26.交州への進出 (地図あり)
建安5年(200年)10月 揚州 丹陽郡 秣陵
荊州の統治が安定してきたので、揚州は秣陵へと戻ってきた。
ちなみに揚州での本拠だが、なんとなく秣陵になりつつある。
史実では呉や会稽を中心にしていたようだが、あっちは長江から少し離れている。
その点、長江流域を支配下に置きたい俺としては、秣陵の方が都合がいい。
実際、孫権も秣陵を”建業”として、呉の首都にしているし、そこはさらに南京として繁栄するのだ。
多少、早まったとしても、問題はないであろう。
かくして戻ってきた俺に、とある新人からあいさつがあった。
「はじめまして、孫将軍。諸葛瑾 子瑜と申します。以後、将軍の幕下に加えていただければ幸いです」
「おお、あなたが諸葛瑾どのか? もちろん大歓迎だ。バリバリ働いてくれ」
「ははっ、ありがたきお言葉」
そう、彼が諸葛亮の兄の、諸葛瑾だ。
襄陽で諸葛亮の名前が出てきた時点で、”そういえば、諸葛瑾が江南に来てたよな” と思い出し、張昭に探させてみた。
すると時期が良かったのか、ほどなく彼は見つかり、すんなり仕官してくれたのだ。
ラッキーである。
諸葛亮のせいで影が薄いが、諸葛瑾はメチャクチャ有能な男なのだ。
誰にでも笑顔を絶やさず、他人の間違いを遠回しに諭すその人柄は、孫権にも深く信頼されたと聞く。
それでいて仕事もできるもんだから、内政だけでなく、大将軍にも抜擢された。
あいにくと軍才はそれほどでもなかったようだが、後の呉を盛り立てた大功臣と言っていいだろう。
そんな彼が、労せずして味方になってくれたのだ。
これほど嬉しいことはない。
まあ、誘わなくても、いずれ仕官してきたとは思うけどね。
諸葛瑾との対面が終わると、主要人物を集めて会議を開いた。
そのメンツは文官が、張昭、諸葛瑾、韓嵩、虞翻、秦松。
武官は、黄蓋、程普、韓当、朱治、呂範、孫河、凌操、賀斉、陳武、董襲、周泰、蒋欽、呂蒙、黄忠、甘寧、魏延。
さらに参謀格として、周瑜、魯粛、陸遜、龐統、徐庶も呼んだ。
ここにいない重臣としては張紘がいるが、彼は許都で曹操との連絡役として、がんばってくれている。
今回も荊州をほぼ平定したご褒美に、上位の将軍職をもらえるよう、工作してくれてるはずだ。
がんばれ、張紘。
「さて、忙しいところを集まってもらって、感謝する。すでに知っているとは思うが、俺は南陽郡を除く荊州の支配に成功した」
「おめでとうございます、孫策さま。孫堅さまも草葉の陰で、喜んでおられるでしょう」
「さすがは若である」
主に荊州攻めに参加していなかった者たちが、賞賛の声を上げる。
そんな声が収まるのを待って、再び口を開いた。
「うむ、これもみんなの協力のおかげだ。そこで各郡の太守を発表すると共に、今後の統治体制について、話し合いたいと思う」
ここで張昭に視線をやると、彼が太守の名前を読み上げていく。
その内容はこのようなものだ。
【揚州】
会稽郡 太守 孫策 郡丞 虞翻
呉郡 太守 朱治
丹陽郡 太守 呉景 郡丞 張昭
豫章郡 太守 孫賁
廬陵郡 太守 孫輔 (廬陵郡は豫章南部を分割した郡)
九江郡 太守 なし
廬江郡 太守 李術
【荊州】
南陽郡 太守 なし
南郡 太守 黄蓋 郡丞 韓嵩
江夏郡 太守 周瑜
武陵郡 太守 程普
長沙郡 太守 張羨
零陵郡 太守 韓当
桂陽郡 太守 呂範
九江郡と南陽郡はほぼ曹操の支配下なので、太守は置けない。
廬江郡の李術は劉勲の配下だったが、呉景が信頼できると言うので、暫定的に任せてある。
さらに荊州南部を味方につけてくれた、長沙の張羨についても、そのまま太守を務めてもらう。
まあ、この辺は様子を見て、いずれは腹心と入れ替えることになるだろう。
ちなみに郡丞ってのは、太守を補佐する文官のトップである。
ここには3人しか名前がないが、ちゃんと各地の文官を充てている。
その他にも、太守の補佐や都尉として、主な配下には役職をつけた。
やはり肩書があるというのは嬉しいもので、みんな喜んでいる。
もちろん、それだけでは足りないので、活躍したものには金銭での褒美も渡した。
こうして論功行賞をひと通り終えてから、今後の戦略に移る。
「さて、それでは今後の戦略に移ろう。基本的には揚州と荊州の守りを固めつつ、人を増やし、商業を発展させようと考えている」
「なるほど……我が軍の本拠地は、どこになりますか?」
そう問うたのは、反乱討伐のエキスパート 賀斉である。
彼は今も会稽を中心に、山越賊の反乱を押さえて回っている。
なかなかに得がたい人物なので、いずれ篤く報いるつもりだ。
「ああ、それなんだがな、この秣陵を建業と改名し、改めて本拠地としたい。もちろん、それにふさわしい城も建てるぞ」
「なんと、わざわざ名前を変えるとは……」
「しかし襄陽はどうするのだ?」
「いやいや、若は江東の人間なのだから、これでいいのだ」
建業の構想を初めて聞いた者たちが、いろいろと騒いでいる。
わざわざ名前を変えることに疑問を覚える者もいれば、襄陽を気にする者もいる。
しかしここが繁栄することは分かってるんだから、歴史を先取りして大々的に開発することを宣言した。
ちなみに史実で孫権は、荊州の南部を併呑した際、江夏郡の鄂を武昌と改名して首都にした。
しかしこれは劉備の攻撃に備える意味合いが大きかったため、後に皇帝になると、また首都を建業に戻している。
やはりこちらの方が、何かと便利なのであろう。
だから今後もバリバリと、建業を開発していくつもりだ。
「いろいろ疑問はあろうが、やはり俺は江東の人間だ。それにここは海にも近く、物流や商業を発展させやすい。もちろん、襄陽をはじめとする荊州の地も重要だ。そこで俺は、支配領域の通信網を充実させたいと考えている」
「ほう、通信網とは、どんな?」
「まずは長江沿いに一定間隔で港を整備し、連絡を取りやすくする。それと狼煙台も設置して、緊急事態を知らせる仕組みも作るつもりだ」
「なるほど、狼煙であれば、遠隔地の変事も伝わりやすいですな」
船による連絡網にしろ、狼煙台にしろ問題は多いが、あるとないとでは大違いだ。
そのうえで伝書鳩とかも、使えるようにしたいと思っている。
まあ、まずはできることからやっていこう。
ここで今度は、程普から質問が出る。
「ところで若、今後は外へは打って出ないのですかな?」
「いや、外へも出ていくぞ。基本的には、交州と益州だな」
ここで魯粛に目をやると、彼が口を開いた。
「その交州なのですが、やはり本格的な支配は控えた方がよさそうです」
「ほう、なぜだ? 交州など、大して人もおらんであろう?」
程普の質問に、魯粛は首を横に振る。
「たしかに人は少ないのですが、異民族や犯罪者の割合が高いのです。つまりそれなりに物騒な土地で、統治は困難を極めるでしょう。実際、数年前にも、刺史が反乱分子に殺害されています」
「ああ、そういうことか……」
たしか朱符という刺史が、異民族の反乱で死んでいた。
そんな危険地帯を牛耳る士燮とは、相当なものである。
「支配が困難なら、どうする? 現地の有力者と仲良くして、おこぼれをもらおうってのか?」
「ええ、それが一番、現実的でしょうな。現在、交州を支配してるのは事実上、士燮とその一族です。海岸沿いの南海、合浦、交趾、九真の4郡の太守を担っており、これによって南海貿易の利益を独占しています。南海では珍品が手に入るので、その利益たるや莫大なものになるそうです」
地図を見せながら、魯粛がそう語る。
南海では真珠・大貝・瑠璃・翡翠・サイの角・象牙・バナナ・椰子・龍眼などが取り引きされ、その利益はとんでもない額になる。
それを一手に握る士燮一族の権勢はすさまじく、外出や帰還の時には鐘が鳴り、楽隊が曲を奏で、お付きの車や騎馬が道一杯にあふれるほどだとか。
しかしそんな奴らを野放しにしておくのも、あまりおもしろくない。
「ふむ。しかしだからって、あまり下手に出るのも、面白くないな」
「フフフ、お忘れですか? 孫策さま。会稽の海岸沿いの開発は、順調に進んでいるのですよ」
俺の不満に対し、魯粛が意味ありげに笑って言う。
それを聞いて、ピンときた。
「そうか、表向きは協力するふりをして、商流に食いこむのか」
「ご明答です。いずれはこちらにも、莫大な利益が入ってきましょう」
5年ほど前に会稽を制した頃、その南部は人は少ないわ、海賊はいるわで、ろくなもんじゃなかった。
そこで俺は呉や会稽の商人を巻きこんで、会稽南部の開発に取り組んだのだ。
それは海岸沿いの港を整備し、海賊を取り締まることで、南方への海路を確保するのが最大の狙いだった。
これによって最近は、だいぶ安全に交州へ出向けるようになったらしい。
ならばその手を、交州の中まで伸ばせばいいのだ。
港の整備と販路の確保だと言えば、それほど疑われもしまい。
同時に海賊対策の兵士も送りこんでやれば、文句も言えなくなるだろう。
「なるほど、無理に内陸まで支配しようとしなければ、なんとかなるか」
「ええ、そういうことです」
「よし、分かった。その方針で手配を頼む」
「了解しました」
よしよし、交州の方はこれでなんとかなりそうだな。
残るは益州だが、こっちはどうなるかな。




