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pray nonsense(03)

「お前らに任せていたら、いつかは捕まるのが落ちだ!」

 棚崎(たなさき)はデスクに両手を叩き付け、丸々と肥えた体を乗り出した。しかし、()()に銃口を突きつけられていることを思い出し、苛立った様子で椅子に座り直した。その口からは、ぎりぎりと耳障りな歯軋りが絶え間なく鳴っている。

 そこは赤い絨毯が敷き詰められた一室。入り口の扉の両側に大きな観葉植物が置かれ、広い間取りの隅にテーブルとソファがある。一番奥の壁際にはデスクと、棚崎が膨大な体重を預ける豪奢な椅子、更にその隣の棚には蒸留酒と思しき褐色の液体が入った硝子容器が幾つも並んでいた。また、部屋中に飾られた骨董品や絵画に統一感はなく、一貫した主義主張が窺えない。更に付け加えるなら、例の如く、酷い匂いも漂っている。

 俺はデスクに突き刺さった短刀を引き抜き、それを片手で弄んだ。そして、尚も見下すように棚崎を睨む。

 それから数十秒が無意味に過ぎた。

 やがて棚崎は俺を睨み返し、

「何か言ったらどうだ、()()!」

 怒声と共に吐き出された悪臭。

 俺は鼻先に皺を寄せ、指先で短刀を回転させる。それを逆手に握り、刃を急降下、デスクに突き刺した。

 そこには棚崎の太った手があり、その人差し指と薬指の間で短刀の刃が銀色の輝きを放っていた。

「ひっ……!」

 棚崎が短く悲鳴を上げる。

 俺はデスクの上に腰掛け、

「落ち着いてから話そう。会話の途中で邪魔が入るというのは、実に不愉快なものでね」

 見据える扉の向こうからは、騒々しい足音と話し声が近付いてくる。足音や声の数から、人数にして七、八人だろう。

 そして扉が勢いよく開けられた。

「会長、ご無事で……お前ら何してんだっ!」

 室内に入ってきた男たちは俺と陀多、そして棚崎を見るなり激昂(げきこう)し、意味不明な怒号を撒き散らした。その手に手に刃物や銃を握り締め、今にも襲い掛かってきそうな形相だ。

 しかし、棚崎がそれを制する。

「喧しい。お前たちは下がっていろ」

 落ち着いた声だったが、その奥には確実に恐怖を孕んでいた。それが却って、言葉により強い威厳を持たせる。

「で、ですが……」

「とっとと下がれ!」

 食い下がる連中に棚崎は怒号を飛ばした。

「……では、外で待ってます。何かあったらすぐに呼んでください」

 その只ならない雰囲気に気圧(けお)されたのか、俺や陀多に憤怒の視線と言葉を浴びせ、躊躇いながらも男たちは部屋を出て行った。

 ぞろぞろと鬱陶しい連中だ。

 扉が閉まり、俺は棚崎へと向き直る。

「そんなに取り乱すことはないだろう。連中が襲い掛かってきたとしても、四肢を幾つか欠けさせる程度だ。別に死ぬ訳でもない」

「……この鬼畜どもが」

「黙れ、家畜風情が」

「くっ……」

 憎々しげに俺を睨む棚崎。

 だが、そんなことはどうでも良い。

「さて、本題に入ろう」

 俺は陀多に目配せし、視線で棚崎の眼球を捉えた。

 陀多は俺の指示に従い、一歩前に踏み出し、銃口と棚崎の禿げ頭の距離を縮める。

 途端に、棚崎の額から粘性のありそうな気色の悪い脂汗が噴き出す。

「お前は只、黙って金をばら撒いていれば良い。余計なことは考えずに、な」

「だ、だったら、さっさと公安を丸め込んだらどうだ? お前らが言及しようが、公安や警察の野良犬どもは勝手に這いずり回る」

 棚崎は呼吸を乱しながら言い返した。

「心配するな。法務省と特別指定裁判所への根回しは既に済ませてある。いくら連中が動こうと、起訴できないどころか、捜査令状すら出ない」

 そこで俺は唇を歪め、薄い冷笑を浮かべた。

 棚崎は驚きを隠せず、目を見開いていた。

 それもそのはずだ。

 特別指定裁判所とは、経済特別区域である冬ヶ(ふゆがみさき)の独自の法体系に対応するために設置された特別裁判所である。本来、特定の事象のみに関与する特別裁判所の設置は禁止されているのだが、日本のそれと冬ヶ岬では法そのものが違うので、特例として特別指定裁判所が設置されたのだ。そして、その特別裁判所に我々の息が掛かっているという事は、この街では三権分立による司法、立法、行政の権力の均衡が崩れているということになる。

「納得したか?」

 俺のその一言で、棚崎は我に返る。そして顔中から大量の脂汗を掻き出した。

「お前がどんな思惑で眞山(まやま)を匿っているのかは知らないが、下手な真似はしない方が良い。お前には後がない事を、くれぐれも忘れるなよ」

 棚崎が歯を食いしばり、俺から目を逸らした。膝の上の拳はきつく握られ、わなわなと震えている。しかし、やがて震えが治まり、力なく肩を落とした。それから観念したように話し始める。

「眞山を拾ったのは偶然だった。第一種政策立案局(だいいっしゅせいさくりつあんきょく)の奴らが(みつ)を眞山に渡したものの、逃げられたという噂を耳にしたんだ。そんな中、眞山が金を借りていたうちの組員に助けを求めてきた」

「他に贖罪があるなら聞いてやるが?」

「ないっ、本当にそれだけだっ!」

 恥も外聞もなく、慌てて首を左右に振る棚崎。

 俺は短く溜め息を吐き、

「それで、眞山は何処だ?」

赤布(あかふ)のマンションにいる。二、三人見張りにつけた組員から何の連絡も来ていないから、まだそこに居るだろう」

 眞山はデスクの紙切れを手元に寄せた。高級そうな万年筆でそこに住所を書き、俺に差し出す。

 俺はそれを受け取り、確認し、ポケットに仕舞った。

「今回は目を瞑ってやる。それほど深刻な状況じゃないからな」

 陀多も棚崎から離れ、銃を下ろした。

 棚崎はまるで寿命でも吐き出すかのように深く息を吐き、デスクに肘をついた。顔を伏せ、ゆっくりと肩で息をしている。

 その時、扉が開いた。

「ご無事ですか、会長」

 縦線の入った背広を着た、長身の男だった。

 短く刈り込んだ頭髪に堀の深い顔立ち。年齢はまだ若そうだが、頬が削ぎ落とされたように痩せ細っていて、虚弱な老人のように見える。しかし、その双眸(そうぼう)には爛々と殺意の炎を灯しており、有らん限りの怨恨を宿らせていた。

 その奥では、先ほどの男どもが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

「申し訳ありません。私用にて街に出ておりました故、遅くなりました」

 男は俺と陀多を睨んだまま棚崎に頭を下げ、

「会長を襲撃した蛮族とはお前らか」

 その手には一振りの刀が握られていた。

久坂(くさか)……」

 棚崎がばつの悪そうな表情で、苦々しく呟いた。

 久坂、というのがこの長身の男の名前のようだ。

「棚崎、これはお前のペットか?」

 俺は男、久坂を足元から頭まで観察した。再び銃を構える陀多を手で制する。

「い、いや、久坂は……」

 棚崎は銃口を向けられていた時よりも顔が青ざめていた。

「どうした? ほら、上手く言い逃れしてみろ」

 俺は顔だけで振り向き、棚崎を睨んだ。

 久坂という男を見れば、大抵の事は分かる。

 まず、その佇まいだ。左手に刀を据え、いつでも踏み込めるように右足を前にしている。次に、呼吸。呼吸とは動作に直結しており、武術において、呼吸を知ることで相手の次の動作を知ることが出来るとさえされている。しかし、久坂の肩も胸部も他のどの部分も、一切動いていない。そして、武器。利便性や効率性では、刃物よりも銃の方が圧倒的に優れている。そんな武器をわざわざ選ぶ人間は限られてくる。最後に、眼球だ。野生動物と比較すれば一目瞭然だが、人間の眼球は白目の部分が大きい。確かに人間の視覚は眼窩後壁(がんかこうへき)やフォベアなどを得たことで進化したが、白目が大きいことで何処を見ているのかが直ぐに分かってしまう。その男の目は常に俺の足を捉えていた。つまり、初撃の時機を計っているということだ。

 構えは居合術。

 足の長さから単純に推測すると、射程距離は俺の二倍弱。

「専門の訓練と特殊な訓練ではまるで別物だ」

 俺は棚崎に言葉をぶつけた。

 棚崎が核心を突かれたように押し黙る。

「糞豚が、随分と面白い事をしているらしいな」

「狼藉は控えろ!」

 俺の言葉に、久坂が噛み付いた。

「蛮族は所詮、蛮族。言葉よりも行動で示した方が良かろう」

「待てっ、久坂!」

 棚崎が叫んだ。

 俺は棚崎から正面に視線を戻す。

 しかし、振り向いた時には、久坂は俺の間合いに踏み込んでいた。

 刀の柄に添えられた右手。

 その肘先が俺を向き、刹那に斬撃が放たれる。

 長躯(ちょうく)から繰り出される一撃は、横薙ぎの軌道だが、俺の咽喉に襲来する。

 俺は上半身を僅かに仰け反らせ、それを躱した。

 顎の下を風が過ぎる。

 久坂は初撃を躱されたと分かるや否や、直ぐに華麗な摺り足で俺から離れる。

 そして刀身を鞘に収め、膝を(たわ)めた。

 先程のように初撃を悟らせない姿勢ではなく、洗練された抜刀術の構えだ。

 その鞘からは、まさに神速と呼ぶべき斬撃が繰り出されるだろう。

「……ほう」

 俺は風が触れた顎の下を撫でた。

「手伝うか?」

 陀多が言った。当然ながら、俺と同じ事に気付いているようだ。

「いや、肩凝りには程好い運動が良いと聞く」

 俺は円筒ケースを陀多に投げ渡し、テーブルに刺さったままの短刀を引き抜いた。

「か、伽由っ、待ってくれ!」

 背後から棚崎の必死の懇願が響くが、陀多に押さえ付けられたのか、呻き声と共に椅子が軋む音が続いた。

「貴様っ!」

 案の定、久坂は表情を激情に染め、吠えた。

 そして、刃が瞬く。

 風を切る、居合抜き。

 俺は短刀を掌で半回転させて逆手に構え、咽喉の寸前で迫る刃を受け止める。

 凄まじい膂力(りょりょく)だった。

「同じ場所を続けて狙うとは、余程の自信家か余程の手練(てだれ)か、あるいは只の阿呆か」

「黙れっ!」

 久坂は怒り狂ったように荒々しく強引に刀を振り抜き、返しの刃を繰り出す。

 だが、その軌道はあくまで冷静に俺の急所へと来襲する。

 俺は素早く短刀を構え、刃をいなして受け流す。

 久坂は尚も機敏な足捌(あしさば)きで体勢を整え、休む間もなく連撃を放つ。

 上段、下段、突きからの中段、刃を返しての中段、突き、中段と見せかけた下段、上段から突きへの連携。

 その全てを俺は短刀で受け流し、衝撃を逃がした。

 すると、久坂は摺り足と連動し、右上段から刀を振り下ろす。

 連撃を繰り出す場合、どうしても上半身の力に偏ってしまう。そうなると、攻撃の間隔は狭まるが、それぞれの威力が不完全なものとなる。

 つまり久坂は、摺り足からの斬り込みで、衝撃をいなさせないつもりだ。

 しかし、俺は上段から繰り出される刃を短刀で受け止めた。

 一際大きい金属音が鳴る。

「まさか、全力で打ち込めば勝てるとでも思ったのか?」

 俺は小さく鼻で笑う。

 その挑発に、久坂はより怒りに顔を歪めた。

 それは、隙。

 しかし、壁際まで追い詰められてしまった。

 反撃するにも空間が必要だ。

 俺は右足を引き、回転しながら体を沈み込ませる。

 そして、右の踵で久坂の足を払った。

 体勢を崩し、倒れる長躯。

 俺は両腕で床を突き放すようにして、体を弾ませる。

 そのまま着地した壁を蹴り、床に転がる男を飛び越えた。

 起き上がり、慌てて体勢を整える久坂。

 俺と奴の位置が入れ替わる。

 久坂の肩が激しく上下している。

「どうも、調教が足りないらしいな」

 俺は踏み込む、と見せかけ、踏み止まる。

 タイミングをずらされ、刀を上段に構えて防御の姿勢に入る久坂。

 咄嗟にそれがフェイントだと気付き、下段へと刀を構え直す。

 しかし、遅い。

 俺は短刀を投擲(とうてき)

 左脛を狙った刃を、久坂が刀で払い落とす。

 投擲と同時に地面を蹴っていた俺は、右手を懐に滑り込ませ、新たな短刀を取り出した。

 そして右足で踏み込み、左から右へと、男の額を真横に一閃する。

 完全に不意を突かれた久坂の迎撃は一切間に合わない。

 間髪入れず、後方に飛翔。

 右下から迫る斬撃を容易に躱し、久坂との距離を取る。

「くっ……」

 久坂は呼吸を隠すことも忘れ、刀を構えた。最初は及第点だったものの、剣を交える度にぼろが出てくる。大抵の相手なら初撃の抜刀術だけでも充分だろうが、自分と同等、あるいはそれ以上の相手との戦闘になるとまるで対応できていない。

 そんな男の額の傷は、直ぐに塞がった。流れる血も眉間で固まり、黒く変色している。

「身のこなし、傷の治り、共に中々だ。中位から上位の覚醒者(かくせいしゃ)と見て間違いないだろう。そうだろう、棚崎」

 俺は棚崎を一瞥した。

 彼は言葉に詰まり、醜く大量の汗を掻くだけだった。

「兎に角、これを放っておくと面倒だ。脳髄の隅々まで敗北を植えつけてやろう」

 俺は地面を蹴り、久坂に接近する。

 咄嗟に久坂は右上段斬りを放った。

 呼吸を乱し、踏み込みも甘い。

 要するに、不完全な一撃だ。

 俺はそれを左に躱し、久坂の真横に抜ける。

 そして右足の爪先で床を踏み締め、腰を急速旋回。

 男の右脇腹を左膝で蹴り上げた。

「ぐぅっ……」

 呻き声を上げる久坂。

 しかし、仰け反りそうな上体を堪え、刀を水平に走らせる。

 俺は仰向けに上半身を倒し、斬撃を躱す。

 そのまま床に手を付き、地面を蹴り上げて後方転回。

 そして、着地すると同時に男の顔面を狙い、短刀を投擲した。

 久坂はどうにか迫る短刀の切っ先を避ける。

 その瞬時に男との距離を喰い尽していた俺は、右掌底を男の顔面に繰り出した。

 左足で踏み込み、右肩を内側に捻るように繰り出した掌底打ち。

 みしっ、と顎が砕ける嫌な音が響く。

 しかし男は長身なので、下からの突きになってしまう。

 それでは威力が半減してしまう。

 だが、連動して体を左に回転。

 左足で床を蹴り上げる。

 視界が反転し、空中で旋回。

 そのまま左足の踵を男の左鎖骨に叩き込んだ。

 骨を粉砕する、さっきよりも軽い音が鳴る。

 更に、強引に体を捻る。

 そのまま右足の爪先で、男の顎先を蹴った。

 充分な溜めがない強引な蹴りのため骨は砕けないが、脳を揺さぶるには充分の威力だ。

 跳ね上がる久坂の顎。

 彼は脳震盪を起こし、その場に崩れ落ちた。意識ははっきりしているのだろう、腕を床に突き立て、どうにか立ち上がろうとしている。しかし体に力が入らず、幾度となく失敗を繰り返していた。

「無駄だ、少し眠れ」

 俺は短刀を投げた。

 その刃が久坂の頚部を掠め、大量の鮮血が噴き出す。

 次第に久坂の瞼が下がり、血飛沫が治まり始めた頃、彼は気を失った。

「心配するな、殺してはいない」

 俺は、棚崎と騒々しい廊下の連中に言った。

「死体の処理はお前たちが思っている以上に面倒なんだ。死にたいのなら死亡診断書と(ひつぎ)を用意してから来い。いつでも冥府行きの切符をくれてやる」

 廊下が静かになる。

 棚崎はというと、まるで絶望したように力なく椅子に座っていた。数分前よりも老け込んでいるようにさえ見える。

 俺は床に落ちた短刀を拾い上げ、

「用は済んだ。引き上げるぞ、陀多」

「……ああ、そうだな」

 陀多は不審そうに眉を寄せたが、やがて懐に銃を仕舞った。

「か、伽由、これはだな……」

 部屋を出て行こうとする俺に、棚崎が言う。

「ちゃんと躾さえすればペットの一匹や二匹、飼うのは勝手だ」

 そこで俺は振り向き、

「だが、三度目はないと思え」

 細めた目の端で捉えた棚崎は、緊張と恐怖に顔を強張らせていた。

 廊下で群れる男どもは、まるで幽霊でも見たように放心状態だったが、俺と陀多が近付くと怯えるように道を開けた。

 蛍光灯と窓硝子の破片が散ばる廊下を通り、階段を下りていく。

 エントランスに出ると、最初に見た男がまだ倒れていた。廊下や階段の男たちは片付けられたのだろうか。

 それを横目に、硝子が割れたドアのフレームを前蹴りで強引に開けた。それから門を出て角を曲がり、止まっていた車に乗り込む。

 そこで、陀多が口を開いた。

「いいのか?」

「奴には貸しを作っておく必要がある」

 陀多からの質問を予想していた俺は、簡潔に答え、後部座席に置いてあるアタッシェケースを取った。

「報告は?」

「上層部は俺が丸め込んでおく。下手な手出しはさせないさ」

 覚醒者と呼ばれる人間は、政府の極秘計画である七十二支構想(ななじゅうにしこうそう)に属する機関で管理されなければならない。つまり棚崎が覚醒者である久坂を配下に置いているということは重大な問題であり、本来ならば始末されてもおかしくない状態だ。

「俺自身、このまま終わるつもりは毛頭ないからな」

「どういう意味だ?」

 陀多が眉を寄せた。

 俺は片目を細め、

「いや、何でもない。最近、独り言が増えたな」

 陀多はまだ納得していない表情だったが、追及を防ぐために俺は無線に話しかけた。

(ささ)、ご苦労様」

「いえ。伽由さんは、お怪我はありませんか?」

 イヤホンから篠が返事をする。

「ああ。それで、また一つ頼みたいんだが、今から言う住所のセキュリティを解除してくれ」

「分かりました」

 俺は棚崎に渡された紙を取り出し、そこに書かれた住所を読み上げた。

「宜しく頼む」

「はい」

 篠の返事を最後に、無線が切れる。

 俺はアタッシェケースを開き、脱脂綿を取り出した。そこにアルコールを染み込ませ、血液が付着した短刀の刃を拭った。赤黒く染まった脱脂綿を袋に入れ、短刀を懐に仕舞う。それからアタッシェケース内の弾倉を陀多に渡した。

「陀多、お前も補填しておけ」

「そうだな」

 陀多は何か言いたそうな顔をしていたが、銃から古い弾倉を外すと、それを俺の膝の上のアタッシェケースに入れた。

 ふと、車の窓に水滴が透明な円を描いた。そして、(せき)を切ったように次々と雨跡の紋様が硝子を叩く。

「しかし、棚崎金融が手中にあったとはな。お前は知っていたのか?」

 陀多が言う。

 俺は彼と目を合わせないように、

「……もう、五年も前の話だ」

 頼みもしないのに記憶が勝手に蘇る。

「元々、棚崎は財務省の官僚だった。つまり、俺たち国使(こくし)防衛局(ぼうえいきょく)に並ぶ第一種政策立案局の上部組織にいたということだ。それをいいことに、奴は蜜を横流しにし、膨大な金を得ていた。蜜は貴重かつ重要な物資だ、七十二支構想の存亡に関わる」

 硝子には幾つもの水滴が縦に走り、雨音も強くなっていた。

 俺は硝子に映る自分を睨み、

「本来なら、棚崎は始末されるはずだった。だが、残念ながら奴の金を動かす能力は本物だ。そこで、冬ヶ岬で蜜の流通を活発化させるために、棚崎金融という金の源泉を七十二支構想に組み込んだ」

 硝子越しに俺は陀多を見た。

「悪く思わないでくれ。棚崎のことは内部でも易々と話せることじゃないんだ」

「分かってるよ」

 陀多は真面目な表情で、硝子に映る俺の目を見た。

 内情を把握しているということは、それ相応の責任を伴うということだ。そしてこの場合、責任と危険はほぼ同義である。そのことは、この世界に入って三年になる陀多も充分に理解しているだろう。

「気に喰わないな、その目」

 俺は苦笑した。

 硝子に映ったその表情は、自分でも驚く程に力のない表情だった。

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