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辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十四章:忍び寄る巨影

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第108話 森の王の影

 翌朝。

 夜の寒さがそのまま残ったように冷気はさらに鋭さを増し、荒野一面に白い霜が薄く張り付いていた。

 砦の兵士たちは日の出とともに持ち場へ散り、物見櫓の上では当番兵が肩をすくめながら黙々と森の影を追っている。

 一方、魔の森は相変わらず沈黙したまま、夜の名残りを抱え込んでいた。


 レオンたちは執務室に集まり、昨夜まとめた地図を囲んでいた。

 暖炉の火はまだ弱く、室内には夜の気配が薄く残っている。

 外の霜が窓枠に張り付き、光を鈍く反射しながら、砦そのものが息を潜めているようだった。

 寒暖差のせいなのか、紙の端はわずかに反り返り、机の上の地図は“何かが迫っている”と訴えるようにわずかに歪んで見えた。


⸻


 そこへ、石床を叩くような慌ただしい足音が近づいた。

 執務室の空気がわずかに揺れ、全員の視線が扉へ向く。


「失礼します!」


 息を切らした若い兵士が勢いよく飛び込んできた。

 頬は赤く、肩で荒く呼吸し、緊張と寒さによる震えが入り混じった顔をしている。


「偵察および巡回部隊が戻りましたので、現況を報告します!」


 ガレスが短く頷き、扉の外へ向けて低く命じた。


「入れ」


 扉が再び開き、オスカーとシエルが姿を現した。

 外套には霜が白く張り付き、寒気の中を長く歩いてきたことが一目で分かる。

 しかも二人の表情は、霜よりも硬く、張り詰めた空気をまとっていた。


 エリザベートがわずかに身を乗り出す。

 その蒼い瞳は、領主としての責任と不安を静かに宿していた。


 ガレスが眉を寄せる。


「何かあったな」


 シエルは静かに頷いた。


「……はい」


 彼女は机の上に一枚の紙を広げた。

 そこには森の東縁が簡潔に描かれ、いくつもの印が散らされている。

 紙を持つ手は冷え切って白くなり、紙の端を押さえる指先がわずかに震えていた。


「牙狼。角鹿。岩猪……」


 魔獣の種類ごとに印が分けられていた。


 レオンは一目で異変を読み取った。

 漆黒の瞳が鋭く細められる。


「すべて……森の外縁に寄っていますね」


「はい」

 シエルが答える。


「しかも、森の奥へ戻っていません」


 執務室の雰囲気が一瞬で張り詰める。

 暖炉の火が小さく爆ぜる音だけが微かに響いた。


「餌不足か?」

 ドーガンが腕を組む。


 シエルは首を振った。

 美しい銀髪が暖炉の光を受けて煌びやかに反射する。


「違います。獲物はいます。死骸も残っていました」


 つまり、食べ物には困っていない。

 それでも森の奥へ戻らない。


 シエルは確信をもって告げた。


「縄張りを失ったようです」


 短い一言だったが、その重みは十分だった。

 エリザベートの端正な表情がわずかに強張る。


 レオンは落ち着いた声音で尋ねた。


「縄張りを奪われた?」


「はい」

 シエルは迷いなく答える。


「下級貴族だった頃は知りませんでしたが……街道沿いの森に潜んでいた時、何度も見ました。狼も熊も、縄張りを失った獣は森の端へ逃げます」


 没落し、領地を追われ、様々な街を転々としながら過ごした日々。

 義賊になってからも、夜の闇で息を潜め、獣の気配を読みながら生き延びた経験が、彼女の言葉に確かな重みを与えていた。


 ガレスが深く息を吐く。


「ドーガンの話と一致するな」


 ドーガンは肩をすくめ、苦笑した。


「俺の勘もたまには役立つもんだな」


 レオンは地図を見つめたまま、低く呟いた。


「つまり……森の奥で何かが起きている」


 その言葉に、エリザベートの視線が鋭く森の方向へ向けられた。

 領主として、そしてこの地を守る者として、胸の奥に不安と冷たい予感が広がっていく。


⸻


 その空気を断ち切るように、オスカーが背負っていた麻袋を机へ置いた。


 どさり、と鈍い音が響き、室内の空気がわずかに震えた。


 彼の外套には、外気でついた霜がまだところどころ白く残り、暖かい室内でゆっくりと溶け始めていた。

 長い巡回の疲労が、そのまま袋の重さとなって滲み出ているようだった。


「もう一つあります」


 袋の口を開くと、中から大きな木片が姿を現した。

 いや、木片ではない。

 幹の一部だ。

 深く、鋭く抉られ、裂けた木肌はまだ冷たい気配を帯びている。

 まるで巨大な刃物で断ち割られたような傷跡だった。


 レオンはその傷へ指を伸ばし、そっとなぞった。

 木肌の冷たさが指先に刺さる。


「……爪」


「ええ」

 オスカーが重く頷く。


「森の東縁です」


「高さは」


「私の頭よりさらに上です」


 ガレスが椅子を押しのけて立ち上がった。

 その顔には、戦場を知る者特有の嫌な予感が浮かんでいる。


「そんな馬鹿な……」


 彼自身も魔獣とは幾度となく戦ってきた。

 牙狼、岩猪、角熊──どれも知っている。

 だが、この高さに爪痕を残す魔獣など記憶にない。

 その事実が、彼の胸に冷たい重りとなって沈み込む。


「他には」

 ガレスが問う。


 シエルは少しだけ躊躇した。

 その青い瞳には、森で感じた気配の余韻がまだ薄く残っているようだった。


「……足跡があります」


「見つけたのか!」


 ガレスが身を乗り出す。

 その声には期待と恐れが入り混じっていた。


 シエルは自分を落ち着けるようにゆっくりと頷いた。


「でも……近づきませんでした」


「どうしてだ」


 シエルは大きく息を吸い、胸の奥に残る冷たさを押し出すように吐き出した。


「怖かったから」


 部屋が静まり返った。


 シエルは元義賊だ。

 森で生き抜き、魔獣の気配にも慣れている。

 その彼女が“怖い”と言う──それだけで十分だった。


 エリザベートもわずかに息を呑み、視線を落とした。


「初めてでした」

 シエルは小さく続ける。


「あんな気配」


 レオンは優しく頷いた。

 その瞳には、斥候としての判断を尊重する意思の強さが見て取れた。


「近づかなくて正解です。情報を持ち帰る方が、ずっと大切です」


 その言葉に、シエルはほっとしたように微笑んだ。

 声は震えていなかった。

 それが逆に、恐怖の深さを物語っていた。


 ガレスも頷く。


「昔、旦那様も同じことを言っていた

 ──敵を見つけたら戦うな

 ──帰って報せろ

 それが斥候の仕事だ ってな」


 レオンはゆっくりと立ち上がる。

 その動きに、エリザベートも自然と姿勢を正した。


「可能性を確認しましょう」


「何をだ」


 エリザベートが尋ねる。

 その凛とした声から、領主としての覚悟が伝わってくる。


「森の王です」


 その言葉に、全員の視線がレオンへ集まる。


「魔の森には必ず、魔獣たちの頂きに立つものがいます。その存在が変われば、他の魔獣は押し出される」


 レオンは落ち着いて結論を告げた。


「魔獣は増えたのではありません。逃げているんです」


 誰からともなく息を呑む音がした。


 今までの異変が、一つの線で結ばれる。


 鳥が消えた。

 魔獣が森の東端へ寄る。

 森が静かになる。


 すべては──。


「新しい森の王」


 ドーガンがぽつりと呟いた。


⸻


 まさにその時だった。


 砦の外から、執務室の空気を震わせる鐘の音が響いた。


 カン──

 カン──


 短く、二度。

 物見櫓からの警戒の合図だった。

 その音は、静寂に包まれた執務室の雰囲気をさらに張り詰めさせた。


「警戒態勢を取れ!」


 物見櫓の上から当番の兵士が叫ぶ。

 声は風にかき消されそうになりながらも、必死に届いた。


「森の入口に魔獣の群れ!」


 ガレスは反射的に剣を掴み、窓を開けて物見櫓へ向かって怒鳴り返した。


「数は!」


「二十!……ですが!」


 兵士の声が震えていた。

 恐怖を押し殺しているのが、遠くからでも分かる。


「全部こちらを見ています!」


 一同は部屋を飛び出すと、城壁へ向かって駆けだした。

 階段を踏む音が重なり、砦の中に緊張の波が走る。


 荒野の向こう。

 魔の森への入口。

 二十頭を超える牙狼が並んでいた。


 しかし──

 一頭たりとも襲ってこない。


 牙狼たちは砦の兵士ではなく、まるで森の奥に潜む“何か”を恐れるように、身を低くし、震えながらこちらを見ていた。


 その視線の先。

 深い森の闇で。

 一本の巨大な樹が、軋むような音を立ててゆっくりと倒れた。


 轟音が森中へ響き渡る。

 地面がわずかに震え、砦の石壁までその振動が伝わってきた。

 城壁の上で、誰かが息を呑む音がした。


 それなのに──

 鳥は飛び立たない。

 獣も鳴かない。


 森が息を潜めている。

 ただ牙狼たちだけが、一斉に身を震わせた。


 ガレスは魔剣の柄を強く握る。

 エリザベートも確かめるように自らの魔剣へ手を添えた。

 亡き父が最後まで振るい、この砦を守り抜いた剣──冷たい鍔に触れた瞬間、父の背中と声が脳裏に蘇り、領主として立つ覚悟が指先に強く宿った。


 レオンは森の奥を見据え、低く呟く。


「……近くまで来ていますね」


 その声には恐怖ではなく、明らかな確信があった。

 昨夜から積み上げてきた“流れ”が、いま確かな形を持ち始めたのだ。


 フォルスワーグ北方を揺るがす兆し。

 その正体はまだ姿を見せない。

 だが──森の奥で何かが動いている。

 気配が濃くなり、影が伸び、森そのものが息を潜めている。


 巨大な樹が倒れた轟音は、ただの自然現象ではない。

 牙狼たちが震えた理由も、森の沈黙も、すべてが一つの方向を指していた。







最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今話をもって「第十四章:忍び寄る巨影」は一区切りとなります。

次話からは「第十五章:北方に迫る森の王」を予定しています。


フォルスワーグ領の発展を妨げてきた要因の一つである“魔の森”。

この辺境では、必ずしも人間が支配者とは限りません。

レオン、エリザベート、ガレス、そして多くの仲間たちが直面する試練にどう立ち向かっていくのか──訪れつつある厳しい冬の物語を、引き続きお読みいただければ幸いです。


皆様からいただく【ブックマーク登録】や【評価☆☆☆☆☆】の一つひとつが、物語を進める大きな力となっています。

ご感想やリアクションも本当に励みになっており、皆様の反応があるおかげで執筆を続けられています。心より感謝申し上げます。


これからも、レオンとエリザベート、そして仲間たちの旅路を共に歩んでいただければ嬉しく思います。


【作者からのお知らせ】

いつもお読みいただきありがとうございます。

これまで毎日更新してまいりましたが、先行して公開している「カクヨム様」に話数が追いついたため、今後はカクヨム様と同様に 2日に1回(奇数日) の更新とさせていただきます。

引き続き変わらずお読みいただけましたら、作者としてこれ以上ないほど嬉しく思います。

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