第五章 世界の瑕疵-『扉』 Ⅱ-ⅴ 【ルクト】
イリシスの姿は、まるで壊れかけた自動人形のように、ギコチなく、そして哀れだった。
イリシスの中で何かが起こっている。
僕は、直ぐにでもイリシスに駆け寄り、その身体を抱きしめたかった。
しかし、そんなことをしても何の解決にもならないのは分かっていた。
今、イリシスの身に起きていることは、"こちら側"のことではない。
僕は、歯を喰いしばり、拳を堅くし、イリシスを見つめた。
身体中を痙攣させ、涙を流し、鼻水が垂れ、口から涎を流しているイリシスの姿を、僕は目を逸らさずに見つめる。
僕は、イリシスから目を逸らしてはいけない。
僕には、目を逸らす資格はない。
「イリシス!」
僕は、イリシスに向かって叫んだ。
突然、イリシスの痙攣が治まったのだ。
イリシスは、ゆっくりと顔を僕の方へ向けた。
世界を映さない虚ろな瞳。
「……『扉』」
僕の思考は、何かから逃れるかのように激しく巡る。
"焦燥感"が僕の思考を鋭敏にする。
『世界の瑕疵』。
"在って"はならないもの。
”抹消”すべき存在。
消せ。
消せ。
壊せ。
壊せ。
世界のために"抹消"しろ。
イリシスを"抹消"しろ!
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
イリシスの痙攣が伝播したかのように、僕の身体が震えだした。
鋭敏となっている思考が、僕に告げる。
残酷なことを僕に告げる。
悲しいことを僕に告げる。
「……なんでや……そんなはずないやろ? ……だってイリシスは、先生の『成果』やねんから……」
「ルクト、落ち着け」
誰や?
誰かいるんか?
僕以外にイリシスのこんな姿を見ているヤツがいるんか?
見ないでくれ。
見ないでくれ。
見ないでくれ。
イリシスは、普通の女の子や。イリシスには幸せになる権利があるんや。
イリシスは、もう十分に苦しんだんや。
もうええやないか?
もうイリシスを解放してやろうや……?
「ルクト!」
……レクラム?
レクラムが、僕の目の前にいた。
レクラムの手が僕の両肩を痛いくらい強く掴んでいる。
「しっかりしろ。大丈夫だ。まだ、テレーズは完全に『扉』にはなっていはいない」
「なんや? そのテレーズというのは? なんでおまえはイリシスのことをテレーズって呼ぶんや……?」
僕は、何も考えずそう聞き返していた。
「彼女のことは、貴様達が『オステルの書』と称している先生の研究ノートに書いてあった。それによれば、テレーズを『扉』にしない方法はある」
……『オステルの書』……そうか……やっぱりレクラムが持っていたのか……?
僕は、無言でレクラムの次の言葉を待った。
「それは、ルシアとテレーズを『共鳴』させることだ」
そのレクラムの言葉が、この舞台の開幕の合図だった。