第1話 浮遊する死体
グリムウォード・ブリッジの夜は、陰鬱な趣を帯びていた。
ゴシック様式の尖塔と鉄の欄干は、ガス灯の淡い光を受けながらも、その輪郭を濃霧に溶かす。対岸の街並みは白い霞の向こうにぼんやりと佇み、かすかに揺れる滲んだ明かりが、一様に襟を立て足早に渡る通行人たちを誘った。
石畳に響く無数の靴音をかき消すように、ガタガタと音を立て馬車が通り過ぎる。そのたび紳士淑女の纏うラベンダーやムスク、シトラスの香りがふと鼻先をかすめるが、それがかえって街に漂う煤や煙のにおいを際立たせた。
そんな、この大都会を象徴するような空気を、一瞬で引き裂く悲鳴が突如として夜の闇に響いた。
往来する人々が、一斉に声のするほうへ振り向く。
人通りの多さゆえ、何が起こっているのか把握することは困難かと思われたが、その心配は無用だった。
――ひとが、浮いている。
それは欄干の外側に少し飛び出す形で、誰もが見上げる位置にあった。
見世物じみた異様な光景だったが、手に持ったカンテラに照らされた中年男の顔を見れば、息絶えていることは明らかだった。
私は、思わず息をのんだ。
空中に浮かぶ遺体はタキシードに身を包んでいた。
夜会や舞踏会にふさわしいはずの正装が、しかしこの場では不気味な異質さを放っていた。もしそれが朽ち果てた衣服をまとい、骸骨のように瘦せ細っていたのであれば、まるで亡霊のように思えたかもしれない。
だが実際の遺体は生前の肥えたままの姿を保ち、ただ静かに宙に浮いている。
その整然とした姿と、死の静寂との間に生まれる不協和が、不気味さをいっそう際立たせていた。