第五章 世界の瑕疵-『扉』 Ⅱ-ⅱ 【イリシス】
「……レクラム?」
まさか、この男の人が、あのレクラム・クレメンス……でも、どうしてこんなところに?
まだ、ファレンス軍はエファーニアに入っていないはずなのに……。
『異端者』
『奇形なる聖騎士』
『扉』
これらレクラム・クレメンスを取り巻く言葉の中で、わたしは、特に『扉』という言葉が、強く印象に残っていた。
『扉』-世界の瑕疵。
わたしは、『扉』については、これ以上のことは知らない。
教会聖職者といえどもその存在を正確に知る者はほとんどいないと言われている。
でも、レクラム・クレメンスが『扉』に関係しているということを、知らない者はいないはずだ。
「で、レクラム。わざわざエルバと組んでこんなおもろい舞台を用意したのはなんでや? 横にいるその"彼女"に、自分のカッコイイところを見せるためか? それで、『もう……レクラムって本当にカッコイイんだから、キャッ!』って言わせるつもりなんか?」
お兄ちゃんは、まるでいつも会っている友達に話し掛けているようだった。
でも……お兄ちゃん……汗をかいている……?
お兄ちゃんの背中に触れているわたしの手が、湿っていく……。
お兄ちゃんの鼓動が速くなっていくのを感じる。
「そんなところだ。そうだ、まだおまえに彼女を紹介していなかったな」
レクラム・クレメンスは、そう言うと隣にいる女の人の手を引き、お兄ちゃんの前へ進ませた。
「オレの婚約者だった、ルシアだ」とレクラム・クレメンスが言ったとほぼ同時に、空を覆っていた雲が晴れ、蒼白の月の光が女の人をゆっくりと照らし始めた。
透き通るような白い肌。
風に流れる金色の髪。
そして、
世界を映さない虚ろな瞳
……なに……この人……確かにすごく綺麗な人だけど……こわい……なんだか……こわいよ……。
いったいなんなの?
まるで "こちら側"のヒトじゃないみたい……まさか、"魔物"……?
あれ?
お兄ちゃん、震えている?
どうして?
お兄ちゃんは、この女の人に恐怖を感じている……?
「イリシス、いつでも逃げれるようにしておくんや」
お兄ちゃんは、小さな声でそう言うと、一歩前に踏み出した。
それは、わたしを少しでもその女の人から遠ざけようとしているようだった。
「すごい美人やん、おまえにはもったいないぐらいやな」
「それを言ったら、貴様の後ろにいる娘……確かイリシスといったか。その娘も貴様にはもったいないではないのか?」
レクラム・クレメンスは、わたしのことを見てきた。
その視線は、とても鋭く冷たい。
しかし、彼の視線から感じる恐怖と"彼女"から感じる恐怖は異質なものだ。
彼のものは、まだ理解できるものであり、"彼女"のものは、理解できないものだった。
もっと根源的な恐怖。
本能的な恐怖。
レクラム・クレメンスがわたしに向けている視線を、お兄ちゃんが身体で遮ってくれた。
「ああ、そうやな。お互い"惚れる"と大変やな」
お、お兄ちゃん!
な、な、なに言っているのよ!
こんなときに、そんな冗談言わないでよっ!
……本当にもう……お兄ちゃんのバカっ……。
「そうだなルクト……お互い、本当に遠い存在に憧れたものだな……」
一瞬の間……そして、
「そうやな」
お兄ちゃんは、悲しそうに笑った。