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have-not(04)

 監督署を出た俺たちは、そのまま街中を歩いた。企業区域と中心街の境界となる線路を歩道橋で渡る。そこから見える景色には、足早に帰路を急ぐ者や未練がましく酒を(あお)る者、そして一番多いのは疲れ果てた顔で緩慢に歩く者だった。

 そんなに嫌そうな顔をするくらいなら、生きなければいい。そう思うも、そんな単純な問題ではないことも分かっている。自殺という選択肢を実行に移せる勇気と潔さを持つ者はあくまでマイノリティ。往々として人間は弱く、何かに急かされるように生きようと、朝が来るたびに溜め息を吐こうと、ただ生きることしかできない。生か死か、そこに生きがいを見出す俺でさえ、その二つだけでは割り切れない部分もある。いや、もしかしたらその部分の方が大きいかもしれない。それを、人間らしい、という単純な言葉で一括(ひとくく)りに出来るから、無性に憤りを感じてしまう。

「それで、白露(はくろ)は堂々と中心街に潜伏していた訳か」

 俺は遮光眼鏡の位置を直し、隣を歩く柳里(やなり)の足元を見齧(みかじ)る。

「灯台下暗しとはまさにこのことだね。中心街は通りから少し外れれば、まだまだ開発途中の区域が目立つ。そこに目をつけたんだろうね」

 彼はまるで緊張感の無い口調で言った。冷静というよりも、本当にどうでも良さそうだった。

 実際、あれでも白露は、かつての国使防衛局三大戦力に数えられていた。要するに、見付かったらしい潜伏場所はおろか、近くにはもう奴はいないだろう。こちら側の動きはある程度の予測ができているはずだ。それでも、以前から不信感があった故、腫れ物を扱うような待遇を受けていたが。しかしそういった点では、俺とあまり変わらないかもしれない。

 ところで、今回の白露の潜伏先が見付かったきっかけは、どうも周防(すおう)らしい。ビルから飛び降りた白露を、彼女が人工衛星を使って追跡していたようだ。途中で姿を見失ったものの、こうも早く発見できたのはそのお陰だ。

 俺は刀を収めた円筒ケースを肩に担ぎ直し、

「しかし周防の奴、そんなこと言ってなかった。相当俺を憎んでいるようだな」

「嫌悪なんて一時の感情だよ」

 柳里が振り向いた。

「いや、あいつが俺に抱いている感情は憎悪だよ。憎しみは他の感情に還元されることはない」

 俺は何気なく、視線を上げた。

 頭上には、黒に濃紺を惜しみもなく混ぜたような空が広がっている。街の明かりのせいで星はほとんどなく、のっぺりとした月が吊り下がっていた。空気も、澄んでいる印象はまるでない。

 柳里は短く溜め息を吐いてから、

「彼女は、陀多(だた)が好きだったのかもしれないね」

「さあな。その逆はあっただろうがな」

 恐らく、陀多は周防に好意を抱いていた。何らかの確信があった訳ではないが、普段の奴を見ていると、何となくそう思えたのだ。そうでなければ、いくら奴が難儀なほど厚情な性格をしていたとは言え、任務時以外は酒と煙草に溺れる女を一々介抱したりはしないだろう。しかし、死んでしまっては何にもならない。全てが無機質で無意味なものになってしまう。

「弱いことは罪だね。それを否定したいのなら、結果論だが、この世界にはいるべきじゃない」

 そう言う柳里は苦笑でもなく微笑みでもなく、不思議な笑顔を浮かべる。

「何も完璧を求めている訳じゃない。精神か肉体か、そのどちらかが強靭(きょうじん)でさえいればいい。私や君だって、精神面は脆い。身体か頭脳かの違いこそあれ、秀でた能力を持っていたからこそ生き残れたんだ」

「……そうだな」

 俺は頷くことしかできなかった。陀多が死んだことを悲しんでいる自分も、(ゼロ)じゃないことは確かだ。しかし、それと同時に解析不能な思考が湧き出てきた。恐らくそれは、自分自身の存在の是非への自問自答だ。今まで何度も問い掛け、思索し、納得できる答えに辿り着けなかったもの。結局、今回も答えは見つかりそうもなく、思考を強制的に終了した。

「その点、宮森(みやもり)は生き残りそうだな」

「ああ、彼女は精神が強い。稀に見るよ、ああいう人種は」

 俺たちの世界では、精神が強い者は少ない。それは意識の根底に劣等感を抱かざるを得ないからだ。俺たちが日の目を見ることは無いにも関わらず、人間が無意識に報われる事を望む以上、仕様のないことだ。

 そんな中、宮森は現状に幸福の種を見出している。汚泥の中を足掻くようなこの世界で、その延長線上にある自分の未来を最高のものとして望んでいるのだ。

 確かに、俺や柳里にも目標や生きがいはある。しかし、それは妥協でしかないのだろう。戦いしかない世界で生きる、そんな自分たちを納得するため、欺瞞(ぎまん)に満ちた目標や生きがいを体裁として繕うのだ。あくまで無意識にだが、解析するとそういう結果に至る。つまり、もしかしたら、という言葉と共に、別の世界で生きている自分を想像し、現在の自分に劣等感を感じてしまっているのだ。ところが、宮森のように精神が強い者にはそれが無い。

 俺は溜め息を吐き、

「十年後の指揮官はあいつだな」

 そう言ったものの、気分は下下。無論、十年後も俺は生きている想定だ。彼女の能力は認めるのだが、奴の下で働くのはどうも気が乗らない。

「私は現場指揮官から外事対策局統括官になっているだろうけど」

 当然、と言わんばかりに、柳里は何の疑いも無い口調で言った。そのまま道路を渡るのか、横断歩道で立ち止まる。

「出世か、興味ないな」

 目的地を知らない故、気付かずに行き過ぎた俺は、戻るのも億劫なのでフェンスを跨いだ。ちょうど車の流れが止まったので、道路を渡る。

 縷々はフェンスの下を潜り、駆け足でついてくる。

「交通規則ぐらい守ろうよ、伽由(かゆ)

「知ったことか」

 俺はまたフェンスを跨ぎ、柳里と合流する。

 縷々も窮屈そうにフェンスの下を潜った。

 辺りはいつの間にかひっそりとした雰囲気に包まれていた。車はそれなりに流れていくが、通行人はほとんどいない。建物の明かりも消え、店舗が入っていない物件が目立つ。

 中心街とは言え、冬ヶ岬にはこういう光景がよく見られる。冬ヶ岬がまだ開発途中だということもあるが、経済に特化した区域であるが故に、通行量の多い場所とそうでない場所の差が大きくなってしまうのだ。ここは駅に近く、通常の都市部では栄えてもいい立地条件をしている。しかし冬ヶ岬では駅から限られた通りのみに人が流れ込み、そして店舗が集中する傾向がある。端的に言えば、極端な街ということだ。

 ふと、思い出したように柳里が俺を一瞥する。

「そう言えば伽由、また獅子雅天褒章(ししがてんほうしょう)の受賞を辞退しただろう。いいかい? いくら国使防衛局三大戦力の君とは言え、上層部の連中に嫌われるとどうなるか分からないよ」

「ふん、自己満足に付き合う気にはなれないな」

 俺は歩調を速め、柳里を追い越した。

 獅子雅天褒章とは国使防衛局戦闘員に贈られる勲章の一つだ。絶対的な信頼と逸れに基づく評価を意味するもので、一階級特進と賞与が与えられる。過去、数えるほどしか受賞していない。この章を始め、俺は勲章の受章を一切拒否している。

 そもそも、こういった類の勲章は俺たちの機嫌取りだ。社会の裏で生きる俺たちが報われることはなく、つまり謀反の可能性も出てくる。事実、獅子雅天褒章とまではいかないが、特に優秀な戦闘力を持つと評価された者に贈られる竜鳴夷旺章(りゅうめいいおうしょう)を受理した戦闘員が反乱を起こしたことがある。それを俺が阻止したことで、今回の通算三度目になる獅子雅天褒章の話に繋がったのだから、まったく皮肉なものだ。

 交差点に差し掛かり、横断歩道の信号が赤に変わる。

 目的地が分からないので、俺と縷々は立ち止まった。

「自分で言うのもなんだが、戦術級の戦闘能力を連中が易々と手放すとは思えないがな」

 そう言いながら俺は振り向き、肩をすくめた。無論、あくまで客観的な評価だ。

 一方の柳里は俺の仕草を真似するように肩をすくめ、

「戦術級? 戦略級の間違いだろう。君は過小評価が好きだな」

「それを過大評価と言うんだ」

「なら、その中間ということで妥協しよう」

「知らん」

 俺は首の後ろを押さえた。

 柳里は俺の目の前を通り過ぎ、左折する。その際、片手に持った資料を振った。

「それより眼鏡、そろそろ外したらどうだい? 太陽なんてとっくに沈んでいるよ」

「頭痛が酷いんだ」

「ああ、副作用か。優れ過ぎた身体能力というのも大変だね」

「今日はいつもより酷い。こればかりはどうにもならないな」

 俺は首を回し、柳里の後を追う。

 覚醒者(かくせいしゃ)の中でもその能力が顕著な固体は、ほとんどが偏頭痛を持つ。亜型成長ホルモン(あがたせいちょうほるもん)の作用で視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感は発達し、処理しきれないほどの膨大な情報を脳へと送る。脳がそれを処理しきれず、頭痛を引き起こすのだ。だから遮光眼鏡をかけ、視覚で捉える情報量を意図的に制限しているのだ。

 頭痛の頻度は、俺の場合は週に数回である。しかし、ここまで酷い痛みは久々だ。白露との戦闘でバイオリズムに乱れが生じたのかもしれない。

「こっちだよ」

 俺が指で目頭を揉んでいると、いつの間にか柳里は建物の階段に足を掛けていた。

 古ぼけた建物だ。三階建ての、どこか俺たちが使用している事務所に似ている。壁伝いに外階段が延び、安っぽいトタン屋根が被さっている。当然ながら店舗や事務所は入っておらず、それらを募集するようなものもない。

 かん、かん、と足音を立てながら柳里が階段を上っていく。

 俺は縷々を抱き上げ、階段を上がった。

 三階の踊り場に出ると、すぐ隣の扉が開き、壮年の男が俺たちを迎えた。外事対策局の局員のようだ。

「お待ちしておりました。あれ、伽由さんもご一緒ですか」

 俺は一瞥だけでそれに答えた。念のために記憶を遡ったが、こんな男とは会ったこともない。そう言えば、牛耳(ぎゅうじ)とかいう新人が俺を有名だと言っていたか。こちらが知りもしない人間に一方的に知られるというのは、余りいい気分じゃない。

 建物の中は空虚だった。まるで転居が済んだ後の部屋のように、家具家財が見当たらない。カーテンが締め切られ、痛んだフローリングを乾いた照明が照らす。

 俺は廊下の壁に背を(もた)れた。どうせ痕跡などろくに残っていないだろう。それに頭痛が一向に治まらないので、可能な限り視覚を使いたくない。

「伽由、見ないのかい?」

 柳里が言う。

「ここにいる。結果だけ教えてくれ」

 俺は、もぞもぞと腕の中で動く子犬を床に下ろし、しゃがんだまま壁に寄りかかった。天井を見上げ、目を閉じる。縷々の舌だろうか、手の甲にざらついた感触が届く。手探りで彼女の頭を撫で、ゆるりと溜め息を長く吐いた。奥から数人の話し声が聞こえ、聞きたくもないのに、音の情報を脳が勝手に処理をする。

 先ほどの男と柳里の声。そして別の足音。恐らく警備のために派遣された国使防衛局の局員のものだろう。

 しばらくの間そうしていると、足音が近付いてきた。

「大丈夫かい? 帰った方がいいんじゃない?」

 柳里の声だった。

「お前が連れてきたんだろうが」

 俺は立ち上がってから目を開ける。

「それで、何か分かったのか?」

「まるで何も」

 彼は眉を寄せ、

「強いて言うなら、これぐらい」

 そう言って柳里が見せたのは、袋に入れられた白い髪の毛だった。

竜胆(りんどう)か」

 白露のコレクションとして鹵獲(ろかく)されたままの二個体の内、竜胆は長い白髪をしていた。老化ではなく色素欠乏が原因らしかった。DNA鑑定をしてみないと確実性はないが、あの毛髪は恐らく竜胆のものだろう。

「あの変態、わざと残していったな」

「多分。もうこの近くにはいない、そう言いたいんだろうね」

 潜伏場所を持つ際、それぞれ離れた場所に複数用意するのがセオリーである。追われる身である以上、どうしても数手は不利になる。それを補うために、用意は周到に周到を重ねるのだ。

「要するに手詰まりか。まあ、予想はしていたが」

「おいおい、本来の目的を忘れないでくれ。白露は出てきた時に捕らえればいい。君か海菴(はいれん)なら、最低限の武器さえあれば可能だろう」

 柳里が含みを持った笑みを浮かべる。

 俺は顔を逸らし、

「海菴ね。あいつ、今はどこにいるんだ?」

「君の代わりに本部にいるよ。本当、こうして見るとやりたい放題だよね、君」

 召集や表彰など、任務以外の上層部の命令を無視している事を言っているのだろう。

「一応忠告していくけど、伽由、上層部から相当嫌われているよ」

「結構じゃないか。敵が増えるのはいいことだ」

 俺は外に出て、踊り場の錆びたフェンスに寄りかかる。

 縷々は高い場所が怖いのか、落ち着かない様子で俺の足に擦り寄る。

 柳里は腕を組み、

「まさか、教え子とまで戦いたいなんて思ってないだろうね?」

「あいつの癖は知り尽くしている。戦っても何も面白くない」

「……そう」

 呆れた顔をする柳里。

「そう言えば、監督署でこの前会ったけど、久々に伽由の顔を見に行きたいとか言っていたな」

「やめさせろ。あいつと(ささ)は顔を合わせただけで喧嘩になる」

 言ってから、苦い感情が湧き出た。舌を打ち、溜め息を吐いた。

「上には嫌われる癖に、下には好かれるんだよね、君って」

 何ら変わらない口調で言う柳里。俺の心境を察したのだろうか、その白々しさが苛立たしい。

「それより研究者の居場所は既に掴んでいるのか? こっちが本来の目的なんだろう?」

 俺は話題を変えた。

 夜気は微かに湿度の匂いを含み始めていた。雨とまではいかないだろうが、霧ぐらいにはなりそうだ。

「何箇所か候補は上がっている。刺激するために、近々戦闘員を送り込む予定だよ」

 要するに、技術の経過を見るためだろう。

 蜜、つまりフィラデンシア原核生物の研究は他の研究分野と違い、速度が速い。細胞の培養速度もそうだが、何より結果が出るまでのスパンが短い。そのため、一ヶ月もあればそれなりの進歩は見られるだろう。実験台なら幾らでもある。冬ヶ岬というケージの中に。人員が少ないことも考慮し、半年あれば充分だ。その頃には、七十二支構想は第十八支に移行しているだろう。

 フィラデンシア原核生物という基盤を気付き上げるためには、それこそ一世紀にも及んで労力が費やされている。しかし基盤が完成している今、進展は加速するだろう。

 七十二支構想が第十七支に移行したあの日から一週間。緊張感を持たせるためにも、そろそろ刺激を与えていい時期かもしれない。

「さて、君はそろそろ帰りたまえ」

 柳里が突然そんな事を言い出した。

「は?」

 思わず拍子抜けした声が出てしまった。

 しかし彼は大袈裟に首を振りながら、

「こうも毎日私のところに来られては、宮森君が私と君の関係を本当に誤解してしまう」

「貴様が呼んだんだろうが。それに、他に行く所なんて無いんだが……」

 俺は歯を食い縛り、苛立ちを堪えて言った。

「家に帰ればいいじゃないか。今の君には頼もしい味方がいるんだし」

 縷々を見る柳里。

 彼女は凛々しい瞳で俺を見上げていた。

「本当、頼もしい限りだよ」

 溜め息を吐くしかなかった。そもそもこんな状態がいつまでも続くとは思ってもいなかったし、続けるべきではないと思っていた。

「帰る気になったかい?」

「まさか嫌う前に嫌われるとは思わなかったよ、お前に」

 うな垂れた俺は柳里を見上げる形になる。

「勘違いしないでくれ、他意はないよ。むしろ私は君の事が……」

 含みを持った笑みを浮かべ、俺の顎に指を伸ばす柳里。

 俺は全身全霊の拒絶を込めてその手を払い退けた。

「……不潔」

 背筋に悪寒が走る。不覚にも、周りに人がいないか確認してしまった。

「あはは、今のは冗談だよ」

 柳里はというと、清々しく笑ってやがる。

「当たり前だ……」

 俺は縷々を抱き上げ、

「もういい、今日はホテルにでも泊まるさ」

「縷々はどうするんだい?」

「子犬の一匹や二匹、何とでも誤魔化せるさ」

「そう。じゃあ、気をつけて」

「誰に言ってるんだ」

 俺は階段を下りた。しかし二階の踊り場を過ぎたところで足を止めた。

 階段の下に篠がいたのだ。

「あいつ……」

 道理でおかしいと思った。いくら白露が潜伏していた場所とは言え、戦闘の危険性はほとんど無い。ましてや、国使防衛局の戦闘員も来ている。そんな場所にわざわざ俺を連れてくる理由が見当たらない。加えて、来て早々に追い返す始末。引き返して舌を切り落としてやろうか。

 上顎に張り付くような弱々しい湿度。

 縷々が腕の中で動いている。

 俺は彼女の脇を素通りしようとして、やめた。

 振り返り、

「すまなかった」

「……え?」

 篠は辛そうな表情に、驚いたような波紋を落とした。髪は結っていなかった。

 ヘッドライトと共に車が通り過ぎ、静寂が蘇る。

「少し、話をしよう」

 その時、俺がどんな顔をしたかは分からない。

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