pray nonsense(04)
赤布は、同じく冬ヶ岬北部に位置する樫扇とは雰囲気が少しだけ変わる。どちらも中心街に分類されるのだが、樫扇には賭場や酒場などが軒を連ねる歓楽街が目立ち、一方の赤布には飲食店や宿泊施設などが目立つ。無論、樫扇にも飲食店や宿泊施設があり、赤布にも賭場や酒場が存在する。また、マンションや住居といった居住設備が見られるのも赤布の特徴だ。こういった差異は冬ヶ岬の構造に起因するところが大きい。
冬ヶ岬は、俯瞰図を見れば歴然とするが、円に近い構造をしている。その円の内側に、二重丸のように円形の地下鉄道の線路が走っており、更に内側の円を四等分するように十字型の線路が走っている。勿論、細かい路線は幾つも存在するが、この二つの円と一つの十字型の線路が主な路線だ。実は、企業区域と中心街、そして居住区はこの線路によってある程度の区分がなされている。内側の円部分には、扇形の企業区域と中心街が隣り合わないように対角線上に、その周囲にドーナツ型の居住区が位置している。
そこで、赤布は居住区が近いということもあり、飲食店や宿泊施設が比較的多く見られる。そんな場所に闇金融である棚崎金融が勢力を伸ばしているので、少なからずいざこざがあるようだ。赤布と居住区を隔てる線路のフェンスには、居住区の住民の抗議文が貼り付けられてある。しかし何らかの権力が働いているのか、大きな問題には発展していないようだ。
円筒ケースを肩に担いだ俺は、車を降り、雨を避けるように小走りでマンションの屋根の下に入った。
見るからに高級そうなマンションだ。深夜だというのに、エントランスにはぎらぎらと照明が灯っている。
しかし、隣には古びた高層ビルが聳えている。マンションとは対照的に、一切明かりが灯っていない。廃棄された建造物のようだ。
駐車場に車を停めた陀多は、俺と同じように小走りで屋根の下に入った。
俺は背広の肩についた雨水を手で払いながら、
「この辺は変わったな」
「そうなのか?」
陀多は懐の銃が濡れていないか確認し、大した興味もなさそうに聞いた。
「ああ。マンションはともかく、住居はこんなに多くなかった」
ここに来る途中、俺は何となく車窓から久しぶりに見る赤布の光景を眺めた。その時、マンションや住宅が以前より増えていることが気に掛かった。赤布がここ数年で開拓されているという背景もあるが、冬ヶ岬では特殊な傾向と言える。
冬ヶ岬の制度の一つに、税率の差別化がある。居住区にマンションや住宅を保有すると固定資産税や住民税などの税率が低くなり、企業区域や中心街に住居を保有するとそれらの税率は高くなる。つまり、居住区以外に住居を保有するメリットは、特殊なケースを除くと、ほとんどないのだ。これは企業区域、中心街、居住区を明確に区別するための政策である。また、こういった税金云々の問題で済めば良いが、居住区で特定の経営活動を行うと罰金や罰則を科せられる、という風に犯罪となるケースもある。
「さて、と」
俺はマンションのドアを押し開け、エントランスに入った。
エントランスは広々としていて、天井から程よい間接照明が降り注いでいる。それを大理石の床が乱反射し、内装の豪奢さをより際立たせていた。いかにも高級嗜好が高い連中向けの、陶酔にも似た誘惑だ。
その右奥のソファに一人の男が座っていた。
彼は俺たちに気付くと機敏な動作で立ち上がり、堅苦しくお辞儀をした。それから俺たちに寄ってくると、緊張した面持ちで再び頭を下げた。
「あの、伽由さんですか?」
二十代そこそこの青年だ。不気味に折れ曲がった眉や金髪の坊主頭、そして鼻や耳に付いた銀色の装飾品が不快感を与える。体格は小柄で、派手なシャツと背広を着ている。自らを不良と称しているようなものだ。そして、それが格好いいと本気で思い込んでいるのだろう。
「君は?」
俺は濡れて額に張り付いた前髪を指で弾いた。
「すみません、あの、加賀です」
青年は慌てて名乗る。
「棚崎から話は聞いてる?」
「はい、眞山ですよね。こちらです」
青年、加賀に促されるまま、俺たちは昇降機に乗り込んだ。
彼は最上階のボタンを押した。
昇降機の扉が閉まり、上へと動き出す。同時に、足元に嫌な感じの浮遊感が漂い始める。
背後の一面張りの鏡。
そこに備え付けられた手摺りに俺は寄り掛かり、腕を組んだ。
陀多は右手をポケットに突っ込み、左手を手摺りに乗せていた。
「彼はどういう状態?」
俺は加賀に質問をぶつけた。
「ずっと部屋に篭ってます。飯は俺たちが用意したものを……」
加賀は眉間に皺を寄せた。
「そう。何か変わった様子は?」
「何かに怯えたように、毛布に包まったまま動かないんです、部屋の隅で。電気も点けないし、風呂にも入らない。動くのは飯を食う時か、トイレに行く時ぐらいです。少しの物音にも、興奮して怒鳴り散らす始末です。もう、手に負えませんよ」
そう言った彼の顔は、心底嫌そうな表情だった。実際、眞山に転がり込まれてかなり迷惑しているのだろう。成人男性の身の周りの世話など、喜んで引き受けるようなものではない。
俺は何となく昇降機の天井の隅に取り付けられた防犯カメラを見上げた。
その視線に気付いたのか、加賀が困惑したように顔をしかめる。
「あの、それでですね、眞山は最上階にいるんですけど、セキュリティの調子が悪くて鍵が……でも、ちゃんと見張ってますから大丈夫です」
必死な口調だった。自らの過失を懸命に弁明しようとしているのだろう。
俺は小さく噴出し、
「それは君たちのせいじゃない。こっちで色々とさせてもらった」
「え?」
目を丸くする加賀。
俺は防犯カメラを顎で指し、
「こういうものに映ると不味いんでね」
それから流し目で加賀を捉え、唇の端を歪めた。
「そ、そうですか」
彼は最初、安心したように深く息を吐いた。だが、俺の言葉の意味を理解したのだろう。緊張したように拳を握り締め、俺から目を逸らすように昇降機の扉に顔を向けた。
一体、棚崎は俺たちをどういう風に説明したのだろう。
やがて昇降機は最上階に到着し、電子音と共に扉が開いた。
直ぐに加賀が昇降機から下りると、扉を手で押さえ、
「どうぞ、こちらです」
俺と陀多は昇降機から降りた。
廊下は窓がないせいか、どこか圧迫感があった。薄い橙色の照明が点々と灯っているのだが、それが却って息苦しさを強めているようにも思える。
加賀に案内された部屋の前には、彼と同じような風貌をした男が一人立っていた。
彼は俺たちに気付くと首だけでお辞儀をした。
「眞山を見張ってるのは君たち二人だけ?」
「はい、そうです」
加賀が答えた。
「そう、ご苦労様」
俺は懐から一万円紙幣の束を取り出した。銀製のマネークリップを外し、十枚ほど加賀に差し出す。
「え、あの、これは……?」
困惑する加賀。
「疲れたろう。一時間ほど美味しいものでも食べてくるといい」
俺は目を細め、脇の男も一瞥し、
「君もね」
「は、はい。ありがとうございます」
加賀は両手で紙幣を受け取り、もう一人の見張り番を引き連れて昇降機に消えていった。
俺は扉の取っ手を掴みかけ、躊躇った。こういう表現は余り好きではないのだが、勘とでも言うのだろうか、どうも嫌な感じがする。奥歯の根元が痒くなるような、そんな嫌な感じがするのだ。念のため、無線に呼びかける。
「周防」
「ん?」
「何か変わったことはないか?」
「特にないよ」
「そうか」
俺は深く息を吸い込み、吐き出し、
「篠」
「はい」
「ネットワーク上に侵入者は?」
「いえ、システムは私が完全に掌握しています。一応防壁を張っていますが、特に異常はありません」
「そうか」
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。引き続き、システム管理を頼む」
「はい」
無線が切れる。
安全を確認できたのだが、何故か落ち着かない。
「伽由、どうした?」
陀多が訝しげに言った。
俺は眉を寄せ、
「……こういう仕事を長くやっていると、時々こういうことがある。根拠も何もないが、無性に腹が立つ。そういう日は大抵、嫌なことが起こる。例えば、そうだな、会いたくもない奴に出くわすとか」
内臓が押し上げられるように、気持ちが悪い。喉から胃に管をぶち込まれ、そこから苦汁でも流し込まれたような気分だ。
「まあ、いい。こうしていても始まらない。とりあえず、用心してくれ。こういう予感は、遺憾ながらよく当たる」
「分かったよ」
陀多は呆れたように、短く息を吐き出した。
一瞬、彼が死ぬ光景が頭を過ぎったが、あくまで俺の妄想だ。口に出すだけ無駄だろう。
「悪かった、行くぞ」
俺は取っ手を掴み、ゆっくりと扉を開けた。最小限に開いた扉に、足音を消し、体を滑り込ませる。
陀多も俺に続き、扉が音も無く閉じた。
そして、光が消える。
光源が一切見当たらない室内。
それでも俺の視覚は瞬時に暗順応し、光情報を脳へと送る。
しん、と辺りは静まり返り、正面に細い廊下が伸びている。それは延々と何処までも続いていきそうで、ほんの数メートルのはずが、冥府まで繋がっていそうだった。そして左右に並んだ幾つもの扉も、まるで硬く閉ざされた石門のようだ。
ふと、奥の扉から、布の擦れるような音が聞こえた。
俺は聴覚を研ぎ澄ます。左右の扉から物音は聞こえない。一度だけ背後の陀多に目配せをしてから、足音を立てずに廊下を突き進む。そして、突き当りの扉をゆっくりと開けた。
現れたのはリビングダイニングキッチンだった。向かって右側にダイニングキッチン、左側にリビングが広がる。当然ながら明かりは点いていない。レースカーテンもドレープカーテンも締め切られ、外からの明かりも一切届いていなかった。それどころか、家電製品のコンセントを抜いているのだろう、発光ダイオードの小さな光さえも消えている。
キッチンから、何かの気配がした。
歯軋りのような音と、牛か何かの鼻息のようなものも聞こえる。
おまけに、嫌な臭いも。
俺は目を細めつつ手を背後に回し、陀多にハンドシグナルで指示を出す。そのまま足音もなく、呼吸を潜め、キッチンに向かった。シンクに近付くに連れて、嫌な臭いが鼻を刺す。本当、昨日から悪臭によく遭遇する。膨らみ続ける苛立ちを噛み殺しながら、キッチンを迂回した。
すると、キッチンの奥で毛布に包まった何かが小刻みに震えていた。
気温湿度、共に正常。凍えるような環境じゃない。
気付けば、大きな冷蔵庫からも駆動音が聞こえない。これもコンセントが抜かれているらしい。
俺は右足を上げ、革靴の踵を床に叩き付けた。
フローリングに響く乾いた音。
毛布に包まった何かが一度だけ跳ね上がる。
俺は溜め息を吐き、
「眞山だな?」
眞山と思しきそれは、毛布に包まったまま顔だけで振り向き、虚ろな目をこちらに向けた。それは写真で見た眞山の顔だった。
「……誰だ?」
「捻りのない問い返しだな」
俺はステンレスシンクを見やる。
そこには幾つものプラスチック容器やナイロン袋が乱雑に放置されていた。悪臭の根源はこれらしい。
「誰、だよ……」
「陀多」
俺は体を右に傾け、顎をしゃくった。
直後、俺の直ぐ脇を爆音と共に銃弾が疾駆する。
銃口から吐き出された風圧の渦。
その鉛玉は眞山の右足首を貫いた。
「がぁぁぁぁぁぁあ!」
眞山は絶叫し、床を転げる。
毛布に血液の染みが広がり、床にも赤い水溜りが出来る。しかし、直ぐに出血量が治まったのか、毛布の染みも床の水溜りも、それ以上に大きくなることはなかった。
彼は足首を両手で押さえ、俺たちを睨んだ。
「な、何しやがるっ、糞ッ垂れ!」
「糞?」
俺は靴の踵を必要以上に鳴らしながら眞山に近付く。その度に眞山の顔に恐怖の色が刻まれていくが、構わず右手を伸ばし、逃げようとする眞山の首を鷲掴んだ。そのまま腕に力を込め、眞山の体を持ち上げる。
足が宙に浮いた眞山は、自身の首を掴む俺の腕を握った。足をばたつかせ、苦しそうに呻き声を漏らしている。そのひ弱な腕力が、俺の背広の袖に血をべったりと付着させる。
それが余計に俺を苛立たせた。
「どっちが糞か、試してみるか?」
俺は右腕を振るい、眞山の体をダイニングに放り投げた。
テーブルや椅子を巻き込みながら吹き飛ぶ眞山。やがてリビングのソファにぶつかり、停止した。
「おい、やり過ぎだ」
陀多がダイニングに回り、銃口で眞山を牽制しつつ俺に言った。
「ふん、判り易くていいじゃないか」
俺は陀多の隣に並ぶ。
その時、眞山は毛布から何かを取り出し、俺たちに向かってそれを投げつけた。
俺は左、陀多は右へと、咄嗟に左右に展開する。
その中間に浮かんだ物を見た俺は、
「陀多っ、目と耳を塞っ……」
俺の言葉を掻き消すように、耳を劈くような大音響と閃光が、眞山が投げた物体から発せられた。
閃光弾だった。
俺は左手の二の腕で左耳を、上腕で両目を覆う。そして右手を背広の懐に滑り込ませ、短刀を抜き出す。右耳の鼓膜が破れ、水中にいるかのようにくぐもった音が鳴る。だが、左耳は無事だ。
その左耳が、足音を捉える。
腕をどけて足音の方向を見ると、眞山が逃げるところだった。
右手で短刀を放るが、刃は壁に突き刺さった。
「ちっ、蛆虫が!」
玄関の扉が開き、閉じる音がした。
俺は無線に呼びかける。
「篠っ、システムを復活させ、監視カメラで眞山を探してくれ!」
「はい。今の音、何かアクシデントですか?」
「閃光弾だ。やってくれるよ、本当に」
俺は右耳孔に指を突っ込み、詰まった血液を掻き出した。
床に肩膝を付いていた陀多は、ようやく目を押さえながら立ち上がった。
「治ったか?」
「六割程度だが、問題ない」
「なら、追うぞ」
俺は壁に刺さった短刀を抜き、部屋を出た。その頃には、右耳の鼓膜は再生していた。
「エレベーターにも階段にもいません」
無線で篠が言った。
直後、周防の声が飛び込む。
「屋上だ。今、監視衛星で捉えた」
「屋上?」
「それと、お客さんだ。眞山の他に、男がもう一人。あと、隣のビルの屋上に狙撃手が一人いる」
「ほう」
俺は短刀を懐に仕舞い、
「陀多、お前は隣のビルに回れ。こっちは俺が片付ける」
「分かった」
陀多は頷き、昇降機へと向かった。
俺は昇降機とは反対方向へと走る。
突き当りには金属の扉があり、本来閉じているであろうそれは開いていた。避難用の非常階段のようだ。内部は緑色ランプに照らされ、下層へと続く階段は角ばった渦を巻いている。そして、屋上へと続く階段の先、扉が開いていた。
「棚崎が裏切ったのか?」
無線から陀多の声がした。
「その可能性は低い。奴に俺たちを裏切るメリットはない」
俺は階段を駆け上る。
「じゃあ、誰が……」
「どうやら、俺たちは嵌められたらしい」
「嵌められた?」
僅かに陀多の声に動揺が混じる。
俺は鼻を鳴らし、
「そろそろ頃合ということだ」
「なるほど、お前の予感は当たっていたか」
「いや、それとは少し違う……」
「は?」
陀多は怪訝そうな声で言った。
「まあ、いい。可能性など、想像と同義だ」
俺は小さく頭を振り、
「そっちを片付けたらこっちに戻れ。十五分だけなら待ってやる」
「分かったよ」
通信が切れ、俺は屋上に出た。
激しい雨が地面を叩く夜気。
その霞がかったヴェールの向こうに眞山と、もう一人の男がいた。
「おや? 二人と聞いていたんだが……そうか、片方は潰れたか。発達した感覚器官が逆効果になるとは皮肉だな。覚醒者には炸裂弾よりも閃光弾の方が有効なのか」
薄笑いを浮かべる男。スウェットシャツのフードを目深に被っていて顔はよく見えないが、体格は眞山より一回り大きい。だが、構えはあくまで素人。武器は手に握られた安っぽい拳銃のみ。もしかすると閃光弾や、先ほど口にした炸裂弾を隠し持っているのかもしれない。それとも、この雨の中で狙撃手を本気で頼りにしているのだろうか。
どちらにせよ、既に知っている手段など俺たちには通用しない。閃光弾や炸裂弾など、いくらでも防ぐ方法はある。狙撃にしても、頭部さえ常に警戒していればいい。雨の中では狙撃の精度が落ちるし、どんなに狙撃手の腕が良いとしても、空気や雨を切り裂く音で銃弾を感知することが出来る。被弾したとしても、被弾箇所をずらすことは可能だ。銃弾の速度など、高が知れている。
「でも、勘違いしないで欲しい。争おうなんて気はさらさら無いんだ」
男は一歩前に出て、舞台俳優のように、大袈裟に両手を広げる。
「ただ、俺たちの体に何をしたのかが知りたいんだよ」
そう言った男の表情は、何が可笑しいのか、笑っていた。
眞山も、似たような表情をしている。両足で違和感なく立っており、血がこびり付いた足首を気にした様子も無い。
恐らく、連中は俺を嵌めたことで優越感に浸っているのだろう。
「黙ってないで、何か言ったらどうだ?」
男が馬鹿にしたような笑いを見せる。
「ちっ」
俺は舌を打ち、円筒ケースから刀を取り出した。そして鞘から刀を抜き、ケースと鞘を放り投げた。
面倒事は往々にして連続するものだ。
どうしようもなく腹立たしく、胸の奥が煮えたぎるように、どす黒い感情が湧き上がる。
そして、居心地の良過ぎるその感傷が、もう一人の自分を引きずり出すのだ。
倫理や道徳を踏み潰し、自らの衝動にのみ従う、まるで他人のような自分。
冷静でいて冷静さを欠いていると判断する、滑稽。
ひたすらにあらゆる欲求が膨れ上がる、渇望。
いっそ狂ってしまいたくなる、堕落。
だから、世界は堪らない。
「調教の時間だ、鼠ども」
俺は笑った。




