第三章 曖昧な輪の欠落 Ⅱ-ⅱ 【ルクト】
まさかこんなことになるなんて……あんなにはしゃいでいた自分が情けない……。
エルバは、僕と別れるとき「逃げるなよ」と言った。つまり、エルバは、この僕とイリシスの再会を画策したのだ。そして、僕は、それにまんまと乗せられた。
エルバ・ハンザー『ハンザ銀行エフィア支店長』。
ハンザ銀行の各支店の支店長は、その担当地域の情報官としての側面を有している。
特に、法王庁会計院総責任者として指定されているエフィア支店の支店長は、ハンザ銀行の全支店の中でも最も重要な地位にあった。
エフィア支店長は、法王庁会計院のトップという表の顔と、『教会の目』という法王庁の情報官という裏の顔の二つの顔を持っている。
他の支店長がハンザ家の情報官であるのに対し、エフィア支店長は、あくまでも法王庁の情報官である。
つまり、エフィア支店長は、ハンザ家の利益ではなく、教会の利益を第一にして動く。
エルバは、僕の親友であり信頼のおける従兄弟であるが、彼が『教会の目』であることには変わりはない。
したがって、今回のエルバの行動にも納得してるし、又、納得しなければならない。
それよりも、今のこの状況に対して如何に対処するかを考えなければならない。ここまで来たらもはや誤魔化すことはできないだろう……。
それに、嘘を重ねることで返ってイリシスを傷つけることになってしまう。
それだけは駄目だ……もう僕は、イリシスを傷つけたくはない……。
イリシスが、この世界の流れの中で生きていかなければならないのであれば、僕はその中でイリシスを守っていく。
僕がイリシスを騙していたことによって、彼女が僕を恨もうとも、僕はそれを全て受け止める。
僕は、自ら信じる秩序のために彼女を利用した……しかし、今でも僕は、それが間違っていたとは思っていない。
僕にとって、彼女にとって、そしてこの世界の秩序にとっての最善の方法だったと確信している。
イリシスを利用しても守らなければならないものが僕にはある。
『世界の秩序』。
僕は、ハンザ家の人間として、教会の一員として、そしてなによりも、『異端の聖人』、ピエト・オステルの弟子として、この世界の秩序を守らなければならない。
それが、僕の”存在理由”だ。
僕は、イリシスの方に振り返った。
イリシスの目には、今にも零れ落ちそうなぐらい涙が溜まっていた。
……イリシス。
僕は、イリシスから目を逸らしたい衝動に駆られた。
しかし、そうすることはできない。そうしてはいけない。
僕は、イリシスと向き合わなければならない。
そして、はっきりと自分の口で伝えなければならない。
一の『悲しみ』は、千の『可能性』に繋がる。
だから、いくら『残酷』な行為に思えてもそれに拠らなければならないときもある。
少なくとも、今がそのときだ。
「”はじめまして・という言葉を、貴方に使うことは適切ではないのかもしれません。私が、第一審問管区長のルクト・ハンザです。今後あなたの上級審問官となります。リヒトフォーエン司祭、貴方の活躍を期待しています」