しいというか……あなどれない!
「そうね……道案内もしてもらっているんだし……お礼はしなくちゃね」
マリーナさんもノリ気そうな素振りを見せる。
「そうや、そうや」
しかし……
「うーん、でも、あたしは異端審問官でも、まだ下っ端だから、上級審問官の許可がないと自由に行動することはできないのよね。つまり、あたしの場合だったら、第一審問管区長ルクト・ハンザ様の許可がいるわけ」
マリーナさんのやんわりとして、それでいて絶対的な拒絶をした。恐れ多いことにハンザさまの名前を出すとは……さすがはマリーナさん……これだったらエルバさんも諦めるしかないよね。
しかし、エルバさんの反応は、私たちが予想したものとは全く違っていた。
「なんや、それやったらオレが許可とったるで」とエルバさんは、なんともあっさりとした口調で言った。
このエルバさんの態度には、さすがのマリーナさんも、はあせったみたいで「あなた、本当にあたしの話を聞いていたの? 検邪聖庁の許可がいるって言ったのよ」と早口で言った。
「もちろん聞いていたで。だから、ルクトの許可を取ればええんやろ?」
そのエルバさんの口調は、自信に満ちていた。
うわぁ……この人、ハンザさまを呼び捨てにしたよ……。なんて、度胸のあ……いや、無礼な人なんだろう。
常識がないのかなぁ……?
「あなた、自分の言っている意味がわかっているの?」
マリーナさんは、呆れている。
「あたりまえやん」
ますます胸を張るエルバさん。
「じゃあ、あなたってバカ?」
「バカって言うな! せめてアホって言って」
「どっちでもいいわよ!とにかく、あんたみたいなバカが、ルクト様から許可を取れるわけないじゃないっ! それに、そもそもルクト様が、あなたみたいな人とお会いになるわけないわっ!」
「えっ? でも今朝も一緒にメシを食べたで」
「嘘おっしゃい! なんで、ルクト様があなたと一緒に朝食を食べるのよ。同じ嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつきなさいよっ!」
「だって、オレら従兄弟同士やもん」
エッ、コノヒトハ、ナンテイイマシタ……?
「あれ? 言ってなかったけ? オレの姓もハンザやねんけど。つまり、オレもハンザ家の一員というわけや」
ハンザ家―『永遠の繁栄を約束された都』と称されているティアスルートを首都に持つルカーナ大公国の君主。
そして大陸全土に支店を張り巡らせ、法王庁会計院の総財務管理者にも指定されているハンザ銀行のオーナでもある名家である。
また、代々法王や枢機卿等の教会高位聖職者を輩出していることでも一目を置かれているーと何かの本で読んだことがある。
そうか、ルクトさまって……あのハンザ家の人間なんだ。
まさかとは思っていたけど……。
エリートにしてお金持ち……あと、ルックスと性格がよければ完璧だよ……。
「オレは、ルクトと違って分家やから、わりかし自由にやらせてもらってるわけや。まあ、ルクトとは年も同じやし、気も合うから結構仲がええねんで」
「それ、本当のことでしょうね?」
マリーナさんは疑り深い目でエルバさんのことを見ている。
「あれ? なんで疑うかなあ。さてはキミ、オレに惚れたな?」
ナニヲイッテイルンダコノヒトハ?
「どうしてそういう結論になるのよっ!」
「ほら、よく恋人同士がこっそりと相手のカバンを盗み見たりするやん?」
「 ”するやん”って言われましても、まず、あたしとあなたは恋人同士ではなし、今はそんな場面でもないじゃないのよ! ああっ、あなたみたいなバカとルクト様が従兄弟同士なんて全く信じられないわ!」
うん、うん、その通りだよ。
マリーナさん、さすが。
パチパチ。
「えーっ、ルクトもこういう感じやで」
えっ、本当?
「全然違うわよ。ルクト様は、知的でクールな雰囲気を持ち、それでいて、優しさも持っておられる、これぞ貴公子といってよい方よっ!」
そ……そうだよね……。ルクト様がこんなカルイ感じのバ……のはずはないよね。
「あいつ、外面だけはええからなあ」
エルバさんは、腕を前に組んでしみじみとした感じでそう言った。
その態度が、マリーナさんをキレさせた。
「まだ言うかっ!」
マリーナさんは、本気で怒っている。彼女は、コメカミに青筋まで立てていた。
「だ、だってほんまのことやもん……」
エルバさんは、マリーナさんの剣幕に押されながらも自分の主張を曲げようとはしない。
「これ以上そんなことを言うと、魔法であなたのこと燃やすわよ」
その声から察すると、マリーナさんは本気みたいだった……でも、それだけはやめておいたほうが……せめて、水系の魔法方が……。
「す、すいません……もう言いません……」
エルバさんは、マリーナさんが呪文を詠唱し始めたのを見てすぐにそう言った。
マ、マリーナさん、その魔法は、火系の高等多要件魔法じゃないデスカ……アナタハマチヲヤキツクスキデスカ?
「わかればよろしい」
マリーナさんは、エルバさんが態度を改めたので満足そうに言った。
マリーナさんは、キレると怖いタイプなんだ……わたしも気をつけなきゃだよ……わたしって、結構失言が多いから……。
この後も、もう一度エルバさんの不用意な発言により、マリーナさんがキレかけたりもしたが、わたし達は、なんとかベルグ高等法院に到着することができた。
ふうっー、疲れたよ……。