第六章 曖昧な輪は確定せず Ⅰ-ⅰ
一四三九年八月、サヴィア侯爵領ファスラントに兵を集結していたファレンス王国軍は、エファーニア地方に軍を進めず、本国へ向けて撤退を開始した。
その理由は、ファレンス王トアス七世が法王候補として擁立していたレクラム・クレメンスが、突如行方を暗ませたからである。
レクラムという大儀を失ったトアス七世は、兵を撤退させるしかなかったが、ここで兵を撤退させれば、自分が異端者であるレクラムに協力した廉で、異端審問の場に引きずり出されることも解っていた。
そこで、トアス七世は法王庁に対して一通の書簡を送った。
その書簡には、次のようなことが書かれてあった。
1、 私、トアス七世は、ファラスト聖下の遺書を信じて行動したのであり、教会に対して逆らう意思は全くない教会の忠実なる僕であること
2、 すぐに本国へ兵を撤退させるつもりであること。
3、 今回の件の責任をとって退位するつもりであること。
しかし、法王庁は、この書簡に対して何ら反応を示さず、ファレンス王トアス七世を異端者であると宣言し破門に処した。
このトアス七世に向けられて発せられた異端宣言によって、総勢九万のファレンス軍は激しく動揺した。
元来、王に対する忠誠心が低く、封建契約上の関係にすぎないファレンス諸侯と、まさに契約関係にすぎない傭兵達は、今や教会の敵となった王の指揮下から離反し始めた。
結局、トアス七世の下に残った兵士の数は、およそ一万五千人のファレンス王国正規軍のみであった。
しかも、そのほとんどが貴族の息子達であり、彼らの中で実戦経験がある者は少なく、その士気は著しく低かった。
そして、一方、エフィアには、既に三万人のルカーナ大公国正規軍、二万人のハンザ銀行の傭兵部隊が集結し、いつでも戦える状態にあった。
このような状況では、教会から破門され異端者と看做され後がないトアス七世も、黙って撤退せざるを得なかったのである。
そして、その二週間後、ファレンス軍の脅威が去ったエフィアでは、新しい法王が選出されることになる。
俗名ルクト・ハンザ。
そして、法王名は、エフィリアス九世。
後に、『二段階創造説』を提唱し、全ての異端者を、その自らが理想とする秩序の下にひれ伏させた大法王の誕生だった。