第8話 告白
「ヴィクター・グレイヴスさん」
よほど神経が昂っているのか、背後から話しかけたハーデットに悲鳴をあげんばかりに驚いたのが、その跳ねた小柄な体と表情からわかった。
「はい。私がグレイヴスですが、そちらは?」
体は小さいながら、広い肩と分厚い手のひらを持ち、日々の肉体労働の名残がそのまま姿に表れていた。くたびれたダスターコートの裾は擦り切れ、厚手の作業靴は煤けたままだ。髪は手入れが行き届いておらず、煤けたような焦げ茶の髪にはところどころ白いものが混じっている。
目元には疲労と決意が交錯し、灰色がかった瞳は大きく見開かれていた。
「私は探偵のアレクシス・ハーデットと申します。こちらは助手のエヴァンスです」
助手と紹介されたことに違和感を覚えたが、恐らく自身の経験から便宜上そのほうが良いと判断したのであろう。私は否定の代わりに簡単な挨拶を口にした。
「よろしければ、中でお話を伺いたいのですが」
絶えずそわそわした様子だったが、伏せた目をあげたときのグレイヴスは、どこか覚悟を決めたように見えた。
「ええ、どうぞ」
「どうもありがとう」
家の中は小ぎれいにしてはいるが古びた木製のテーブルやイス、ジンなど、生きるために必要最低限な物しかなかった。
だからこそ、手製のグリムウォード・ブリッジの模型が目立った。
グレイヴスはくたびれたダスターコートを畳んで机に置くと、ジンをコップに注いで椅子に腰かけた。
「失礼しますね。なにぶん長い一日だったもので」
それを一気に飲み干すと、ふっと小さく息を吐いた。
「まさか、私の帰宅を待ち伏せている者がいるとは思いもしませんでしたよ。そしてあなたがここに現れたということは、私の足取りを正確に追っていたということでしょうから、この手のカバンの中身までも、いずれ暴かれるはずです。……私の身は天に委ねることに致しましょう。大義は成し遂げられた、それだけで満足です」
大義という言葉には、ただの罪人ではない確信めいた響きがあった。
「どれほどの時が経とうとも、目を閉じれば、あの日の惨劇が目の前に広がります。大地を揺るがすほどの轟音、灼熱の風、立ち込める黒煙……そして、家族の悲鳴が」
時折、言葉を詰まらせながらも、グレイヴスは呼吸を整え、ふたたび語り始めた。
「あの男、マーロン・ハミルトンは……あの日、私たちの村に突然現れて言いました。「この鉱山を爆破して採掘を始める。巻き添えを食いたくなければ、さっさと移動しろ」と。まるで、そこが私たちの生まれ育った故郷ではないかのように。
何もない不便な土地でしたが、それでも私たちは先祖代々守ってきたのです。簡単に捨てられるはずがありません。だからこそ、私たちは必死で抗議し、村長は役所にも訴えました。しかし、ハミルトンはすでに役人たちを買収していました。その上、「爆破の許可は正式に下りた。これ以上抵抗すれば罪に問われる」と圧力をかけられ、私たちは追い詰められていきました。
――そして、あの日が来ました。
私たちは爆破を止めるため、現場に集まりました。最後の、抗議でした」
グレイヴスは震える手でジンを注ぐと、それをぐいと飲みほした。
「ですが、ハミルトンは私兵を使い、私たちを強制的に排除すると、その隙に爆破作業を進めたのです。轟音が響き、大地が揺れ、爆風が炎を巻き上げました。火の粉が降り注ぎ、私たちの家々を燃やし尽くしたのです。
――逃げ遅れた人もいました。
後日ハミルトンは「風向きが悪かった」と言い訳しました。ですが、それは嘘です。私は見たのです。
――爆破の後、ハミルトンが火を逃れた家々に油を撒くところを。
黒煙の中で、あいつは笑っていました。まるで楽しんでいるかのように。
彼の狙いは、最初から村の地下に眠る鉱石でした。
そのためには、鉱山の爆破だけでは不十分だったのです。すべてを灰にし、私たちが戻れないようにする必要があった。
あの日を境に、生き残った村人たちは戦意を失いました。故郷を焼かれ、大切な人を奪われ、それでもなお、相手は法で裁かれることすらなかった。私たちの嘆きは、金と権力に握り潰されたのです。
だが、私は違いました。
私は、ハミルトンが油を撒く姿をこの目で見た。あの醜悪な笑みを貼り付けたまま、罪悪感のかけらもなく火を放つのを。
私の中で、あの日から炎は燃え続けていました。復讐という名の炎が、心の中でずっと。それからというもの、起きている時間は常に奴を殺す計画を練っていました。
殺害場所は緻密に考えました。まず奴が日常的に出入りする劇場やレストラン、クラブの類をすべて洗い出しましたが、なかでもエクリプス・クラブは個室もあり、人目を避けるにはうってつけでした。クラブの構造から殺害方法の糸口を探るため設計図のコピーも入手しました。
そして見つけたのです。あのクラブの秘密の通路については……やはりご存じですよね。これなら奴の死体を人目に触れずに運び出すことができる。それだけじゃない、その通路はグリムウォード・ブリッジに抜けていましたから、人通りが多いあの橋に醜い死体を吊るすことだって可能かもしれない。神の啓示に導かれるように、私の計画は練られていきました。
私はグリムウォード・ブリッジの設計図のコピーも入手しました。そして、そこに置いてある小さな模型を作ったのです。作るのに多少の苦労はありましたが、ワイヤーを消す角度の計算など大いに役立ちました。
濃霧のなか、巻き上げ機や滑車を設置するため欄干を駆け上がるのには勇気が必要でしたが、村のことを思い出した途端に恐怖は消え去りました。
奴が出入りする会員制クラブへの潜入に成功した日です、欄干に巻き上げ機などの設置をしたのは。そして今日、奴が請け負っている裏の仕事を手紙で依頼することでクラブの個室に呼び出しました。身分を隠してハミルトンに接触した私は、それとなく私の村のことを話題に出してみたのです。
……あいつは、「あの時」と同じ笑みを浮かべました。悪びれる様子もなく、まるで私たちの苦しみなど取るに足らないものだと言わんばかりに。
あの笑顔を見た瞬間、悟りました。
――やはりこの炎は、意味を持っていたのだと。
私は、ついに奴を葬った。ただ奴を殺すだけでは足りない。奴の死を、世間に知らしめる必要があった。このカバンに入っている紐で絞殺したあと、死体にハーネスを付けたあと布で包んで台車で運びました。あの秘密の通路とリフトを使ってグリムウォード・ブリッジまで運び、準備していた仕掛けを使いました。
ああ、それと、ただ浮いているだけで誰にも見られないのでは意味がないので、手製の指輪状の金具を死体の両手にはめて、それでカンテラを握らせました。
私は誰にも見られないよう駆け足で欄干を登り、ワイヤーを巻き上げました。通行人の悲鳴があがったあと、頃合いを見てワイヤーを切りました。大勢が死体の落ちた川のほうを見ていますから、反対側の欄干から降りることは容易でした。
……計画は完璧だと思っていました。あなたの手によって捕まることになりましたが、私は何も悔いていません。
あの男さえ地獄へ落とせたのなら、もう十分なのです」