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辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第八章:束の間の安息

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第54話 藍色の想いの行方

 領都グランディアの朝は、いつもより少しだけ穏やかだった。

 石畳に差し込む光は柔らかく、初夏の風が街路樹の葉を揺らしている。


 護衛哨戒隊の詰所前で、オスカーは腕を組んだまま空を見上げていた。

 藍色の外套を脱いでいるのに、どう見ても“休暇の顔”ではない。


「……本当に、休んでいいのか?」


「隊長。休暇は“義務”ですよ」


 背後から聞こえた澄んだ声に振り返ると、シエルが立っていた。

 淡い灰色の軽装は、元下級貴族らしい控えめな品の良さを自然に滲ませている。


「隊長が休まないと、兵士たちが落ち着きませんから」


「……そういうものか?」


「そういうものです」


 シエルの柔らかな微笑みに、オスカーはなぜか視線を逸らした。

 こうして、二人の休暇が始まった。


 本来なら副隊長の彼女に休む理由はない。

 それでもシエルは、隊長の休暇に付き添うことを当然のように選んでいた。


⸻


 朝の市場は、陽光に照らされた果物が鮮やかで、焼きたてのパンの香りが風に乗って漂っていた。

 売り子たちの声が飛び交い、子どもたちが走り回る。


 そんな賑わいの中でも、オスカーは周囲を警戒するように視線を巡らせていた。


「隊長、そんなに周りを見回さなくても大丈夫ですよ。今日は任務じゃないんですから」


「癖だ」


「知っています。でも、少し肩の力を抜いてください」


 シエルは歩幅をそっと合わせる。

 その仕草は控えめなのに、どこか品があった。


 市場には、果物の色と声のざわめきで満ちていた。

 甘い香りに誘われ、二人は足を止める。


 そのとき、走っていた小さな子どもがつまずき、抱えていた袋を放り出してしまった。

 転がった果物を、シエルはすぐに拾い集めて優しく手渡す。


「気をつけてね」


 子どもは照れくさそうに礼を言い、また駆けていった。

 その様子を横目に、オスカーはわずかに目を細めた。


「隊長、あそこに新しい蜂蜜タルトのお店があるみたいです」


 シエルは控えめに店主へ会釈し、タルトを二つ買った。


「どうぞ。甘さは控えめだそうです」


「……俺は甘いものは得意じゃない」


「存じています。でも、ここのは軽いと聞きました」


 その言葉に、オスカーはわずかに目を瞬いた。

 シエルは、自分が隊長の好みを覚えていたことに気づき、頬がほんのり熱くなる。


 オスカーはタルトを一口かじった。


「……悪くない」


「ふふ。よかったです」


 シエルの笑顔に、オスカーはまた視線を逸らした。


⸻


 市場を抜ける途中、白い可憐な花が目に留まる。


「隊長、あの花……“月影草”です。母が好きだったんです」


 思わず花に触れようとしたシエルの指先は、懐かしさを含んでいた。


「買うか?」


「いえ……見るだけで十分です」


 そう言いながらも、横顔はどこか寂しげだった。


(……十分なわけがないだろ)


 オスカーは何も言わず、店主に花束を頼んだ。


「……隊長?」


「どこか静かな場所で見ればいい」


 ぶっきらぼうな言い方なのに、胸がふわりと温かくなる。

 シエルは花束を胸に抱え、そっと腕に収めた。

 その仕草は、まるで宝物を扱うように丁寧だった。


「隊長、領主館がある丘に寄っていきませんか」


 初夏の風が、シエルの銀髪をそっと揺らした。


「……いいだろう」


 その返事は短いのに、不思議と優しかった。


⸻


 二人は、領主館の建つ小高い丘へと続く道をゆっくりと上っていった。

 歩みを進めると、風が吹き抜け、シエルの銀髪と抱えた花束の白が柔らかく揺れた。


 丘の中腹まで来ると、街のざわめきが遠ざかり、鳥の声と葉擦れの音だけが静かに耳へ届く。


「……こうして見ると、領都って本当に美しいですね」


 シエルが足を止め、眼下に広がる街並みを見つめる。

 陽光を受けた屋根が、穏やかな色合いで連なっていた。


「そうだな」


 短い返事なのに、どこか柔らかい。


「昔は……逃げることばかり考えていました。

 家を失って、居場所もなくて。

 でも今は、守りたい場所があって、帰る場所があって……それが、とてもありがたいです」


 その横顔は、遠い記憶を見つめるように静かだった。


 オスカーは黙って聞いていた。

 そして、ぽつりと呟く。


「……俺もだ」


 その一言が胸に落ちる。


 “俺も”の中に、自分も含まれていたら。

 そんな考えがよぎって、シエルは慌てて視線を逸らした。


 初夏の風が、二人の間を静かに通り抜けていった。


⸻


 夕暮れが街を金色に染める頃、シエルが控えめに声をかけた。


「……隊長、少し寄り道しませんか?」


 指先が示した先には、小さな酒場《風見亭》の木製看板が揺れていた。

 店内は木の香りが心地よく、壁に掛けられたランタンの灯りが、初夏の夜風に揺れるカーテン越しに柔らかく揺れていた。

 開け放たれた窓からは、涼やかな風と遠くの虫の音が運ばれてくる。


「いらっしゃい。おや、オスカー隊長じゃないか。珍しいねぇ」


 女将は目を丸くし、すぐににやりと笑った。


「しかもシエルちゃんと一緒とはねぇ。仲がいいこと」


 シエルは一瞬で頬を赤くし、オスカーは意味が分からず軽く眉をひそめた。


「……休暇だ」


「はいはい、分かってるよ。ゆっくりしていっておくれ」


 シエルは席に着くと、上品な所作でメニューを開いた。

 その姿は、粗野な酒場の中でも不思議と馴染んでいる。


「隊長、何にします?」


「……軽い酒でいい」


「では、私はハーブティーを」


 昼間の蜂蜜タルトの余韻がまだ残っているのか、シエルの心は少し浮き立っていた。


 飲み物が運ばれてきて、二人が静かに杯を傾けていたその時──

 店内の奥では、酔いの回った男たちが笑い合っていた。


「おい、そこの姉ちゃん。見ない顔だな」


 酔った若い男がふらつきながら近づいてきた。


「え、あの……」


「一緒に飲もうぜ。こんな綺麗な子が来てるなんて、ついてるじゃねぇか」


 男はシエルの肩に手を伸ばそうとした。


 ──その瞬間。


「触るな」


 低く、鋼のような声が響いた。


 オスカーが椅子を引いて立ち上がり、男の手首を掴んでいた。

 それほど力を込めていないようなのに、男は顔を引きつらせる。


「た、隊長……っ」


「酔ってるなら座ってろ。迷惑だ」


 周囲の客たちがざわつき始める。


「護衛哨戒隊の隊長だぞ」

「元“茨の聖域”の……」


 囁きが広がると、男は青ざめた。


「ひ、ひぃ……す、すみませんでした!」


 逃げるように席へ戻っていく。

 

 すぐに女将がやってきて、男の頭を軽く小突いた。


「まったく、うちの店で迷惑かけるんじゃないよ。ごめんねぇ、隊長さん」


 その一言で店内の空気がふっと和らぎ、客たちも苦笑しながら元の会話に戻っていった。


 シエルは、張っていた肩の力を抜いた。


「隊長……ありがとうございます」


「別に。任務じゃないが……見過ごすわけにもいかん」


 淡々とした声なのに、どこか不機嫌そうだった。


「……嫌な思いをさせたな」


「いえ。隊長がいてくださって……心強かったです」


 シエルは微笑んだ。

 その笑みは、昼間よりもずっと柔らかく、どこか温かかった。


⸻


 店を出ると、風が昼間よりも少し冷たくなっていた。

 シエルはそっと外套の前を合わせた。


 その仕草に気づいたオスカーは、無言で歩幅を合わせる。

 ただそれだけなのに、なぜか足取りが軽かった。


 街の灯りがぽつりぽつりと灯り始め、

 昼の喧騒が落ち着き、夜の静けさが街を包み込んでいく。


「……隊長」


「なんだ」


「今日、休暇をご一緒できて……本当に良かったです」


 控えめなのに、真っ直ぐな声だった。


「また……こういう日があるといいですね」


「……休暇が合えばな」


 淡々とした返事なのに、どこか優しい。


 初夏の風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。


 ──この人の隣りにいると、どうしてこんなに落ち着くんだろう。


 その理由の本当の意味に気づくのは、もう少し先の話。


 夜の酒場で起きた小さな事件は、二人の距離を、ほんの指先ほど縮めたのだった。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今話をもって「第八章:束の間の安息」は一区切りとなります。

次話からは「第九章:大河と共に歩む村」を予定しています。

領都の東にあるフィヨル村を舞台にした物語を、引き続き楽しんでいただければ嬉しいです。


皆様からいただく【ブックマーク登録】や【評価の☆☆☆☆☆】、そして感想やリアクションの一つひとつが、物語を進める大きな力、そして何よりの励みです。


レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を、これからも温かく見守っていただければ幸いです。

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