第二章 再会は曖昧な輪の内側で Ⅲ
「どうしようか……」
マリーナさんの声は沈んでいた。
声だけではない。彼女の表情も翳りを帯びていた。
マリーナさん、落ち込んじゃってるよ。
まあ、会うのを楽しみにしていたルクトさまと会えなかったんだからしょうがないか……。
わたし達が、今いる部屋に通されたのは、ベルグ高等法院に着いてすぐのことだった。
この部屋は、全体的に冷たく厳しい感じのする法院の建物の中では、比較的穏やかな雰囲気を持っている方だった。おそらく、普段は応接室にでも使われているのだろう。
わたし達が、ここでしばらくの間待っていると、青を基調とした司教衣を着たいかにも好々爺といった感じの穏やかな雰囲気を持っていたおじいさんが現れた。
まさかこの人が、ルクトさま……?
も、もっと若い方じゃなかったっけ?
予想をしていなかった人の登場で、わたしは、困惑してしまった。
「遠いところごくろうさまでした。私は、ベルグ大司教区を預からせていただいておりますブリュッケル・レファンダインです。この法院の院長も兼任させていただいております」
……よかった。
一瞬、この人が、ルクトさまかと思っちゃったよ。
わたしの隣に立っていたマリーナさんが、動く気配がした。
「私は、今日付けでハンザ猊下付の異端審問官に着任いたしますマリーナ・ランカスティです。聖位階は司祭です」
マリーナさんは、恭しく跪くと、そう言った。
「ああ貴方が、あのランカスティ司祭ですか。お噂は聞き及んでおります。審問職は、前職とは勝手が違うので戸惑うかもしれませんが、がんばって下さい」
「ありがとうございます、レファンダイン大司教」
今までにないマリーナさんの聖職者らしい態度に少し驚きながらも、わたしも続いて挨拶をした。
わたしは、こういう場面に慣れていなかったので、マリーナさんの見よう見まねで挨拶をした。
……あれ?
なんの反応もないよ……わたしの挨拶のやり方が悪かったのかなぁ……マリーナさんと同じようにやったはずなのに……。
わたしは、恐る恐る大司教さまの顔を見てみた。すると、あの好々爺といった感じの姿はなく、そこには、高貴なる義務を身に纏ったライン教会高位聖職者の姿があった。
な、なんで……わたし、なにか間違っちゃった?
しかし、そのような大司教さまの厳しい姿は、わたしと目が合うとすぐに消えた。そして、元通りの好々爺の姿に戻った。
……なんだったんだろ?
「正式な配属は明日になるので、お二人とも今日はゆっくりと休んで下さい」と言って、部屋から出て行こうとする大司教さまを、マリーナさんが呼び止めた。
「どうかしましたか、ランカスティ司祭?」
「ハンザ猊下とお会いすることはできないのでしょうか?」
「おそらく猊下の方から後ほどご連絡があると思いますので、それまでお待ち下さい」
……というわけで、わたし達はまだルクトさまにお会いすることはできていないのである。
マリーナさん程ではないけどわたしも、ここに着いたならすぐにでもルクトさまにお会いできると思っていたので、少々テンションが下がりぎみだ。
でも、マリーナさんがここまで落ち込むってことは……ルクトさまのこと本気で好きなんだ。
マリーナさん程の女性(ちょっと性格が暴走気味だけど……)をこれだけ夢中にさせるんだから、ルクトさまってよっぽど魅力的な方に違いない。
こうなったら、わたしもマリーナさんの恋の応援団になる!
「そうだ!」
マリーナさんは突然立ち上がった。
な、何?
どうしたの?
いきなりわたしの応援パワーが効いたの?
マリーナさんは、私の方を振り向いて「せっかくこんな大都会にいるんだから、街に繰り出しましょうよっ!」と言った。
「な、なんですか?」
わたしは、いきなりのマリーナさんの豹変ぶりについて行くことができなかった。
「だーかーらぁ、めいっぱいオシャレして、この街の男達にあたしたちの魅力を見せ付けてやるって言ってるのよ!」
ピシッ! とマリーナさんの右手人差し指がわたしに向かって指し出された。
……そんな風に言っていましたか?
「あれ? イリシスちゃんは、あたしのこの提案に乗り気じゃないの?」
「そうじゃないですけど……で、でも、わたしは服といっても、この審問衣ぐらいしか持ってませんよ」
実は、ストアでいつも着ていたお気に入りのがあったのだが、田舎くさい感じがしたので、それは”存在しない”ことにした。
「大丈夫。わたしの服を貸してあげるから」
「いいですよぉ……だって、わたしじゃマリーナさんのサイズに合いませんから」
特に胸のところが……やっぱり肉?
「じゃあ、この街で服を買えばいいじゃない。ベルグなら今年の流行物が揃っているはずよ。そうよ! そうしましょう!」
結局、わたしはマリーナさんの勢いに押しきられてしまい、街へ繰り出すことになってしまった。