第四章 曖昧な輪は望む者の手の中に Ⅰ
ファレンス王トアス七世が、法王領エファーニアとの国境サヴィア侯領ライラントに兵を集結させはじめたという噂は、またたくまに大陸全土を駆け巡った。
それにより、親教会派と反教会派の君主・諸侯達は、緊張を高めることとなったが、彼らは互いに牽制し合うだけであり、実際に何か目立つ行動を起こそうとする者はほとんどいなかった。
ただ、各国の駐エフィア大使や情報官達が、法王庁の周囲で慌しく確実な情報を求めて動いていた姿を、エフィアの人々は日常風景として見ることとなった。
トアス七世がエフィア、具体的には法王庁に向かって軍を動かしている表向きの理由は,三ヶ月前に亡くなった法王ファラスト三世が、亡くなる直前に自分の後継者として指名したレクラム・クレメンスを、次の法王座に就かせるためである。
通常、新しい法王を選出するためには、まず、枢機卿会議で候補者を選定しなければならない。
次いで、その候補者が法王として相応しいか否かを法王選出会議が審査し、同会議が承認すれば、その者が新しく法王座に就くことになる。
しかし、前法王が没してから既に三ヶ月が経つというのに、まだ、新しい法王は選出されていなかった。
そして、ある日レクラムを自分の後継者に指名した前教皇の教書を持った、トアス七世の使者が法王庁を訪れた。
トアス七世は、レクラムの後見人を名乗り、彼を法王座に就けることを法王庁に要求してきた。
確かに、法王は自らの後継者を指名する権限を持っている。
しかし、右権限は、枢機卿会議の選定に代わるものにすぎず、法王座に座るためには、さらに法王選出会議の承認を必要とする。
そして、法王選出会議は、四対一でレクラムの承認を否決した。
ここで終わったのではあれば、これほどの騒ぎは大きくならなかったのだが、かかる結果を聞いたトアス七世が、「法王選出会議は、対立候補が存在しない場合には承認を否決することはできない」と主張し、右承認否決は無効であるとして争ってきた。
確かに、新法王選出手続は明文化されておらず、今までの慣習に基づいて行われてきた。
そして、対立候補が存在しない場合において、法王選出会議がその候補の承認を否決した先例はなかった。
したがって、かかるトアス七世の主張は全く失当というわけではなかったことから、その主張の当否が問題となった。
しかし、法王選出会議は、以下の二点を理由として、トアス七世の右主張の当否については判断を下さなかった。
第一、 そもそもファラスト三世の教書自体が偽物である。
第二、 レクラム・クレメンスは、異端者であり、法王候補資格欠格事由者にあたる。
右法王選出会議の採決に対して、トアス七世は、『右採決は同会議の権限濫用であり、事実上レクラムは法王に選出された』と反論してきた。
そして、自らの主催の下、ファレンス王国南部にある聖ルフィア大聖堂において新法王の戴冠式を挙行した。
こうしてこれまでの長いライン教会の歴史の中でも前代未聞である対立法王が誕生したのである。