古びた礼拝堂
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「私が侯爵家の血を引く生まれだなんて。本物のお姫様になれるのね。いえ、返り咲けるのね」
初めて乗った美しい馬車は全く揺れず、今まで着たことのない眩い白さの膝丈ドレスは、ツヤツヤと動く度に柔らかい光を放つ。縫い付けられたビーズは宝石だろうか。田舎では見たこともない繊細な模様の刺繍だった。
何もかもが嬉しくて何度もドレスを触っていると対面からの冷たい視線に気付く。
「何見てんのよっ。
そうでしょ。アタシってば侯爵家のお姫様として、伯爵様と結婚出来るんでしょ? 偉いのよ」
「伯爵令息です」
「変わらないわよ!」
迎えに来た侍女とやらは少し大柄でツンと澄ましていて鬱陶しく、腹が立ったビージは噛み付くように怒鳴り返した。何処かで見たことがある気がしたが、ビージは服の美しさに興味を戻す。何度見ても所々透けた布地に施された刺繍は美しい。
「お静かに。唸り声なんてみっともない。貴女、野生の動物ですか?
此方は何時でも放り出せるのですが」
「……ふ、ふん。アンタの責任になるわよ」
「見つからなかった、とご報告します」
その言葉に舌打ちして、ビージは大人しくなる。
その様子を熱の無い目で侍女は見つめていた。
そして、着いたのは……。
「え、教会?」
「礼拝堂です」
ビージの眼の前にあったのは、建物の端に立つ古びた礼拝堂だった。大きくはあるが、あまり豪華な造りではない。曇天のせいか、少し湿気た臭いもする。大きな街のように見えるが、此処は王都なのだろうか。町から出たことのないビージには分からなかった。
「此処に私の旦那様がいらっしゃるのね」
「ですから……はあ。いいです、早く来てください。その荒れ放題の髪を何とかしなければ」
「……アンタ、アタシが伯爵夫人になったら放り出してやる」
「どうぞ、出来るものなら」
更に喚き出そうとしたビージだったが、周りに屈強な兵士達に囲まれているのを見て渋々歩き出す。
連れてこられた小部屋の中の小さな鏡台に座らされ、髪を纏め豪華な髪飾りを付けられたので、ビージの機嫌は直った。キラキラと垂れる房飾りはまるでお姫様のようだ。
しかし、肝心の花嫁のヴェールは被されない。
それに、人の気配があまりしない。
「ねえ、ヴェールは? 招待客は何で居ないの」
「貴女、裾を踏まず転ばずに歩けるんですか?
……早く歩いてください」
静かにしているだけで、誰か居るのかとビージは期待した。だが、礼拝堂には誰も居ないかのように静かだった。
硬い石の床には絨毯すら敷かれていない。寒々しい造りだった。
だが、奥に誰か居るようだ。
「……誰?」
ビージが目を凝らすと、小さな祭壇が置かれた奥に男性がふたり居るようだ。長い衣の若い小柄な男と、年老いた男だった。
「……案外貴族の結婚って地味なの……?」
ビージは若い男の方が伯爵なのだろう、と納得した。遠目にも中々中性的で整った美しそうな顔をしている。年寄りの男の方は付き添い? と思ったビージに怒号が飛んだ。
「何をしている、小娘。早く来い」
「ヒッ」
年寄の男の声が響く。有無を言わさぬその迫力に怖気付いたビージは引き返そうとするが、侍女が引き摺るように祭壇の方まで引っ張った。
そして、何故か年寄りの男の隣へ並ばされる。
「……生意気そうな小娘だ」
「左様で」
「ひっ、いやっ、あ……」
「黙れ、小娘」
迫力のある顔面傷だらけの年寄りの男に睨まれ、ビージは立ち竦む。我儘放題で育ってきた彼女には、こんな恐ろしい殺されるような顔を見たことがなく、遭ったことなんて無かった。
「まあまあ。さ、お二方。新郎ジツン伯爵令息ビアス代理マーカー殿。新婦代理への真心を誓いますか?」
若い男が朗らかに、とんでもない内容を年寄りの男に話しかける。
「仕方あるまい」
「……」
まさか、この悍ましい年寄りと結婚させられるのか!?
ビージは既に逃げ出したかったが、侍女に凄い力で腕を握られていた為身動きが取れなかった。
「では、ホフル侯爵令嬢代理エリージェ代理ビージ嬢、新郎代理への真心を誓いますか」
「あ、あの……? あの、ええと……何の話……」
半泣きのビージが少しでも抵抗するが、鼻で嗤われただけだった。
「其処は省略でもう良いであろうか。
では、私はこれで失礼する。侯爵様に報告しなければ」
「はい、お疲れ様でした」
訳が分からないまま、年寄りの男は立ち去りビージは放置された。恐怖のせいか立ち眩みがする。だが、あの怖い顔が居なくなってホッともしていた。
「な、な……何なのよ! 何なの……」
「はい、代理お疲れ様でした。もう野辺に戻しましょうか」
優しげな若い男の声が、混乱していたビージの神経を逆撫でる。
「な、何なの……。代理って何。何なのよ、アンタら! あた、アタシ……伯爵夫人……」
ビージの叫び声に、若い男は訳が分からないとばかりに首を傾げた。心底訳が分からないのは此方の方だと喚こうとするが、その目を見た時ゾクリと背筋に冷たいものが走り、凍ったように手足が冷たくなった。
此方を何とも思っていない、空洞のような底のない青い目だった。
何時の礼拝堂にはきちんと絨毯が敷かれているそうです。