第五章 世界の瑕疵-『扉』 Ⅰ-ⅵ 【イリシス】
「テレーズ?」
気がついたら、振り返りそう聞き返していた。
まるで、その『テレーズ』という言葉に操られたかのように……。
わたしに対して声をかけてきたのは、お兄ちゃんと同じ年ぐらいの男の人だった。
怖いぐらいに整った顔をしていた。いわゆる"美形"というやつだ。
わたしは、最近マリーナさんやエルバさんといった"美形"の人達に囲まれていたから、ちょっとやそっとの"美形"では怯まない自信はあったけど…………でも、ここまで"美形"だと、その自信も打ち砕かれてしまう。
しかも、スタイルもバツグンだった。
……足、長すぎ……。
でも、わたしの好みじゃないな。
ここまで完璧だと、反って魅力を感じなくなる。
やっぱりどこか"欠点"がないと……って!
別にお兄ちゃんのことを言っているんじゃないよ!
確かに、お兄ちゃんも"ルクトさま"のときは、かなりカッコイイけど……って……それはともかく……。
男の人の隣には、女の人が立っていた。
月が雲に隠れているため、その女の人の顔は、よく分からないけど、わたしと一回りも離れていないように見える。
「そうだ。君はテレーズじゃないのか?」
テレーズ?
誰それ?
……そうか、今わたし、この男の人に『テレーズ』って呼びかけられたんだった。
危ない危ない。
また妄想モードに入ってたよ(これって、やっぱり病気かな?)
テレーズって?
そんなのわかんないよ。
わたしは、『テレーズ』なんかじゃない。
だから、「違います」とはっきりと言った。
しかし、男の人は「いや、君はテレーズだ」と断言した。
「だから、違いますって!」
わたしは、ムキになって言い返してしまった。
男の人が言う『テレーズ』という言葉に過敏に反応している自分に気づいていた。
わたしは、イリシスだ。だから、『テレーズ』なんて呼ばれる覚えはない。
そんな知らない名前で呼ばれるなんて不愉快だ。そんな知らない名前で呼ばれるなんて、
まるでわたしが……『イリシス』じゃないみたいだ……。
どうして、知らない人に、こんんなわけの分からないことを言われなくちゃならないの!?
そんなことを言われる筋合いはないよ!
そうだ。
この男の人は、頭がオカシイ人なんだ。
もう関わるのはやめよう。
わたしは、男の人のことは無視して宿に戻ることにした。
「ルクトは、まだ来ないのか?」
……ルクト?
この人……お兄ちゃんのことを知ってるの……?
しかも、お兄ちゃんと会う約束をしているみたい……どういうこと?
わたしは、男の人に背を向けるのを止め、今度はしっかりと向き合った。
そして、一呼吸を置いて「貴方は、誰ですか?」と言った。
「キミが、テレーズなら答えよう」
……なによそれ?
だから、わたしは『テレーズ』なんかじゃないって言っているのに!
「貴方は、ルクト・ハンザ様を御存じなのですか?」
「キミが、テレーズなら答えよう」
……この人も頑固だ。
でも、わたしも負けないよ。
がんばれ!
わたし!
しかし、気合を入れて言った「貴方は……」というわたしの言葉は、「キミは、テレーズだ。どうして、それを否定する?」と男の人の強い言葉によって遮られた。
この男の人の態度に、わたしはカチンときた。だから、
「私は、イリシスです!」と叫んだ。