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猫騎士アルと食堂のハナさん

猫騎士アルと食堂のハナさん

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/18

 昼時の食堂は、騎士団の制服で満ちていた。

 使い込まれた木のテーブルに皿とパン籠が並び、湯気と食べ物の匂いで溢れ返っている。焼けた肉の脂の香りに、スープのやわらかな匂いが重なり、笑い声が梁にぶつかって少しだけくぐもる。


「ハナさ~ん、こっちまだ~?」

「パンおかわりいい?」

「水もらえる~」


 皿を運ぶ手は止まらない。人の流れを縫い、ぶつからない距離を選び取る。忙しさの中で、身体だけが先に動く。


 その時、入口の空気がわずかに揺れた。

 視線を向けるより先に、わかってしまう。


「アル、また来たのかよ」

「昼だろ。飯食いに来ただけだ」


 そっけない返事。けれど声の奥に、僅かな弾みが混じる。

 ハナはカウンター越しに顔を出す。


「いらっしゃいませ。あ、アルくん」


 視線が合う。

 灰色の耳が、ぴん、と立つ。陽を受けた毛先が淡く銀を帯びる。前髪は軽く流れ、隙間からのぞく瞳は薄く色づいている。まだあどけなさの残る輪郭なのに、肩の線はすでに大人の騎士と変わらない。

 騎士団の制服もよく似合っていた。立っているだけなら、年齢を疑う。


「・・・来た」


 ぼそりと落ちた声だけが、年相応に低い。

 ハナは口元がゆるみそうになるのを、引き締める。


「聞こえてるわよ」

「なんで毎回聞こえるんだよ」

「耳も尻尾も、すごくわかりやすいから」


 皿を置く。


「今日のおすすめでよかったよね。焼き肉と温野菜の盛り合わせ、あと具沢山スープもつけてるから」


 その一瞬、視線が料理から外れ、手元を追ってくる。ハナが気づいた途端、すぐに逸れる。見ているのに、見ていないふりをする仕草が、妙に幼い。


「今日のおすすめ。アルくん好きでしょ」


 尻尾が、隠しもせず揺れる。


「・・・好き」

「料理が?」

「・・・ハナさんの」


 背後で笑いが弾ける。


「ま~た、やってんのか」

「おい最年少、調子に乗るなよ」

「隠す気ゼロかよ、その尻尾」


 からかわれているのに、本人は気にしない顔をしている。・・・それとも、気にしていないふりをしているのか。


「はいはい。いっぱい食べてね、騎士さま」


 呼び方に、わずかな距離を混ぜる。冗談めかした、しかし確かな線引き。そのまま離れようとした袖が、軽く引かれた。強くはない。けれど、振り払えない力。


「・・・なに?」


 振り返ると、アルはわずかに視線を彷徨わせていた。さっきまでのまっすぐさが、ほんの少しだけ崩れている。


「今日、忙しい?」

「昼時だから、まあまあ」

「・・・じゃあ、あとで」


 耳がゆっくり伏せる。


「少しだけ、話」


 その言い方には、慎重さが混じっている。踏み込みすぎないように測るような、距離の取り方。

 子爵家の三男。騎士団所属。

 対してこちらは、食堂で働くただの人間。

 本来なら、こんな風に袖を引く距離ではない。


「いいよ」


 それでも、返事は短く出た。理由を並べる前に。

 次の瞬間、灰色の尻尾が大きく揺れる。隠そうともしないその正直さに、わずかに息が抜ける。


「そんなに嬉しいの?」


 軽く投げた言葉。


「・・・嬉しいに決まってる」


 低い声が返る。視線が上がる。


「ハナさんと話すの」


 逃げ道がない。冗談に逃がす余地もない、まっすぐさだった。


「・・・アルくん」

「ん?」

「私、アルくんより背高いし」

「知ってる。俺まだ伸びるし」

 間を置かない。

「平民だし」

「それも知ってる」


 迷いがない。わかっている、と言い切る響き。けれど、その言葉が抱える重さまでは届いていない気配が残る。

 アルはスープを一口飲み、口元をゆるめた。僅かに悪戯っぽく、それでいて引く気のない表情。


「なんか問題ある?」


 猫耳が、静かに揺れる。


「俺、ハナさん好きなんだけど」


 一瞬、音が遠のく。

 まっすぐな視線が絡む。

 無邪気さを残した顔立ちのくせに、目だけがやけに強い。薄く色づいた瞳が射抜いてきて、冗談も照れも混じらない。

 さっきまで無防備に揺れていた尻尾とは裏腹に、その表情だけが妙に落ち着いていて、大人びた瞬間。

 ほんの僅かに口角が上がる。それを笑みと呼ぶには静かすぎて、けれど確かに余裕のようなものを帯びていた。

 すぐに、笑い声が遅れて弾ける。周囲が面白がっている気配が戻ってくる。

 距離が、近い。この場所で、この距離で、そんな事を言う。

 熱が、頬に上がる。


「・・・昼間から、そういうこと言うのやめて」

「なんで」

「恥ずかしいからっ!」


 言い切った後、わずかな遅れで自覚する。否定ではない響きになっている。

 アルは首を傾げた。

 あの一瞬の余裕が幻だったみたいに、子どもらしい仕草に戻る。耳と尻尾まで素直に揺れている。


「じゃあ夜ならいい?」

「そういう問題じゃない!」


 また笑いが広がる。

 その中で、アルだけが変わらずこちらを見ている。

 まっすぐに揺れているのは尻尾だけだ。十五歳。獣人としては成人。けれど、人間の尺度ではまだ若い。

 それでも、向けられる視線は逃げない。言葉も、引かない。

 結婚を考える年齢に差し掛かっている自分にとって、選ぶべき相手はもっと現実的で、釣り合いの取れた誰かのはずだ。わかっている。わかっているのに。


 視界の端で揺れる灰色の尻尾から、目が離せない。


 あまりに正直で、あまりにまっすぐで。線を引くために並べた理由のほうが、薄く見えてしまう。

 困る、と思いながら。

 その感情が、完全には否定でない事を、もう隠しきれないでいた。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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