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辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十六章:群れを護る矜持

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第122話 剣が揃う時

 冬を告げる風が荒野を渡り、乾いた土を舞い上がらせた。

 冷え始めた季節の気配が、戦場の空気をさらに張り詰めさせる。


 森の王は低く身を沈め、黄金色の瞳で三人を見据えていた。

 先ほどまでの猛攻とは違う。

 その瞳には、目の前の三人が“ただの獲物ではない”と悟った者だけが宿す、冷たい知性の光が揺れている。

 “魔の森”の覇者が、初めて敵として三人を認めた瞬間だった。


 レオンは魔剣を下ろしたまま、静かに息を整え、口を開く。


「ガレスさん」


「おう」


「正面から受け続けてください」


 ガレスは豪快に笑った。

 その笑いは、戦場でしか見せない、頼もしさと覚悟の混じったものだった。


「注文が雑だな」


「貴方だから頼めるんです」


「違ぇねぇ!」


 笑いながら魔剣を肩へ担ぐ。

 その横で、エリザベートが剣先をそっと下げた。

 風に揺れる濃紅の髪が、冬の色を帯びた光を受けて静かに揺れる。


「レオン、私は?」


 その声には気品がある。

 だが、どこか期待するような柔らかさもあった。


「敵の左へ」


 レオンは迷いなく答える。


「無理はしないで牽制に徹してください。必ず私が突破口を開きます」


 エリザベートは一瞬だけ目を細め、微笑んだ。


「……ああ。お前がそう言うなら、信じる」


 短いやり取りだった。

 だが、この一年で何度も命を預け合ってきた三人には、それで十分だった。

 言葉より早く、互いの意図が伝わる。

 三人の呼吸が、冬の風よりも静かに揃う。


 レオンは最後に一言だけ添えた。


「……無理はしても、無茶だけはしないでください」


 ガレスが振り返り、わずかに目を細める。

 その目は、戦士としての厳しさと、仲間への温かさを同時に宿していた。


「お前もな」


 三人は音もなく散開した。

 冬を告げる風が、三人の外套を揺らしながら、戦いの幕をさらに深く開いていく。


⸻


 森の王が咆哮を上げた。


 ――ゴォォォォォォッ!!


 冬の気配を帯びた風が一瞬で押し返され、荒野の空気が震えた。

 冷たい大気が四方へと波紋のように広がり、地面の石までもが微かに鳴る。

 次の瞬間、その巨体とは思えぬ速度で森の王がガレスへ突進した。


「来い!」


 ガレスは真正面から迎え撃つ。

 魔剣が冴えた翠光の軌跡を描き、鉤爪と激突した。


 轟音。

 火花。

 衝撃波。

 荒野の草が一斉になぎ倒され、冴え渡る風さえ一瞬止まる。


 押される。

 それでも退かない。


「まだだ!」


 ガレスは踏み込み、全身で押し返した。

 だが、その瞬間──鉤爪の一撃が彼の左肩を深くえぐった。


 硬い、嫌な音がした。

 肩当ての鉄板が斜めに裂け、鋼片が飛び散る。

 防具越しでも衝撃は凄まじく、肉が裂ける感触が骨の奥まで響いた。

 裂けた肩当ての隙間から鮮血が滲み、冬の風に乗って赤い霧となる。


「っ……!」


 ガレスの足がわずかに沈む。

 それでも彼は退かない。

 痛みを押し殺し、魔剣を握り直す。

 鋭い痛みが肩から胸へ走る。

 だが──戦場で仲間に背を向ける痛みに比べれば、こんなものは取るに足らない。


 森の王の注意が完全にガレスへ向いたその瞬間、左側から一条の光が走る。

 エリザベートだった。


 魔剣が足元を狙う。

 森の王は反射的に左腕を振るう。

 彼女はその一撃を紙一重でかわし、切っ先の風のように軽やかに距離を取った。


 無理に斬らない。

 引きつけることだけに徹する。

 その動きは、気品と戦場の鋭さが同居した、美しい一閃だった。


「これでいい」


 エリザベートはうっすらと笑みを浮かべる。

 その微笑みは、戦場の緊張の中でも崩れない気高さを保ちながら、どこか挑むような強さを秘めていた。


「私だけを見なさい」


 森の王の視線が揺れる。

 右にはガレス。

 左にはエリザベート。


 そのわずかな迷い──

 レオンは見逃さなかった。


⸻


「今しかない」


 枯れ草の擦れる微かな音に掻き消されるほどの小さな声だった。

 レオンの身体が地を滑る。

 剣先は上げない。

 ただ低く、低く──獲物を狙う狼のように、荒野の影へ溶け込む。


 森の王がガレスへ力任せの一撃を放つ。

 右脚へ体重が乗る。

 その瞬間、わずかに甲殻が軋む音がした。


 レオンは地面を蹴った。


 魔剣が冴えた翠光の閃光となり、澄んだ空気を裂く。

 狙うのは胴でも首でもない。

 右脚の関節──甲殻と甲殻の、わずかな継ぎ目。

 森の王が荒野で幾度も勝利を掴んできた、その“癖”の核となる場所。


 ――斬る。


 ギィンッ!


 硬い音が荒野に跳ね返る。

 だが今度は違った。

 刃が半ばまで食い込み、甲殻の奥へ届く。

 黒い血が噴き上がり、冬の風に乗って散った。


 森の王が初めて苦痛の声を漏らした。


 城壁の上から、小さなどよめきが起こる。

 伝承ではなくなった。

 森の王は、確かにそこにいた。

 そして今、その巨体から黒い血が流れている。


「グォォォッ!」


 巨体が大きく揺らぐ。

 右脚が沈む。

 膝が折れ、荒野に深い影が落ちる。


「今だ!」


 ガレスが叫ぶ。

 その声は痛みに濁りながらも、戦士の誇りを失っていない。


 そして、その叫びに応えたのは、砦の兵士たちだった。


「弓兵!」


 オスカーの号令が冬空に響く。


「一斉射!」


 ヒュッ――!


 無数の矢が夜空を覆い、荒野へ降り注ぐ。

 狙うのは森の王ではない。

 周囲を取り囲む魔獣たちだ。

 森の王を援護できないよう、群れを押さえ込む。


 その中で、ひときわ鋭い軌跡が走った。

 シエルの矢だ。

 群れの先頭にいた角熊の眼を正確に射抜く。


「一歩たりとも近づけさせない」


 短く息を吐く。

 その静かな仕草は、冷たい風に紛れて誰の耳にも届かない。

 だが、放たれた一矢だけは違った。


 鋭い軌跡が曙色の空を裂き、角熊が崩れ落ちる影が、砦の上からもはっきりと見えた。


 その一瞬の光景が、砦の上に立つ者たちの胸を強く震わせる。

 誰かが息を呑む。

 その小さなどよめきが、矢よりも早く士気を押し上げた。


⸻


 しかし──次の瞬間だった。


 森の王は傷ついた右脚を引きずりながらも、信じがたい力で巨体を捻った。

 荒野の空気が一瞬だけ沈む。

 巨大な尾が、大木どころか岩盤すら砕く勢いで薙ぎ払われた。


「しまっ──!」


 ガレスが叫ぶ。

 レオンは避けきれない。

 尾の軌道が、冷たい風を引き裂きながら迫る。


 その時。


「レオン!」


 エリザベートが飛び込んだ。

 彼女の影が、旭光《きょっこう》を裂くような鋭い動きでレオンの前へ滑り込む。

 レオンとエリザベート ── 二本の魔剣が交差して尾の一撃を受け止めた。


 轟音。

 衝撃。

 荒野の土が爆ぜ、二人の外套が激しく揺れる。


 次の瞬間、エリザベートの身体が大きく吹き飛ばされた。


「エリザベート!」


 レオンが駆け寄る。

 彼女は地面に膝をつきながらも、魔剣を離してはいなかった。

 濃紅の髪が冷え切った大気にふわりと流れ、痛みに震える肩をそっと隠した。


「……大丈夫」


 唇を噛みながら立ち上がる。

 左腕は痺れ、外套は裂け、肩当てには深い亀裂が走っていた。

 それでも、彼女は気品を崩さずに微笑んだ。


「お前を守るのも、領主の役目だからな」


 その言葉に、レオンは一瞬だけ息を詰まらせた。

 胸の奥が熱くなる。

 戦場の冷気が、その熱を際立たせる。


 そして──


『エリザベート!』


 呼び捨てにした自分に気づき、わずかに瞳が揺れる。


 エリザベートは目を瞬かせ、頬をほんのり赤く染めた。

 痛みの中でも、領主としての威厳を保ったまま、でもほんの少しだけ可愛らしく視線を逸らす。


「……呼び捨ては、少しだけ嬉しいが。

 今は戦場だからな。無礼は後でゆっくり叱ることにする」


 そのふわりとした笑顔に、レオンは言葉を失った。


 ガレスは二人を見て、豪快に笑う。


「よし。レオン、お前はエリザベートに一つ借りだな」


 そして、笑いながら魔剣を構え直す。

 左肩から血が滴り落ちても、彼は前を向いた。

 その背中は、痛みを抱えながらも戦士として揺るぎない。


 三人は再び並ぶ。

 森の王もまた、傷ついた右脚をかばいながら三人を見据える。


 互いに傷を負った。

 互いに引かない。


 そしてレオンは確信する。

 森の王の呼吸、重心、視線──すべてが読める。


 あと一歩。

 あと一手で、この戦いは決する。

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