第四章 曖昧な輪は望む者の手の中に Ⅳ-ⅰ
ルクトが『聖女』を連れて失踪したことは、翌日の正午までには法王選出会議の元老達全員に伝わり、同会議が緊急招集された。
そして、太陽が少し西に傾く頃には、同会議の名において、聖ルッツ救護騎士団に対して、ルクト捜索の命が下された。
教会軍に加わるために聖ペテル宮に待機していた二十名の聖ルッツの騎士達の中から五人の騎士達が選抜され、ルクト捜索の任に就いた。そして、その五人の中に、フィナの姿もあった。
「いったい何を考えているのよ……ルクトさんてば……」
フィナにとって、ストアでの暮らしは、とても楽しいものだった。
それは、自分が、その場所に存在しているのは、"教会の務め"としてであることを忘れそうになるほどだった。
村の外れの小さな家で二人で住んでいる仲の良い兄妹。
村にある小さな教会に住む優しい老人。
そして、毎日がお祭り騒ぎの酒場、そして、それを取り仕切る自分。
とても楽しく、充実した毎日だった。
しかし、その毎日は、"作られたもの"……、『嘘』だった。実際ストアで行われていたことといえば、一人の少女を騙して、教会のために利用すること……それ以上でもそれ以下でもなかった。そして、そんな残酷な現実を知らなかったのは、イリシスだけ……。
当時フィナは、ルクトを除けば誰よりもイリシスの近くにいた。
イリシスが本当に楽しそうに毎日を過ごしているのを間近で見ていたのだ。
だから、ふと自分がイリシスを騙している側人間であることを思い出すと、心がざわついた。
そして、何の葛藤もなく"お兄ちゃん"を演じているように見えたルクトに対して徐々に苛立ちを募らせるようになっていった。
もちろん、フィナも自分が"加害者"であることは分かっていた。
ルクトに対して苛立ちを感じることは筋違いであることは分かっていたのだ。
しかし、ついにある日、フィナは自らの苛立ちを抑えきることができず、ルクトに対して「猊下は、イリシスちゃんをどう思われているのですか?」と問い掛けてしまった。
それは、教会の人間として著しく不適切な行為だった。
ルクトは、そのフィナの問いに対して「彼女は、オステル先生の『成果』であり、先生が『異端』ではないことを証明するための手段ですよ。私にとってそれ以上でもそれ以下でもありません。
ノバルティ司祭も、"彼女"が研究対象であることを忘れないようにして下さい。そうしなければ、正しい判断ができなくなります」と答えた。
フィナは、このルクトの言葉に対して怒りすら覚えた。
フィナには、イリシスを単に"研究対象"と考えている男が、どうしてあんなに自然に"お兄ちゃん"としてイリシス接することができるのか全く理解することができなかったのだ。
それ以降、フィナはルクトに対して何も言わなくなった。
言っても不愉快な答えが返ってくるだけだと思ったからだ。
そして、イリシスに対して自らの結論を出したルクトは、聖界の中央へ復帰すべくストアを去った。
イリシスを、単なる"モノ"であるかのように捨てて……。
左手首を切ったイリシスを発見し、治療したのはフィナだった。
ルクトがいなくなった当初は、イリシスも特に変わった様子はなかった。
だから、フィナも安心してこれからのイリイスの未来へ思いを馳せていたのだった。
『べつに、あんな書物馬鹿なんていなくなっても寂しくないですよ。むしろ家が広くなった分だけかえって良かったですし……。それに、わたしには、フィナさんやルッツさま達がいますからね』と、イリシスが笑顔で言っていたことを、フィナは今でもよく思い出す。
思い出したくなくても思い出してしまう。
そして、あのときのイリシスの本当の気持ちに気づいてあげられなかった自分を責めてしまう。
責め続けてしまう。
イリシスに対する『罪悪感』が、フィナの心を昏く満たしていく。
「今度こそイリシスちゃんを助けるのよ……同じ過ちは繰り返しちゃいけない」
フィナは、自ら背負いし『罪』を改めて認識した。