第三章 曖昧な輪の欠落 Ⅱ-ⅶ 【イリシス】
お兄ちゃんは、わたしの背中に手をまわし、わたしを抱きしめてくれた。
わたしは、少し戸惑いを感じながらも、直に、お兄ちゃんのその優しい抱擁に身を委ねた……。
「イリシス、この傷……」
わたしは、お兄ちゃんが何を言いたいのかは分かった。
……でも……本当のことなんて、お兄ちゃんに言えるわけないよ……。
「この傷? お料理をしているときに怪我しただけだよ。だから、心配しないで」
兄ちゃんは、このわたしの空々しい嘘に、ただ、「そうか……」と応え、床に落ちている包帯を、私の右手に巻き直してくれた。
おそらく、お兄ちゃんにはこの傷の意味が分かっていたのだろう。
そして、全てをわかった上で、それ以上わたしに何も言わなかった……。
それがお兄ちゃんの優しさなのか、それとも、わたしの”弱さ・を直視することできなかったからのかはわからない。
……けど、たぶん……それは、わたしには分からなくても良いことなのだ。
だって、わたしは、お兄ちゃんが傍にいてくれることしか望んでいないから……。
そして、わたしがお兄ちゃんの傍にいるためには、もうお兄ちゃんには、昔のように接してはいけない……。
……でも……お兄ちゃんは、今、わたしの傍にいる。
どんな形であっても、お兄ちゃんと一緒にいられるなら、わたしはそれでいい。
だって……それがわたしの願いだから……。
わたしは、お兄ちゃんの胸から身体を離すと、数歩後ろに下がり、お兄ちゃんに対して恭しく跪いた。
「ハンザ猊下、第一審問管区長付異端審問官イリシス・リヒトフォーエン、ただいま到着しました」