第三章 曖昧な輪の欠落 Ⅱ-ⅰ 【イリシス】
「もう全然わかんないよっ!お兄ちゃんっ! ちゃんと説明してよっ!」
ここは、ベルグ高等法院の一室。
たぶん、この法院における重職者のための執務室だろう。
今、この部屋にいるのは、わたしとお兄ちゃんの二人だけだ。お兄ちゃんは、わたしに背を向けている。
さっき、カフェで詰め寄ったわたしに対してお兄ちゃんは、「場所を変えよう」と言って、わたしをここまで連れてきた。混乱していて頭に血が上っていたけど、さすがにこう人目が多いところで話すことではないと思い、お兄ちゃんに黙って従った。
この部屋に入るまでの間、私たちは終始無言だった。
歩いている間に、混乱していたわたしの頭も、次第に冷静さを取り戻してきた。
すると、今度は、ひどく不安になった。自分の足下に、突然ポッカリと大きな穴が開いたような感じた……。
本当に、お兄ちゃんはルクトさまなの?
じゃあ、ルクトさまはどうしてわたしと一緒に暮らしていたの?
わたしはいったい……なんなの……?
……わたしには、八歳以前の記憶が全くない……。
わたしの記憶は、お兄ちゃんと一緒に暮らしているところから始まる。
わたしがルッツさまから聞いたルクトさまの経歴―。
十年前に始まった大規模な異端審問に『検邪聖庁』の一人として参加。
その後期の最大の異端事件である『ペジエの惨劇』においては、教会軍総司令官を務められた。
そして、その後、法王庁立聖ライン大学において教会法学の研究に従事するため、第一審問管区長の職を辞され、聖界の表舞台から一時退場される。
……丁度その頃に、お兄ちゃんはわたしとストアで暮らし始めた……。
つまり、ルクトさまは、表向きは、教会法の研究に従事するとして職を辞され、実は、わたしとストアで暮らし始めたということ……?
そして、再びルクトさまが現職に復帰されるたのが、三年前……お兄ちゃんがいなくなったのも三年前……。
考えれば考えるほどわけがわからない……。
当時、法王の位に最も近い実力者と言われていたルクトさまが、どうしてストアのような田舎で年端も行かない少女と一緒に暮らしてていたの?
考えられることは一つ……その少女にはそれだけの価値があったからだ。つまりわたしには、何か教会高位聖職者が自ら対処にあたる秘密があるのだ。
わたしは、いったいなんなの?
わたしは、どういう存在なの?
お兄ちゃんは、わたしをどう見ていたの?
お兄ちゃんっ!