第五章 世界の瑕疵-『扉』 Ⅰ-ⅲ
エルバは、フィナとの会談を終えると、マリーナを部屋に呼んだ。
エルバのフィナに対する印象は、"扱いにくそうだが使えそうな人間"というものだった。
彼にとって"使える"いうことは、"教会秩序の維持と発展に有益である"ことを意味し、同時にそれ以外を意味しない。
歴代の『教会の目』の中でも彼ほど優秀で教会秩序の為に自分の全てを捧げている者はいなかった。
『教会原理主義者』。
これが普段の仮面の下に隠されているエルバの素顔だった。
「マリーナ・ランカスティ、入ります」という言葉とともにマリーナが姿を現した。
エルバは、彼女を両手を広げて歓迎してみせた。
しかし、それはあくまで"表面上"のことであることは、エルバの顔に浮かべられている"敵意ある笑み"見れば明らかだった。
そして、エルバは、唐突に切り出した。
「今夜、レクラム・クレメンスがこの町を訪れる。もちろん、"彼女"も一緒だ」
このエルバの言葉を聞いたマリーナは目を見開く。
そして、自ら語るべき言葉を捜した。
しかし、その行為はエルバによって遮られた。
「最初に言っておく。余計なことはするなよ」
普段の表面的なエルバしか知らない者が聞けば、自分の耳を疑うだろう。
それ程、冷たく一欠けらの人間性を感じさせない響きを持った言葉だった。
「貴官も教会の一員であるなら、任務の際には私心は捨てろ。今貴官の生があるのは誰の恩恵によるものかもう一度よく考えることだ。オレは、元より貴官のことを信用していない。一度教会秩序を裏切った者は、もう一度同様のことをする。それが異端者だ」
「……私は、異端者ではない」
マリーナは、反抗的な態度でエルバを睨みつけた。
「異端者は、みな同じことを言う。『私は、異端者ではない。異端者であるのは貴方だ』と。もちろん、オレに向かってそんな言葉を吐きかけた者達は、みな火刑台に登り、そして消えていったがな」
エルバは、淡々と言葉を紡いでいく。
「オレにとって貴官らが異端の集団だったかどうかなんて重要なことではない。それよりも、教会秩序の擁護者であるはずの修道騎士だった貴官らが、自分達の影響力を考えずにあのような行為に及んだこと自体が許せない。あの事件が冤罪だったかどうかよりも、教会秩序を揺るがす隙を作ったことが、レクラム・クレメンスをはじめとする貴官らの罪だ。そのことを忘れないことだな」
エルバは、マリーナの返事を待った。
しかし、それはいくら待っても返ってこなかった。
代わりに返ってきたのは、「貴方に何がわかる」というマリーナの悲痛な声だった。
そして、その声は、次の瞬間爆発した。
「貴方に何がわかるというんだ!」
興奮したマリーナは、エルバの座る机に拳を怒りに任せて叩きつけた。
「貴方には分からない! 貴方のような人間には、人の想いなんてわからないんだ! その想いによって、人は強くもなれるし、弱くもなれる。それを、弱さの側面だけ捉えて、それを罪だと決めつけるなんて最低の行為だ! そんなに秩序が大事なのか! 人一人の想いよりも秩序の方が大事なのか!」
マリーナは、今まで溜まっていたものを全て吐き出すように叫び続ける。
もう自分でもよく分からない状態になっていた。
「秩序! 秩序! 秩序! なによそれ!? 貴方は、自分が愛した人でも秩序の為なら喜んで犠牲にするんでしょ! それっていったいなんなのよ! 理解できない! 理解したくない! 教えてよ! 貴方が言う異端者であるあたしに、判りやすく教えてみなさいよ! あのときあたしにしたように、力づくでもなんでもいいから! さあ!」
そして、言葉が途切れる。
沈黙……深い沈黙……。
マリーナは、静かに息を整えている。
そして、それをただ注視するエルバ。
数分後、その沈黙は、エルバによって破られた。
「言いたいことはそれだけか?」
沈黙を守るマリーナ。
「もう一度聞く。言いたいことはそれだけか?」
エルバは、そのマリーナの沈黙を肯定とみなし、「では、もうさがれ」と言った。