噂に包まれた田舎町
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王都に近いけれどパッとしない田舎町出身で領地もない貧乏騎士の娘が、高位貴族に見初められた。
そう噂になったのは、つい先月らしい。
しかし本来は、噂などではなく『見初められた娘』そのものが大声で其処此処で喚き散らしている、らしい。
噂の彼女の名前はビージ。よくくだらないことで話を大きくして騒ぎを起こす困った娘として有名だった。
「へえ。本人が噂を撒いて……凄い話ね」
「そうなのよ、ラティーナ」
同じく騎士階級の生まれのラティーナは、ビージの近隣に住む17歳。
ラティーナは王都のデージタ伯爵家のタウンハウスに下級侍女としてお勤めへ出ていたが、叔母のお産の手伝いの為に、昨日王都から生家へ戻ってきたばかりだった。
ラティーナのお仕えしているデージタ伯爵様は良い方で、ご家族共々素晴らしいご領主だった。
でも、高位貴族の中には、使用人を人を人とも思わない方々も多く居る。
ラティーナは下級侍女として屋敷の奥で仕事をしているから、高位貴族の目に止まる事はまずない。
だが、目を覆いたくなる事は多数見聞きしてきた。
乱倫の当主に乱暴されて身籠り、子供ごと追い出された下働きの娘。
有閑夫人の遊び相手にされた上、惨たらしく殺された若き従僕。
若い頃に無理矢理愛人にされたが、年老いて醜いと棄てられた庭師、見当違いの難癖を付けられて自害を命じられた料理人……。
「お相手様は、ジツン伯爵家……」
使用人に対する悪辣な噂が絶えない家だ、とその手の話には事欠かない。ラティーナが仕えているデージタ伯爵家と同じ派閥だからか、恐ろしい噂は下の方までよく聞こえてきた。
そんな家で育った高位貴族の青年が、位など有って無いような身分の娘を見初める。
しかも同じ派閥に属するとは言え、初対面の娘に結婚を申し込む?
ほぼ平民と同じような教養もない育ちの娘を?
……そんな訳有るのかしら? とラティーナは首を傾げた。
だが、殆どもう合わず連絡も取らずビージとは没交渉だ。彼女自身もいい人物とは言い難いし、いい思い出もない。
どうでもいいか、と放置していた。
「ラティーナ、羨ましいんでしょう」
しかしある日。
叔母の用事で買い出しの為、商店が集まる大通りに出かけたら、なんとビージと会ってしまった。
挨拶も無しに開口一番そう言い放たれて、ラティーナは面食らう。
数年会っていなかったが、上から目線のニタニタ顔は変わっていないようだ。
そう言えばラティーナが働きに出る前、街道で事故に遭って保護された少女に付き纏った上イビって楽しんでいた。あの時は追い払うのが大変だったのだ。
ある日、少女の家が分かりラティーナの親とビージの親が送って行ったような気がする。昔のことだったので、ラティーナの記憶は曖昧だった。
しかし、昔向けられていた面白半分で自分本意な悪意をヒシヒシと感じる。全く性根は変わっていないようだ。
それに、顔立ちは昔よりも陰険さが滲み出ている。
とても一目惚れされるような顔ではないのに、とラティーナは思った。
「……何の話よ。私、忙しいの」
「無理しちゃって。アタシが羨ましいんでしょ? でも、無駄よ。
やーね、おこぼれに預かろうだなんて卑しいわ」
「羨ましいとか無いわ」
「は? 横恋慕はやめてよ! アタシは、高貴な伯爵様の花嫁なんだから!!」
話にならない。
振り切って買い物をしようとするが、ビージはなんと後ろをついて回ってくる。
「アタシ、忙しいのよねー。
婚約者様の侍女が使えなくって。全然なってないのよ。アンタ、臨時で雇ってあげようか?」
「すみません、おくるみ用の布を一巻きください」
「なーんて、本気にしないでよ。アンタみたいな貧乏人がアタシの肌に触るとか、気持ち悪い。
不潔な安物さが移っちゃう」
移るとか罵る割に寄ってくるビージから放たれる、甘ったるい匂いが鼻に付く。
ラティーナは不愉快さを隠さずに、淡々と布を包む店員に向き直った。
「お幾ら?」
「半銀貨三枚だよ」
「銀貨二枚で」
「はい、お釣りね。毎度有難う御座いました」
「有難う」
ラティーナの相手をしてくれた店の女性も、無表情だ。慣れているように見える。
どうやら、ビージは何時もこの道で誰なりと捕まえて自慢を繰り返しているらしい。そう言えば、昔も店員にくだらない絡み方をしていたな、とラティーナは思い出した。
「ラティーナ、聞いてるの? 全くコレだから貧乏女ってどこまでもネチネチしてるのよね」
「おい、アンタ。さっきのお釣り違ったぞ」
「えっ」
「やだ、お金の話よね? 卑しいわ。もう二度とアタシに寄らないでよ」
金銭、と聞くと巻き込まれたくないのかビージはサッサと身を翻し、ラティーナを置いて何処かへ行ってしまった。
面倒なのが居なくなって願ったり叶ったりではあるが、ラティーナには心当たりがない。先程払った金額は間違いなかったのに。
帰省しても心休まらないようです。