幕間: 夏口陥落の裏側
建安4年(199年)8月 揚州 廬江郡 皖城
【魯粛】
「魯粛、ちょっと相談がある」
「はい、なんでしょうか?」
皖城を落とし、味方が戦勝に沸く中、孫策さまに呼び出された。
行った先には、周瑜どのも待っていた。
「この間、黄祖について報告してくれたよな」
「ええ、現状で分かる限りの情報をまとめました。何か不備でもありましたか?」
孫策さまが難しい顔をしているので問えば、代わりに周瑜どのが答える。
「いや、今できる範囲では、よく調べられていると思うよ。だけど黄祖は、噂以上に危険な男ではないかと思ってね」
「それは何か、新しい情報でも?」
「ああ、親父が死んだ時のことを、改めて調べてみた」
聞けば孫策さまは、孫堅どのが亡くなられた戦について調べ、改めて検証してみたのだとか。
「たしかに親父が味方の優勢に浮かれ、軽率な行動をしたのは事実なんだろう。しかしだからと言って、敵の大将を少数で討ち取れるもんか?」
「それはたしかに、運がいいだけでは済まない話ですな」
「そうだろう。だから黄祖ってのはかなり鼻が利く男で、さらに部下の掌握にも長けていると思うんだ」
「……それはつまり、夏口の攻略にも、相当な困難が待ち受けていると?」
私の問いに、2人がそろってうなずく。
周瑜どのも同意しているのなら、ちゃんと検証はされているのだろう。
となると私に求められているのは……
「分かりました。密偵の増強を急ぎます。主要部への探りも入れてみましょう」
「ああ、それは頼む……」
「他にも何か?」
孫策さまの雰囲気に、ただならぬものを感じ、問いただす。
すると彼は、ためらいながらも言いきった。
「今回ばかりは、諜報や扇動ぐらいじゃ済まないかもしれない」
「それだけで済まないというと……破壊活動が必要になると?」
「ああ」
諜報活動を一任されてから、密偵の育成にはかなりの金と手間を掛けてきた。
中でも破壊活動をこなすには、人並み以上の能力が必要となる。
たとえ成功しても、生還が困難なため、実際に使う場面は今まで無かった。
それを今回に限り、使う可能性が高いと?
私が手塩にかけた配下たちに、死ねと?
そんな戦なぞ、やめてしまえ!
思わずそう言いかけた私に、2人の視線が冷水を浴びせる。
私よりも年下のはずの2人が、全てを悟ったように語る。
「破壊活動もこなせる密偵が、玉のように貴重なのは分かっている。しかし使える人材があるのなら、夏口へ送りこんでくれ」
「もちろん、破壊活動なしで終わる可能性も、あるのですよね」
「当然だ。いずれにしろ報酬は弾もう。そしてもし、任務中に死んだら、遺族を手厚く扱うと誓う」
「それでしたら、進んで名乗り出る者もいるでしょう。大至急、選定を進めます」
「ああ、頼んだ。お前には苦労を掛けるな」
「いえ、これぐらい、大したことはありませぬ」
そう、この辺が孫策さまの凄いところだ。
冷酷に部下を死地に追いやるだけでなく、ちゃんとそれに報いる姿勢を見せる。
優秀な密偵を育てるのがいかに大変かも、しっかりと理解してくださる。
この方のためになら、命をいとわない者も居るであろう。
私はそんな者たちを、1人でも多く生還させるよう、知恵を絞ればいい。
よし、気張るぞ。
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あれから人材を選定し、夏口へ送りこんでみると、その実態が見えてきた。
孫策さまがにらんだとおり、彼の地では厳しい防諜体制が敷かれていたのだ。
「このように城内の要所は厳しく監視されており、よそ者は近づくのも難しい状況です」
「やはりな。さすがは黄祖、親父を討ち取った男なだけはある」
「はい、個人の武力こそ目立ちませんが、組織の使い方と用心深さは侮れません」
「この分だと、夏口の攻略に、犠牲は避けられそうにないな」
「…………はい、やむを得ぬかと」
私も渋々、同意すると、孫策さまが慰めるように言う。
「なに、俺たちも精一杯やってみるさ。それでも駄目だった時のために、備えを頼む」
「もちろんです。私も最善を尽くします」
その後、荊州へ侵攻し、劉表の援軍も蹴散らしたが、夏口城が落ちる気配はなかった。
孫策さまも必死で攻め立てているが、敵はいまだに意気軒昂である。
「魯粛、もう限界だ。奥の手を使いたい」
「そんな。もう少し攻めれば、敵が降伏するかもしれません」
「いや、これ以上の損耗は、今後の侵攻に支障がでる。これからは損耗を抑え、一部の兵を移動する流れを作る。そのうえで、例の策を用いたい」
「…………承知いたしました。決行可能な日時を検討し、報告いたします」
「悪いな。貧乏くじを引かせちまって」
「いえ、これが私の仕事ですから」
その後、日程が決まると、潜入中の配下に作戦の決行を指示した。
作戦を実行すれば、生きて戻れない可能性は高い。
しかしそれが我々のため、ひいては中華のためになるのだと思い、粛々と仕事を進める。
やがて運命の日の夜。
「城内に火災が複数、発生している模様です」
「おお、我らが同胞が、やってくれたか」
「これでこの戦、勝ったな」
次々に入ってくる情報に、配下の者が浮かれている。
たしかにこのまま行けば、城は落とせるだろう。
しかしその陰で、何人の優秀な部下を失うのか?
やりきれない思いを抱えながら、私は粛々と指示を出す。
勝利をもたらした同胞の思いに、報いるために。




