第一章 曖昧な輪、連鎖の始点 Ⅳ
「マリーナさん、この場所ってさっき通りませんでしたか?」
「イリシスちゃんもそう思う? 実は、あたしもそう思っていたところよ。しかも、既に三回ぐらい同じ看板を見ている気がするわ」
「つまり、わたし達は、道に迷ったということですね?」
マリーナさんは、コクンと頷く。
……やってしまった…………田舎者の十八番”都会で道に迷う”。
マリーナさんがいるから大丈夫だと思っていたのに……まさか、マリーナさんが方向音痴だったなんて……。
美女なのに、方向音痴。
まあ、それぐらいなら致命的な欠点にはならなそうだけど。
しかし!
今のわたし達にとっては死活問題である。田舎者と都会出身だけど方向音痴の二人組じゃ、この広いベルグの街で目的地に着くなんて至難の業だよぉ……。
どうしよう?
街の人達も、わたし達が着ているこの異端審問官の象徴である黒い審問衣を見ると避けてしまうし……やっぱり、異端審問官って嫌われているのかなぁ……。
「こうなったら、そこらへんの人を捕まえて、審問権の名の下に、無理やりにでも高等法院への道を聞きだすしかないわね」
マリーナさんは、サラリとかなり怖いことを言った。
しかも、冗談ではなく、本気の目をしてる。
マリーナさんって……結構怖い人かも……。
わたしが、マリーナさんが近くのパン屋に入ろうとするのを止めようとしたとき、「もしかして道に迷ってんの?」と声をかけられた。
えっ……なに……?
「どうしたのイリシスちゃん?」というマリーナさんの声が聞こえる。
しかし、わたしは、応えることはできなかった。
お兄ちゃんと同じ言葉だ……。
「ねえ、イリシスちゃん、どうしたの?」
あ、あのう、言葉が……。
「イリシスちゃん、口をパクパクさせているだけで声が出ていないわよ」
「なんかオレ、彼女に指を指されているんやけど……オレが悪いん?」
「……言葉」
わたしは、何とか声に出すことができた。
「言葉? もしかして、オレのルカーナ語のことかな?」
わたしは、うんうん! と激しく首を縦に振る。
「でも、ルカーナ語って、そんな大層なリアクションを採るほど珍しいもんちゃうやろ?」
そうか……お兄ちゃんが喋っていた言葉って……
「ルカーナ語っていうんだ?」
わたしは、ようやく言葉を普通に出せるようにになってきた。
ルカーナ語かぁ……その言葉を聞くと、懐かしく、それでいて、とても心が締め付けられる……切なくなる感じがする。
ルカーナというのは、あのルカーナ大公国のことかなぁ……?
だとしたら、お兄ちゃんは、ルカーナ大公国の出身だったんだ。もしかしたら、この人がお兄ちゃんと知り合いだったり……しないよね?
そう偶然が何度も起きるわけはないか……。
わたしは、落ち着きを取り戻してきたので、このルカーナ語を喋る男の人を観察することにした。
年は、二十代半ばぐらい。髭を生やし、黒い髪をオールバックで固めている。
背も高く綺麗な顔立ちをしている。
カルい雰囲気を持っているけど……まぁ、はっきり言ってカッコイイ。
でも、わたしの趣味じゃないけど……だって、なんだか遊んでいるって感じがするもん。
「なんや、お嬢ちゃんはルカーナ語も知らへんのか?」
「し、知っています!」
わたしは、思わず叫んでしまった。
このわたしの態度に、ルカーナ語の男の人とマリーナさんはかなり驚いているみたいだ。
「そんなに大声を出さんでもええやん……。もしかして、オレ、なんか気に障ることを言った?」
ルカーナ語の男の人はすまなそうな顔をしている。
……少し、もうしわけない感じがした。
「……違います……ただ、その……昔、ルカーナ語を喋っていた人が近くにいたので……それでつい……すいませんでした……」
わたしは、頭を思いっきり下げた。
「なんか訳ありみたいやな。まあ、人はそれぞれなんか抱えながら生きてるんが普通や。詳しことは聞かんことにしとくわ。ところで、あんたら道に迷ってるんやろ。オレ、この街のことなら結構詳しいから案内したろか?」
「本当! ぜひお願いするわっ!」
この提案に、マリーナさんは、一も二もなく飛びついた。
まあ、さっきまで道を聞くために、審問権濫用しようとしたぐらいだったのだから無理もないけど……。
「まかしとき!キミみたいな美人のためならこのエルバ、全力で案内させてもらうで! ブルンブルンやで! おっと、もちろんそこのお嬢ちゃんのためにもやで! コンチクショウ!」
この人……テンション高っ!
しかも、わたしのことはついでみたいだし(それに、コンチクショウってなに?)。
まあ……仕方ないよね……わたしとマリーナさんだったら、女性としての魅力では全然勝負にならないもん。
でも、わたしみたいな子供っぽい女の子のことが好みの人もいるかも……って、そんな人はロリコンじゃないのよ!
(さっきから同じツッコミを自分で入れているし……わたし、大丈夫?)
そんな人にモテても仕方ないよ!
むしろ、そんな人にモテたくないし!
とにかく、わたし達は、このエルバさんに高等法院まで案内してもらうことになった。