猫騎士アルと食堂のハナさん
昼時の食堂は、騎士団の制服で満ちていた。
使い込まれた木のテーブルに皿とパン籠が並び、湯気と食べ物の匂いで溢れ返っている。焼けた肉の脂の香りに、スープのやわらかな匂いが重なり、笑い声が梁にぶつかって少しだけくぐもる。
「ハナさ~ん、こっちまだ~?」
「パンおかわりいい?」
「水もらえる~」
皿を運ぶ手は止まらない。人の流れを縫い、ぶつからない距離を選び取る。忙しさの中で、身体だけが先に動く。
その時、入口の空気がわずかに揺れた。
視線を向けるより先に、わかってしまう。
「アル、また来たのかよ」
「昼だろ。飯食いに来ただけだ」
そっけない返事。けれど声の奥に、僅かな弾みが混じる。
ハナはカウンター越しに顔を出す。
「いらっしゃいませ。あ、アルくん」
視線が合う。
灰色の耳が、ぴん、と立つ。陽を受けた毛先が淡く銀を帯びる。前髪は軽く流れ、隙間からのぞく瞳は薄く色づいている。まだあどけなさの残る輪郭なのに、肩の線はすでに大人の騎士と変わらない。
騎士団の制服もよく似合っていた。立っているだけなら、年齢を疑う。
「・・・来た」
ぼそりと落ちた声だけが、年相応に低い。
ハナは口元がゆるみそうになるのを、引き締める。
「聞こえてるわよ」
「なんで毎回聞こえるんだよ」
「耳も尻尾も、すごくわかりやすいから」
皿を置く。
「今日のおすすめでよかったよね。焼き肉と温野菜の盛り合わせ、あと具沢山スープもつけてるから」
その一瞬、視線が料理から外れ、手元を追ってくる。ハナが気づいた途端、すぐに逸れる。見ているのに、見ていないふりをする仕草が、妙に幼い。
「今日のおすすめ。アルくん好きでしょ」
尻尾が、隠しもせず揺れる。
「・・・好き」
「料理が?」
「・・・ハナさんの」
背後で笑いが弾ける。
「ま~た、やってんのか」
「おい最年少、調子に乗るなよ」
「隠す気ゼロかよ、その尻尾」
からかわれているのに、本人は気にしない顔をしている。・・・それとも、気にしていないふりをしているのか。
「はいはい。いっぱい食べてね、騎士さま」
呼び方に、わずかな距離を混ぜる。冗談めかした、しかし確かな線引き。そのまま離れようとした袖が、軽く引かれた。強くはない。けれど、振り払えない力。
「・・・なに?」
振り返ると、アルはわずかに視線を彷徨わせていた。さっきまでのまっすぐさが、ほんの少しだけ崩れている。
「今日、忙しい?」
「昼時だから、まあまあ」
「・・・じゃあ、あとで」
耳がゆっくり伏せる。
「少しだけ、話」
その言い方には、慎重さが混じっている。踏み込みすぎないように測るような、距離の取り方。
子爵家の三男。騎士団所属。
対してこちらは、食堂で働くただの人間。
本来なら、こんな風に袖を引く距離ではない。
「いいよ」
それでも、返事は短く出た。理由を並べる前に。
次の瞬間、灰色の尻尾が大きく揺れる。隠そうともしないその正直さに、わずかに息が抜ける。
「そんなに嬉しいの?」
軽く投げた言葉。
「・・・嬉しいに決まってる」
低い声が返る。視線が上がる。
「ハナさんと話すの」
逃げ道がない。冗談に逃がす余地もない、まっすぐさだった。
「・・・アルくん」
「ん?」
「私、アルくんより背高いし」
「知ってる。俺まだ伸びるし」
間を置かない。
「平民だし」
「それも知ってる」
迷いがない。わかっている、と言い切る響き。けれど、その言葉が抱える重さまでは届いていない気配が残る。
アルはスープを一口飲み、口元をゆるめた。僅かに悪戯っぽく、それでいて引く気のない表情。
「なんか問題ある?」
猫耳が、静かに揺れる。
「俺、ハナさん好きなんだけど」
一瞬、音が遠のく。
まっすぐな視線が絡む。
無邪気さを残した顔立ちのくせに、目だけがやけに強い。薄く色づいた瞳が射抜いてきて、冗談も照れも混じらない。
さっきまで無防備に揺れていた尻尾とは裏腹に、その表情だけが妙に落ち着いていて、大人びた瞬間。
ほんの僅かに口角が上がる。それを笑みと呼ぶには静かすぎて、けれど確かに余裕のようなものを帯びていた。
すぐに、笑い声が遅れて弾ける。周囲が面白がっている気配が戻ってくる。
距離が、近い。この場所で、この距離で、そんな事を言う。
熱が、頬に上がる。
「・・・昼間から、そういうこと言うのやめて」
「なんで」
「恥ずかしいからっ!」
言い切った後、わずかな遅れで自覚する。否定ではない響きになっている。
アルは首を傾げた。
あの一瞬の余裕が幻だったみたいに、子どもらしい仕草に戻る。耳と尻尾まで素直に揺れている。
「じゃあ夜ならいい?」
「そういう問題じゃない!」
また笑いが広がる。
その中で、アルだけが変わらずこちらを見ている。
まっすぐに揺れているのは尻尾だけだ。十五歳。獣人としては成人。けれど、人間の尺度ではまだ若い。
それでも、向けられる視線は逃げない。言葉も、引かない。
結婚を考える年齢に差し掛かっている自分にとって、選ぶべき相手はもっと現実的で、釣り合いの取れた誰かのはずだ。わかっている。わかっているのに。
視界の端で揺れる灰色の尻尾から、目が離せない。
あまりに正直で、あまりにまっすぐで。線を引くために並べた理由のほうが、薄く見えてしまう。
困る、と思いながら。
その感情が、完全には否定でない事を、もう隠しきれないでいた。
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