↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十三章:北風に備える晩秋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

99/123

第99話 古兵たちの夜

 グランディアの夜は静かだった。

 秋の冷え込みが深まり始めた領都では、家々の灯りが瞬き、まるで小さな焔が通りを照らしているようだった。


 そんな夜気の中でも、馴染みの酒場だけは温かな喧騒に満ちていた。扉を開ければ、笑い声と木杯のぶつかる音が渦のように広がり、外の冷たさを忘れさせてくれる。


 その賑わいの奥、窓際の丸テーブルに二人の男が向かい合っていた。

 護衛騎士隊長のガレス。

 そして古参兵のドーガン。

 長い年月を剣と共に歩んできたフォルスワーグの歴戦の勇士たちである。


 卓上には、今夜の主役ともいえる新しい酒が置かれていた。

 エリザ麦酒──

 琥珀色の液体がランプの光を受けてゆらりと輝き、その色だけで豊穣の気配を感じさせる。


「まったく……」


 ガレスが杯を眺めながら苦笑した。


「数年前なら誰が想像した」


「何のことだ?」


 ドーガンが首を傾げる。


「フィヨル村で大麦を育てて、しかもそれで酒を造るってことをだよ」


 ガレスは杯を傾け、一口含んだ。

 麦の香りがふわりと広がり、ほどよい苦味が舌に残る。

 喉の奥へ落ちていくその風味は、何度飲んでも飽きることがない。


「確かにな」


 ドーガンも笑った。


「昔のフィヨル村なんて、春になるたび洪水の心配ばかりしてた」


「ああ」


「今じゃ麦酒だ布だ油だ」


「笑っちまうな」


 かつん──

 二人は木杯を合わせた。

 その音は、灯火の揺れと酒場の喧騒に溶けていき、どこか心地よい余韻を残した。


⸻


 しばしの沈黙。

 酒場のざわめきが遠くで波のように続いている。


 やがて、ガレスがぽつりと呟いた。


「旦那様が見たら驚くだろうな」


 その名がこぼれ落ちた瞬間、二人の背筋が自然と伸びた。

 亡きフォルスワーグ辺境伯──

 エリザベートの父であり、領地を背負い続けた男。

 思い出すだけで、目頭に熱い何かがこみ上げてくる。


 ガレスは杯を口へ運びながら、遠い記憶を探るように言った。


「覚えてるか」


「何をだ」


「お嬢様が初めて剣を握った日だ」


 ドーガンが吹き出した。


「ああ、覚えてるとも」


「木剣が重すぎて振れなかった」


「泣きながら振ってたな」


 二人は同時に笑った。

 その笑いには、ただの懐かしさではなく、あの頃の空気がそのまま蘇るような温度があった。


 まだエリザベートが幼く、剣を握る手が震えていた頃。

 辺境伯は娘を甘やかさず、しかし誰よりも深く案じていた。

 厳しさと愛情がひとつの流れとなって寄り添っていた、あの時代の記憶が、静かに心の底へ満ちていく。


『強さは剣だけじゃない。心だ』

 旦那様はよくそう言っていた。

 その言葉は、今でも二人の胸に深く残っている。


⸻


 まだエリザベートが十歳にも満たなかった頃、辺境伯は娘を決して甘やかさなかった。

 貴族の子だからではない。

 この厳しい領地を背負う“辺境伯の娘”として育てるためだった。


 北の砦には魔獣が襲い掛かり、冬になれば吹雪が命を奪い、盗賊たちが跋扈し、騒乱がいつ訪れるか分からない。

 この土地は、弱さを許さない。

 だから強くなれ──

 それが父の教えであり、願いでもあった。


「旦那様も不器用だったよな」


 ドーガンが苦笑する。


「ああ」


「本当は可愛くて仕方なかったくせに」


「分かる」


 二人はよく知っていた。

 娘が怪我をすれば誰より心配し、熱を出せば何度も様子を見に来て、夜通し眠らずに見守ったこともある。

 それでも本人の前では決して弱さを見せない。

 厳しさの裏に、深い愛情を隠し続けた男だった。


 ガレスは遠くを見るように目を細める。

 あの声が、今も耳に残っている。


『私の代で領地を豊かにはできんかもしれん』

『だが次の世代へ渡す土台は作る』

『それが領主の役目だ』


 静かで、揺るぎない声だった。


「真面目だったな」


「真面目すぎた」


「だから苦労した」


「違いない」


 笑いながらも、その笑みにはどこか寂しさが滲む。


 もし──

 もし辺境伯が生きていたら。

 フィヨル村も、カウム村も、

 発展する領都グランディアも、

 整備されていく街道も、

 新しい商会も、

 増え続ける人々も──

 きっと目を細めて喜んだだろう。


 その時、ドーガンがぽつりと言った。


「旦那様の予想以上になったな」


 ガレスは静かに頷く。


「ああ」


「お嬢様も」


「レオンもな」


 その名が出た瞬間、二人は同時に笑った。


「あの若者がなあ」


「初めて来た時は怪しい奴だった」


「今も少し怪しいぞ」


「違いない」


 だが二人とも知っている。

 レオンがどれほど領地を変えたか。

 どれほどエリザベートを支えてきたか。

 どれほど多くの人を救ってきたか。


 ガレスは木杯を見つめながら言う。


「旦那様が生きてたら」


「うん?」


「多分泣いてたぞ」


 ドーガンが吹き出した。


「それはない」


「いや、泣く」


「泣かん」


「絶対泣く」


「泣かん」


 くだらない言い合いをしながら、二人は笑った。


 本当は分かっている。

 もし辺境伯が今の領地を見たなら──

 娘が立派に領主となり、

 領地が豊かになり、

 信頼できる仲間に囲まれている姿を見たなら──

 父親として、これ以上ないほど誇らしく思ったに違いない。


⸻


 ガレスはふと換気のために開け放たれた窓の外へ視線を向けた。


 夜のグランディアは、かつてよりも明るかった。

 通りに並ぶ灯りが増え、家々の窓から漏れる光が重なり合い、まるで街そのものが静かに息づいているようだった。


 人が増え、暮らしが豊かになり、この土地に根づく希望が、ゆっくりと形を成している──そんな気配が夜気の中に漂っていた。


「北の砦か」


 ドーガンが低く呟く。

 ガレスも静かに頷いた。


 冬の夜、砦の壁を魔獣が叩き続けたことがある。

 凍える風の中、辺境伯は最前線に立ち、兵士たちを鼓舞し続けた。

 あの背中は、今も忘れられない。


 次の仕事。

 次の戦い。

 亡き辺境伯が最も大切にしていた場所──

 魔獣の森に程近い、北方防衛の最前線となる砦。

 幾度も魔獣の群れを押し返し、この領地を守り続けてきた“盾”のような存在。


「見せて差し上げたいな」


 ガレスの声は、どこか遠い。


「今の領地を」


「ああ」


 ドーガンも同じ思いを抱いていた。


「きっとお喜びになる」


 二人はしばらく黙った。

 酒場の喧騒が波のように流れ、木杯の中で揺れる麦酒が黄金色の光を返す。

 その色は、豊穣祭の灯を思わせる温かさを宿し、同時に──これから先の未来を照らす光のようにも見えた。


「最近また魔獣の影が増えてるらしい」


 ガレスの声がわずかに低くなる。


「冬が深まる前に、様子を見ておきたい」

 

 ドーガンも静かに頷いた。


 ガレスは最後の一口を飲み干し、椅子を押して立ち上がった。


「行くか」


「どこへ」


「北だ」


 ガレスはニヤリと笑う。


「今度は砦を変えるぞ」


 ドーガンも笑った。


「ああ」


 その声には、若い兵士には出せない重みと力強さがあった。


 酒場の夜はまだ続いている。だが二人の心は、すでに北へ向かっていた。


 古兵たちはまだ終わらない。

 守るべきものがある限り、

 彼らは歩み続ける。

 その道が明るい未来へ続くと信じているから。






最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今話をもって 「第十三章:北風に備える晩秋」 は一区切りとなります。

次話からは 「第十四章:忍び寄る巨影」 を予定しています。


久しぶりに領都へ戻ったレオンやエリザベートたちの姿を、楽しんでいただけたでしょうか。

束の間の休息を味わいながらも、事務仕事は相変わらず山積みでしたが──彼らが次に直面するのは、辺境の厳しい冬、そして新たな試練です。


その初冬の物語を、引き続き楽しんでいただければ嬉しく思います。


皆様からいただく 【ブックマーク登録】 や 【評価☆☆☆☆☆】の一つひとつが物語を進める大きな力となり、いただくご感想やリアクションが何よりの励みです。


皆様からのご反応があるおかげで、こうして執筆を続けられています。

本当にありがとうございます。


これからも、レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を温かく見守っていただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。