↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十三章:北風に備える晩秋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

94/124

第94話 帰還のひに

 夜明け前から降っていた雨が止み、秋の陽光が街道を柔らかく照らしていた。

 フィヨル村を出て二日目の昼前、薄い靄を抜けて丘を越えると──

 懐かしい街並みが、ゆっくりと視界の先から姿を現した。


 フォルスワーグ辺境伯領の中心。

 領都グランディア。


 深い堀と頑丈な柵、そして見張り塔が、澄みきった秋空の下で堂々とそびえ立つ。

 何度見た景色であっても、胸の奥がふっと温かくなる。

 以前と変わらぬはずなのに、どこか頼もしさが増して見えるのは──自分たちが歩んできた日々が、この領地を確かに前へ押し出しているからだろう。


「帰ってきたな」


 エリザベートが小さく呟いた。

 その声には、安堵と誇らしさが同居していた。


 隣りでガレスが腕を組み、満足げに頷く。


「やっぱり領都が一番だな」


「ガレスさんは途中で一度戻ってたでしょう」


 サラが呆れたように言うと、ガレスは眉ひとつ動かさずに返した。


「気分の問題だ」


 妙に真剣なその言い方に、思わず皆が笑った。


 長旅の疲れは確かにある。

 だが、頭の芯は不思議と澄んでいた。


 フィヨル村で見た豊穣祭の賑わい。

 村人たちの笑顔。

 実りと希望に満ちたあの光景が、旅路の疲れを癒してくれる。


 馬の歩みが自然と軽くなる。

 帰るべき場所が目の前にある──

 その事実だけで、心がふっとほどけていくようだった。


⸻


 東門が近づくにつれ、街道の先に広がる光景が徐々に鮮明になっていく。

 深い堀が昼の光を受けて静かに影をつくり、その向こうには、領都をぐるりと囲む頑丈な木柵が陽を映している。

 門の側には見張り塔がそびえ、兵士たちが交代で周囲を見渡しているのが小さく見えた。


 城壁こそない。

 だが、この造りこそがグランディアの“らしさ”だった。

 質実で、堅実で、無駄がない。

 そして何より──守るべきものが確かにここにあると感じさせる。


 見張り塔の当番兵からすでに連携がされていたようで、普段は門番しかいない門の周りには人垣ができていた。


「領主様!」


「お帰りなさいませ!」


 次々と広がる声の先には、東門が大きく開いている。

 堀を渡る木橋が軋み、澄んだ空気にその音が吸い込まれた。


 門の向こうには、見慣れた顔ぶれがずらりと並んでいた。


 オスカー。

 シエル。

 行政府の文官たち。

 さらには商人や職人、通りがかった市民まで。


 まるで祭りの始まりのような賑わいだった。

 予想以上の歓迎ぶりに、レオンたちは思わず足を止める。


「ただいま」


 エリザベートが微笑む。

 その一言が放たれた瞬間、門前の空気がふっと緩んだ。

 緊張がほどけ、安堵が広がり、皆の表情が一斉に明るくなる。


 ──領主が無事に帰ってきた。

 それだけで、街は安心するのだ。


 オスカーが一歩前へ進み出た。

 背筋は伸び、表情はいつも通りだが、その目には確かな安堵が宿っている。


「お帰りなさいませ」


「留守を任せてすまなかった」


「問題ありません」


 簡潔な返答。

 だが、その声にはどこか安堵があった。


 続いてシエルが静かに頭を下げる。

 その位置は、いつものようにオスカーのすぐ横。

 彼の動きに合わせて、さりげなく視線を巡らせている。


「グランディアに異常はありません」


「ありがとう」


 エリザベートが微笑むと、シエルはわずかに姿勢を正し、その横でオスカーもゆっくりと頷いた。


 二人の息の合った動きに、ガレスが口の端を上げる。


「相変わらず、息が合ってるな」


「何がですか」


「いや……別に」


 オスカーは首をかしげるだけで追及しない。

 シエルも気づいていないのか、気づかないふりなのか、淡々と前を向いたままだ。


 そのやり取りに、周囲から小さな笑いがこぼれた。


 秋風が門を吹き抜ける。

 旅の埃を払い、帰還の喜びをそっと運んでくるようだった。


⸻


 領主館へ戻ると、休む間もなく報告会が開かれた。

 大広間の長机には地図や資料がずらりと並び、紙の擦れる音と、緊張を含んだ呼吸が静寂とともに満ちていく。

 窓から差し込む夕暮れ間近の優しい光が、地図の上の赤い線を淡く照らしていた。


 オスカーが前に立ち、指先で地図をなぞりながら口を開く。


「東街道整備ですが、予想以上に順調です。フィヨル方面の中継地は二か所が完成、もう一か所は建設中となっています」


 地図には、街道を示す赤い線が力強く引かれ、橋の位置、排水設備、野営地の配置が細かく記されていた。


「領民や旅人の評判も上々です」

 レオンが微かに頷く。


 フィヨル村で見た変化が、街道全体へ広がり始めている──その実感が胸に広がった。


 続いてシエルが一歩前へ出る。

 銀髪が光の中でさらりと揺れた。


「街道沿いの獣害も減っています。巡回がしやすくなりました」


「なるほど」


 ガレスが腕を組み、満足げにうなる。

 その表情には、兵站を預かる者としての確かな手応えがあった。


 道が良くなれば人が動く。

 人が動けば兵士も動ける。

 それは商売だけでなく、領地全体の安全保障に繋がる。

 街道整備は、ただの土木工事ではない──

 領地内の流れを整える、大きな改革だった。


「よくやった」


 エリザベートが簡潔に言うと、オスカーは珍しく胸を張り、わずかに誇らしげな表情を浮かべた。

 その姿に、部屋の空気がふっと明るくなる。


 報告会はまだ続く。

 だがその場にいる全員が、確かに感じていた。


 ──フォルスワーグ領は前へ進んでいる。


⸻


 一方その頃、領都の中心にある行政府では、思わぬ騒ぎが起きていた。


「これは……何ですか?」


 文官の一人が箱の蓋をそっと開ける。

 中からふわりと香ばしい麦の香りが立ちのぼり、部屋の空気が一瞬で変わった。


 サラが胸を張って答える。


「お土産です。フィヨル村からの」


 箱の中には、小ぶりな木樽に詰められたエリザ麦酒、柔らかな光沢を放つフィヨル織布、そして素朴な陶器瓶に収められた亜麻仁油が、まるで宝物のように丁寧に並んでいた。


 次の瞬間、部屋がざわついた。


「麦酒!? 本物か!」

「これが噂の……!」

「布まで持って帰ってきたのですか!」


 文官たちが一斉に身を乗り出し、あっという間に箱の周りに人だかりができる。

 普段は私語すら珍しい執務室が、まるで市場のような熱気に包まれた。


 その熱気を割るように、ジークがすっと前へ出た。

 目が商人のそれになっている。


「予約販売を承ります」


「早い!」


 サラが思わず突っ込む。


「機会は逃しません」


「まだ帰還して一時間も経ってませんよ!」


「だからです」


 ジークは真顔だった。

 その揺るぎない表情に、周囲からどっと笑いが起きる。


 サラもつられて笑ってしまった。

 その笑顔を見たジークが、ほんの一瞬だけ目を細める。

 柔らかく、温かく──

 普段の商人らしい鋭さとは違う、優しい光が宿っていた。


 サラは気づかない。

 だが、その一瞬を見ていた文官たちは、何となく察したように微笑み合った。


 行政府の一角に、旅の余韻と新しい風が静かに満ちていた。


⸻


 誰そ彼時、レオンは領主館の中庭をゆっくりと歩いていた。

 秋風が枝葉を揺らし、舞い落ちる葉が石畳の上で静かに転がる。

 夕闇に溶けていくその音が、帰還の実感をじわりと胸に染み込ませていく。


 見慣れた景色。

 聞き慣れた音。

 旅の緊張がほどけ、ようやく“帰ってきた”という感覚が全身に広がった。


「ここにいたか」


 背後からの声に振り返ると、エリザベートが立っていた。

 仕事を終えたばかりなのだろう。

 肩の力が少し抜け、表情もどこか柔らかい。


「お疲れ様です」


「お前もな」


 二人は自然と並んで歩き出し、黄昏特有の涼しい風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 しばらく続いた沈黙は、気まずさとは無縁の、心地よい静けさだった。

 互いの歩幅が揃い、靴音だけが淡く響く。


「……ふと思ったんだが」


 エリザベートが空を見上げたまま言った。

 沈みきった陽の名残が、空の端に薄く滲んでいる。


「お前と出会って、まだ一年も経っていないんだな」


「そうですね。言われてみれば」


「もっと長く一緒にいた気がする」


 その言葉は独り言のようでいて、確かにレオンへ向けられていた。


「毎日が濃かったからでしょうか」


「濃いどころじゃない。様々な改革、魔獣討伐、街道整備、村の再建……、一年とは思えないほど濃かった。」


「静かな日は少なかったですね」


「だが、不思議と嫌じゃない」


 エリザベートは小さく息を吐いた。

 風がその吐息をさらい、空へと溶けていく。


「お前が来る前の私は、もっと……固かったと思う」


「固かった、ですか?」


「そうだ。誰にも頼らず、誰にも踏み込ませず、全部自分で抱え込んでいた」


 レオンは少しだけ目を丸くした。

 今の彼女からは想像しづらいが、出会ったばかりのエリザベートは確かにそうだった。


「お前が来てからだ。気づけば、周りを頼れるようになった。色んなことを任せたいと思うようになった」


 エリザベートは自嘲気味に笑ったが、その声はどこか穏やかだった。


「一年も経っていないのに、随分変わったものだな」


「私もですよ」


「お前が?」


「はい。こんなふうに誰かと肩を並べて歩くなんて、昔の私には想像できませんでした」


 エリザベートは横目でレオンを見た。

 その視線には、驚きと、少しの嬉しさが混ざっていた。


「一年で……、こんなにも変わるものなんだな」


「ほんとすごいですよね」


 二人の歩幅は自然と揃い、涼しい風が頬を撫でていく。

 遠くで虫の声が細く続き、ささやかに夜の訪れを告げていた。


 中庭は、沈んだばかりの陽の名残が薄く漂い、夜の青がゆっくりと地上へ降りてくる“境目の色”に染まっていた。

 秋の終わりを静寂とともに知らせる、淡い光と影の世界。


 フィヨル村の改革にはめどがついた。

 だが領地の歩みは止まらない。

 東街道も、北の砦も、冬の備えもある。

 やるべきことは山ほどあった。


 それでも──

 今だけは、この穏やかな時間を過ごしたかった。


「落ち着いたら一日くらい休め」


 エリザベートが言う。


「……珍しいですね」


「たまには領主命令だ」


「なら、ありがたく従います」


「当然だ」


 二人は笑った。

 その笑い声が夜気に溶け、静かに広がっていく。


 そして二人は同時に空を見上げた。


 青と赤と紫──様々な色が混ざる秋の夜空。

 その向こうに待つ次の季節。

 次の挑戦。

 次の物語。


 でも、今日は帰還の日だから。

 仲間たちがいて。

 帰る場所があって。

 守りたい領地がある。


 それだけで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。