第三章 曖昧な輪の欠落 Ⅰ
『交付契約説』は、ライン基本法第一条一項の『知恵者』を『教会聖職者』と解し、同条第二項の『真の知恵者』を『ライン法王』と解することを出発点とする見解である。
同説は、『力=魔法』は、森羅万象を司る全法秩序最高の存在である『法源』から、特定の選ばれた者にのみ『交付』され、その者は、教会の定めた方法、即ち、『契約=秘蹟』を受けることによって『力=魔法』を使うことが許されるとしている。
同説に拠るならば、教会が魔法を独占することを正当化できるばかりでなく、教会聖職者以外の者が魔法を使用することを禁止することが可能なため、教会の公定見解となっている。
長い間、同説が教会が持つ強大な権力を背景に、唯一無二の支配的見解となっていたが、教会による魔法の独占が長期にわたるにつれ、かかる教会の魔法独占体制に対して疑いを抱く者達が現れるようになった。
しかし、魔法は、選良である聖職者しか使うことができないという意識が支配していた当時においては、彼らの言葉が力を持つことはなく、彼らの殆どは異端者として、教会によって火刑台へと送られることとなった。
人々は、教会の教えに反して魔法を使用しようとした者がどうなるかということを知っていたのだ。
『魔物』―魔に取り込まれし異端者の成れの果て……。
また、多くの人々にとって、普通に暮らす上で魔法を使う必要性が全くなかったことも、彼らが拠る存在基盤の脆弱さの原因となった。
一般大衆にとって魔法などは、自らの生活において価値のあるものではなかったのだ。
魔法の力を欲するのは、いつの時代も『世俗の腕』、即ち、俗界の君主・諸侯達だった。
彼らは、自軍の兵に魔法を使用させることができれば、他国に対して圧倒的に優位に立てると考えていた。
そして、世俗のレベルでは誰も成し遂げたことがなかったラスティア大陸統一を達成することを夢見ていた。
また、それと同時に、強大な組織力と魔法の力を背景とした教会が優位の現状に、反発心も抱いていたのである。
そこで、彼らの中の強硬派は、教会を離反した元教会律法師の力を借り、密かに魔法を自軍の兵達に学ばさせていた。
しかし、それらの試みは全て失敗し、大量の魔物を生み出すだけに終わった。
その結果、かえって『魔法は選ばれた者しか使うことはできない』という法理の絶対性が証明されることになり、『交付契約説』は、疑うことなき絶対的通説の地位を占めるに至ったのである。
しかし、今から十年前、この『交付契約説』に対して、真正面から挑む異説が登場した。
ピエト・オステルによって提唱された『創造説有因論』である。
同説は、ライン基本法弟一条一項の『知恵者』を『人』と解し、同条第二項の『真の知恵者』も同様に、『人』と解することを出発点とする見解である。
右のように異なる文言である『知恵者』と『真の知恵者』を、同じ『人』という一般的抽象的な概念と解するのは、この地上にいる全ての人々が力を創造する能力を持っており、その能力を発現させる要因は、全ての人々の中にあるという結論を導くためである。
即ち、同説は、教会による魔法の独占を否定する根拠となり得るのである。
そこで、同説は、教会に反目し、魔法の力を手に入れたがっていた『世俗の腕』達の間に瞬く間に広がっていった。
このような動きに危機感を抱いた教会は、同説を強硬な態度で批判し、同説を支持する者はすべからく異端者と看なし、徹底的に弾圧した。
さらに、従来、法王特使という形で行われていた異端審問制度を強化するため、大陸を七つの審問管区に分割し、その各審問区ごとに、異端審問に関する全権を統括する枢機卿を配置した。
彼ら七人の枢機卿達は、『検邪聖庁』と呼ばれ、その実力は、教会最高クラスの律法師だった。
この新たな異端審問官・審問管区制により『創造説有因論』を支持し、教会による魔法の独占に異を唱える者は、すべからく異端審問にかけられ、制度的に裁かれることになった。
『検邪聖庁』と呼ばれる教会随一の実力者達が、大陸中に散らばり、その力と権威を背景に行ったかかる制度的異端審問により、教会に反発し『創造説有因論』を根拠に、魔法の教会からの解放を主張していた『世俗の腕』達のほとんどは、その家名を地図上から消すに至った。
しかし、『創造説有因論』の提唱者であるオステルは、その後も各地を放浪し、自らの説を広めて行った。
そして、オステルは、『ペジエの惨劇』を最後に姿を消すことになる。
自らの正統性を証明する『聖女』を残して。