第2話 格式ある依頼人の来訪
「失礼いたします」
ひと目で上等とわかる服は少しも濡れておらず、流行の品ではないにしても、それがむしろ伝統を重んじる貴族であるとわかるような気がした。
四十代なかばと思われる依頼人のその目元や、威厳のある口髭からのぞく口角には苦労人らしい皺が目立つが、頭にも髭にも白いものが混じっていない金髪や鋭い灰色の眼光が、彼の活力のまったく失われていないことを物語っていた。
しかし一方で全体としては憔悴している様子で、目の下の隈のせいか、やつれた印象もうける。手袋を外す手もかすかに震えているようだ。
「ハーデットさんは……」
依頼者の問いに、ハーデットは会釈して返した。
「初めまして。私はレジナルド・レイヴンシャーと申す者ですが、警視庁のボウマン刑事から連絡はありましたでしょうか? ……そうですか。警察のほうでも全力を挙げるけれども、もしかすると、この問題は警察よりもハーデットさんの領分だから、こちらへうかがってお願いするよう言われたのです」
言葉の端からわずかに疑惑の念を感じ取ったが、横目で見たハーデットの表情はその柔和な面持ちを崩していなかった。
「ご心配なく。巷で噂の首なし騎士の事件と関係がなかったとしても、必ず真相を突き止めますよ。さあ、その椅子におかけください。外套はそちらに」
「どうもありがとう」
依頼人が肩から外套を脱ぎかけたとき、蓄積された疲労によるせいか、それが床にふわりと落ちた。
あれほど仕立ての良い品であれば、私なら思わず声を上げていたに違いないが、彼はごく短く息を吐くと平然と拾い上げ、埃を払うそぶりすら見せず、静かに所定の位置に掛け直し、ハーデットが進めた肘掛け椅子に座った。
「正直に申し上げますと、私は低俗な噂話になぞ興味はないのですが、首のない騎士の目撃されたのが私の家の近くだとかで。普段なら一笑に付すところですが、妹の精神状態を考慮すると、何か突飛もないことをしでかしたのかもしれない可能性も捨てきれないものでして」
妹の精神状態、と発言したときに自嘲気味になったところを見ると、これが彼を憔悴させている原因なのだろうか。
「たしか失踪されたというのは、あなたの妹さんでしたね。事件が発生したときのことを、順序よく話して頂けますか」
「はい。仰る通り、失踪いたしましたのは妹のクラリッサでございます。今朝方の出来事に至るまでの経緯を、時系列に則ってご説明を差し上げます。
私ども兄妹は『アッシュボーン地方』の屋敷に暮らしておりまして、一年ほど前に母が逝去して以降は、二人きりの生活を続けております。
妹は母に対して深い愛情を抱いておりましたゆえ、その喪失によって多大な心的衝撃を受けたものと思われます。以降、彼女は折に触れて神経の昂ぶりを見せるようになり、時にはヒステリーにも似た発作を起こすこともございました。
事情を案じた私は、旧知の精神科医に診察を依頼いたしましたところ、何らかの精神的錯乱の兆しが見受けられるとの診断を受けた次第です。
それでも、しばらくは慎重に見守るべきと考えておりましたが、一昨日の夜、遂に彼女は私に向かって物を投げつけるなどの行動に出たため、さすがにこれ以上は看過できぬと判断しまして、入院の手続きを取らねばなるまい、と家内で協議していたのでございます」