第五章 世界の瑕疵-『扉』 Ⅱ-ⅲ 【ルクト】
やはり、その女は『扉』か……。
『扉』。
とびら。
トビラ。
"こちら側"と"向こう側"を繋ぐ、文字通りの『扉』。
それを使えば、魔法を使う能力がない者、即ち、『行為無能力者』であっても魔法を発現させることができると言われている。
具体的には、『扉』を使用することにより、魔法発現過程における『立証』段階を省略することができるようになるのだ。
通常、『行為無能力者』であっても、魔法に関する知識さえあれば『提起』と『要件定立』段階までは行うことは可能だ。
しかし、定立した要件の証明度を上げること、つまり『立証』を行うことは、『行為無能力者』にはできない。
したがって、結局彼らは、『提起』、『要件定立』によって開かれた"むこう側"から流れ込んで来る『魔』に取り込まれてしまうことになる。
魔法発現過程の核心は、『立証』段階だ。
そして、『扉』は、その重要な『立証』という過程を省略させる為、『行為無能力者』であっても魔法を発現させることが可能となる。
この教会の魔法独占体制の最大の脅威となり得る『扉』の存在を、聖俗両方の世界に知らしめたのは、今、僕の目の前にいるこの男―
『元聖ルゴーニュ修道騎士団総長』、レクラム・クレメンスだ。
レクラムは、教会が『オステルの書』と呼んでいる『オステル先生の覚書』に基づき、『扉』を生成したと言われている。
この行為により、レクラムが総長を務めていた聖ルゴーニュ修道騎士団は、異端の集団と看做され、"抹消"に追い込まれた。
当時、聖ルゴーニュ騎士団には、一一七名の騎士達がいたが、その内の一一〇名が、異端者として火刑台へ送られた。
しかし、レクラムを含めた六名は逃亡し、姿を暗ませた。
聖ルゴーニュ修道騎士団の罪状、それは、"『扉』の生成"だ。
同騎士団は、『扉』の生成を組織的・継続的に行っていたため、異端審問にかけられ、"抹消"されたのである。
その審問の過程『扉』の生成方法が判明すると、異端審問官達は、何度も自らの感情を露にした。
聖職者としての客観的良心と法に基づいて、冷静かつ公正に職務をこなすことを旨とする異端審問官達が、その職務執行中に自らの感情を露にすることなど珍しい、寧ろあってはならないことだ。
しかし、『扉』の生成方法は、その異端審問官達さえも激しく動揺させた。
『扉』の材料は、"人"だったのだ。
特に、成人前の女性が適していると言われている。
レクラムは、『扉』の材料として少女達を、聖ルゴーニュ騎士団領レフェンドル島にある同騎士団本部施設に集めた。
まず、レクラムは、少女達を『魔』に感染させ、心が『魔』に取り込まれる段階まで地下施設に監禁した。
少女達は、自らが壊れていく恐怖に心を壊しながら、『扉』の材料に適するまで放置された後、次々と『扉』へ生成されていった。
しかし、生成が成功した例は非常に少なかったようだ。
現在までに教会が確認できているのは、レクラムがいつも連れている一体だけだった。
いったいどれぐらいの少女達が犠牲になったかについては、はっきりとは分かっていない。
しかし、法王庁の公式文書に、二千人から三千人と記されていることに鑑みれば、かなりの犠牲者がいたということは確かだと思う。
本来ならば、教会が目指す秩序を擁護すべき修道騎士団が、かかる異端行為を犯したことは、聖俗両世界に激しい動揺を与えた。
しかし、その中心にいたレクラムが、『何を考え』、『何を求めていたのか』については、誰一人として分からなかった。
実際にレクラムの指揮下で『扉』の生成に関わっていた騎士達でさえ、レクラムの『意思』を知らなかったのだ。
もし、レクラムが求めていたものが解る者がいたとしたら、それは、同じ師について、同じ理想を追い求めていた僕しかいない。
僕とレクラムは、オステル先生の下で互いに能力を高め合った、いわばライバルと言える関係だった。
かつて、僕は、レクラムに自分の可能性を見い出し、そして、レクラムも僕に自分の可能性を見い出してくれた。
僕たちは、互いを尊敬し、憧れていたのだ。
あの頃の僕達は、『秩序』とは如何なるものか、如何なるものを理想の『秩序』とすべきかについて議論ばかりしていた。
しかし、成長するに連れ、相手に自分の可能性を見出せなくなっていった。
それどころか、相手方の考え方、行動の全てが許せなくなってしまった。
僕は、レクラムを『自己中心的な頑固者』と言い、
レクラムは僕のことを『妥協を秩序とする憶病者』と言った。
そして結局、互いを理解することはできないままオステル先生の下を巣立ったのだ。
その後僕らは、教会律法師、修道騎士として、異なる道を歩み始めた。
自分の道を歩み出した僕達は、お互いの場所で着実に実績を積み重ねていった。
そして、十六歳の若さでそれぞれ枢機卿・第一審問管区長、聖ルゴーニュ騎士団総長の地位を手に入れることができた。
ハンザ家とクレメンス家という何人もの法王、枢機卿を輩出してきた家の出身である僕達は、特に優れた能力がなくても栄達が約束されていた。
しかし。これほどまでの短期間で検邪聖庁、騎士団総長の地位を手に入れることができたのは、僕達自身の能力の高さ故だと自負している。
僕らは、互いを否定しながらもその能力を認め合い、この世界の秩序を守るために戦っているという点では同じだった……そう……同じだったのだはずだった……。
それなのにレクラムはこの世界の秩序を裏切った。
そして今、そのレクラムが、『世界の瑕疵』である『扉』を連れて僕の目の前にいる。
いったいレクラムの目的はなんや?
聖座が欲しいわけではないはずや。こいつは、そんなことに価値を見出すヤツではない。
どちらにせよ、レクラムがこの一連の馬鹿げた騒動をでっち上げたのは、僕に会うためだということだけはわかる。
今や、第一級の異端者であるレクラムが、検邪聖庁であり聖座の候補でもある僕と会うためには、これほどの馬鹿げた騒動を起こさなければならなかったのだろう。
そして、その騒動の最後に配置された舞台には、エルバも関わっている……いや、むしろエルバが脚本と演出を担当しているのか。
僕には、教会原理主義者であるエルバと第一級の異端者であるレクラムの利害が一致するとは思えなかった。
しかし、レクラムがエルバが用意した舞台に立っているのは事実だ。
僕の頭の中に"もし、ここでレクラムに『扉』を使われたら……"という疑念が過ぎった。
魔法の能力は、修道騎士であるレクラムよりも、教会律法師である僕の方が上だ。
しかし、今レクラムの手には『扉』がある。正面からぶつかれば、僕に勝機はない。
たとえ『要件定立』までは、僕の方が早くても、『立証』段階を省略する『扉』を使われたら、それで終わりだ。
……こちらから先にしかけるか……しかし、その前にイリシスの身の安全を確保しなくては……。
僕とレクラムがぶつかり合えば、高等多要件魔法同士の戦いになる。
そうなれば、いくらイリシスが、あのルッツ卿の下で魔法を学んだとはいえ、無傷ではすまないだろう。
最悪、跡形もなく消えてしまうかもしれない。
どうする……。
「レクラム!」
――?
突然、鋭い影が僕とレクラムの間に割り込んできた。