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記憶喪失になったヒロインは強制ハードモードです  作者: 春目ヨウスケ


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幕間 輝き 5





 翌日。

 ルキウスはルディアに連れられて、病院に行っていた。

 魔法があるこの世界では、病院は余程の重病人か、普通の魔法使いではどうにもならない重傷者か、もしくは、何らかの異常を発露してしまった魔法使いしか行かない。

 椅子に座るルキウスとその隣に立つルディアの前で、医者は難しい顔をして机に向かいカルテに何か書くと、ルキウスに振り返った。


「君は一体何をしたんだ……?

 魔力量に変動はないが、魔力の出力に関しては今後一生、不安定になると思いなさい。

 今の君は壊れかけの水道管と一緒。この歳で既にガタが来ている。何があったのか君は教えてくれないが、高火力を維持する為に出力を抑えなかった……つまり、相当な無茶をしたと見える。それも長時間。

 そんなことをすれば、出力に問題が出て当然だ。

 今は自分自身の魔力で無理やり出力を安定させているようだが、今度からは手袋形の補助具を使いなさい。

 素手や杖で魔法を行使したら絶対にダメだ。君の手が持たない。次、同じことをやったらもう物が握れなくなると思いなさい」


「…………」


「はぁ、君は痩せ我慢の天才だよ……。

 よく涼しい顔が出来るものだ。本当は手先から足先まで体中の至る所が物凄く痛いだろう、今も。

 だが、君はそれでも顔色一つ変えない。大した男の子だ。

 しかし、医者の私からしたら、愚の骨頂だよ。

 何故、人間に痛覚や感情があり、何故、魔法社会のこの世界においてまだ医者が存在するのか、考えて貰いたい。

 ……暫く通院なさい。

 その壊れかけの水道管は直せないが、補強するくらいは出来る。但し、補強箇所は君が教えないと私は仕事が出来ない……この言葉の意味を、君は理解できるかね?

 これが君の宿題だ。分かったね?」


 そう言われ、ルキウスは母と共に病院から帰された。



「ルキウス、やっぱりボロボロだったじゃない!」


「…………」


 帰りの馬車の中で、ルキウスは目の前に座る母に説教されていた。

 当然である。病院に行く直前まで、ルディアの目の前に座るこの息子は行かない! 大した事ない! と嘘をつきゴネまくり、後の人生まで関わるような異常を隠して病院に行こうとしなかったのだから。


「ママの勘を舐めないで! 貴方が無理していることくらい分かるのよ!

 これからは素直に言いなさい。ダンマリはダメ!ちゃんと自分を大切にしなさい!」


「……してる……」


「ん? なぁに? 聞こえないわよ」


「……たいせつに、してるさ……」

 

 ルキウスはその気まずさから怒るルディアと目が合わせられず、馬車の床に敷かれた絨毯の網目ばかり見ていた。


「全部、俺の我儘の(望んだ)結果だ」


 自己犠牲、もしくは、自暴自棄になって、こんなになるまで体を壊したのではない。

 兄弟を助けたかったのも、あの魔物達と真正面から対峙したのも、この世界の為に力を使ったのも、全部、ルキウスが望んだ結果だ。

 ああしなければ、自分が我慢出来なかった。やらなければ、絶対に一生後悔した。だから、彼にはやらないという選択肢はなかった……たったそれだけの事だった。


「俺は無茶をしたんじゃない。自分の為に最善を尽くしたら、そうなっただけ……自分を大切にした結果なんだ、母さん」


 俯いてそう話すルキウスに、ルディアは何も言えなくなってしまう。

 こういうところが本当に自分そっくりなのだ、自分の息子は。

 ルディアは諦めたようにため息を吐いた。


「はぁ……私には止め切れないわね……」


「……母さん?」


「ルキウス、貴方は今の自分と今の家族しか見えていないのよ。昔の私みたいに……」


 ルキウスはそっと顔を上げる。

 そこには困ったように笑う、すっかり成熟した大人の女性になった彼女がいた。


「貴方が何をしたのか、あの子が何をしたのか、貴方が話してくれないからわからないわ。

 でも、貴方がとても大変な、でも、とても大事な事をやってくれたのは分かるのよ。貴方の母親だから……。

 だけど、それで貴方の未来が消えちゃうのは絶対にダメ。

 だから、貴方に、これを渡すわ」


 ルディアはそっとルキウスの手を取って、それを握らせた。

 それは手紙だった。


「これは……誰の……?」


「貴方のお父さんよ」


「!」


「貴方に大きな何かがあった時、渡して欲しいと言われて預かっていたの。

 お母さんは見ちゃダメって言われているから1人で読みなさい。

 ……ちゃんと読むのよ? 貴方のお父さんは亡くなる直前まで貴方を心配していたの。

 貴方はその思いを受け取らなくちゃいけない。

 それが、遺された人が先立った人に出来る唯一のことなのだから」


 ルキウスはそっとその手紙を開ける。

 そこには毎日見る、とても見慣れてしまった筆跡があった。

 だが、ルキウスはその手紙の一行目で、思わず読む目を止めてしまった。


『ルキウスへ。

 君は、厄災にあったね?』


 息を飲む。

 誰にも話していない。兄弟2人だけの秘密にしていたそれを、もうこの世にはいない人から指摘され、彼は目を見開いた。









「兄弟、おかえり」


 シルヴァリオ男爵家に帰ると、ルキウスを待っていたその人が玄関に現れた。


「あぁ……ただいま」


 ルキウスは普段通りに返事をしたつもりだった。

 だが、もう5年も一緒に生きてきたその人には分かってしまうらしい。

 彼は、顔を歪めた。


「……何かあった?」


 普段は人の機微に鈍い彼も何かを察知し、ルキウスの顔を覗き込む。

 しかし、ルキウスは表情一つ変えず……むしろ。


「近っ……」


 ウンザリしたように覗き込んだその顔を手で押し退けた。


「むぐっ……!

 な、なんなんだよ! 人が心配しているのに!」


 彼は非難の目をルキウスに向けるが、ルキウスはため息を吐き、歩き出した。


「用がないなら行くぞ」


「ちょっ! ちょっと! 用ならあるよ!」


 その言葉にルキウスは立ち止まる。改めて、兄弟を見れば、罰悪そうに彼はルキウスを見ていた。


「これからの事、話しておきたいんだ。……大事な話を君と」


「……。分かった……」


 ルキウスは静かに頷いた。






 彼の自室は、実験室になり物が大量に置いてあるルキウスの自室とは違い、何も無いに等しいほど物が無かった。

 ベッドと机、クローゼット。それだけである。本1冊すらない。

 そこは、まるで、部屋主の外界に対する興味の無さを体現するかのような部屋だった。

 だが。


「兄弟、僕、本気で商売のこと、勉強しようと思う」


 いつかのようにベッドで2人並んで座ると、彼はらしくなくそう答えた。

 これには思わず、ルキウスも顔を顰めた。


「お前が? 頭おかしくなったか?」


「なってないよ!

 考えたんだ。僕なりに……昨日のことを」


 彼はルキウスと向き合うと……その瞬間、ルキウスから目を逸らすように俯いた。


「僕はやっぱり良くないものだった。

 人の皮を着て生きている人外だった。

 君がいなければ、僕は……今頃……」


「…………」


「でも、今の僕が気にしているのはそこじゃない。

 これからどうして行くかだ」


 俯いていたその人の目が、ルキウスに向けられる。

 夕焼けのその瞳は覚悟を決めていた。


「昨日の原因は、元を辿れば、僕達自身の意識の甘さと……シルヴァリオ男爵家が周りに舐められている事実だと思う。

 僕らシルヴァリオ男爵家は他の貴族からしたら、本気になれば潰せる家なんだ。

 確かに僕らは金持ちだ。でも、今のシルヴァリオ男爵家は金持ちなだけなんだ。貴族からも商人からも商才や格を認められている訳じゃない。

 お金を持っているだけじゃダメだ……。

 それだけじゃ……昨日みたいに君が突き落とされてしまう」


「…………」


「僕達を舐める奴が大勢いるから、あんなことになったんだ。

 だから、僕、本気で商売を学んで、シルヴァリオ男爵家を舐められないぐらい大きくする。それでも僕達に何かしようとする舐めた奴がいたら、ちゃんと徹底的に倒す。

 その力を付けなくちゃ……。

 今まではあの人の教えをただ聞いていただけだったけど、これからは違う。

 君に誓った通り、人として生きる為にも、僕、頑張るよ……」


 覚悟を決めたその人の目に嘘は無い。間違いなく彼は数年以内に商人として大成し、シルヴァリオ男爵家を今までにない規模で大きくし、男爵家の名前だけで人々を平伏せさせるようにするだろう。

 それが彼の選択だった。

 自分の本能(嫌悪感)より、ルキウスと、ルキウスとの約束を選んだ彼に、ルキウスは笑みを浮かべた。


「まぁ、やり方は荒っぽいが……まぁいい。お前にこの世界に生きる目的が出来たなら、それでいい」


 ルキウスの笑みに、彼は笑みを返す。その笑みは年相応で幼く、子どもっぽく、満足そうなものだった。

 それを見て、ルキウスはそっと彼に見られないように拳を握りこんだ。

 胸ポケットに入れた手紙の角がルキウスの胸を小突く。

 忘れるな、目を逸らすなと言わんばかりに。


 (逸らさない、逸らさないさ……父さん)



 (俺は、絶対に守る……今も、未来も……!)








---------------------





 ルキウスへ。

 君は、厄災にあったね?

 ごめんね、びっくりさせて。でも、君ならこれだけで、この手紙がただの手紙ではないと理解してくれると思ったんだ。

 君が見た、黒い空も降り頻る雨も蔓延る小さな生き物も飛び交う魔物も……君の知らないところで、僕は全て観測していたんだ。そして、それを君が鎮めるところも……これでも星だからね、過去(ここ)からでも君を観測することぐらいは出来るよ。僕は君の頑張りを、君が生まれる前から知っていたんだ。

 君は凄い。とても凄い子だ。よく1人で切り抜けた。人も世界も家族も救った。勇敢で諦めず突き進む君を僕は誇りに思う。

 だが、そんな君に、僕は酷な話をしなければならない。

 ()()が約10年後にやってくる。

 君が出会ったのは前座に過ぎない。つい漏れ出てしまったようなものだ。だから、聖女でもない君でも対処出来てしまった。

 でも、次は、君では足りない。

 特に今の君は、補助具無しではまともな魔法を放つことすら出来ない。尚のこと、次のそれは対処が厳しいだろう。

 しかし、それでも僕は君に未来を託したい。

 君がいて、ルディアがいる、この世界を、 終わらせるわけにはいかない。けれど、僕にはあまりに時間が足りない。君達を守るべきなのは僕なのに、僕が守りたいのに、僕は君にこうして遺して託す事しか出来ない。

 不甲斐ない。本当に不甲斐ない父親でごめん。

 でも、君に託すしかない。僕が大切にしてきたものを守れるのは世界に君だけだから。



 厄災とは、人の歴史を否定し踏み潰す最低最悪の蹂躙だが、それは元を辿れば、創造主の人間嫌悪の感情から生まれたものだ。

 この世界の創造主は、人間が嫌いだ。人間が生み出す社会が嫌いだ。人間が生きる世界そのものが嫌いだ。

 きっとそれだけの何かが創造主にはあったのだろう。人間というそれ自体が嫌いになる何かが。

 だが、僕からすれば、彼はとても幼稚だ。彼は人を毛嫌い人を否定するばかりで、人の努力も人の輝きも何も見ちゃいない。彼は世界の全てを見て、そう結論付けたわけじゃないんだ。ただ1部を見て悟った気になっているだけ。君よりもずっと子どもなのさ、彼は。

 でも、そのせいで、この世界の歴史は否定から始まっている。

 人が築いた歴史も、その裏にある数多の涙と犠牲も、彼は知らないし見ない。人の幸せも人の喜びも彼からすれば煩わしいものなんだ。

 だから、厄災なんていう人間の全てを否定する災害を起こす。魔物と人の生存競争というだけなら本来あそこまでしなくていい。だが、それでもやるのは、彼がこの世界に八つ当たりしているから。彼は何がなんでも人間という存在を否定したいんだよ。自分の見識の無さや経験の無さを棚に上げてね。

 迷惑な話だ。でも、皮肉なことだが、そのおかげで、僕は製造され、ルディアが生まれ、君ができ、そして、君は兄弟に出会った。

 彼がいなければ僕達は誰1人いないんだ。その点は感謝すべきかもしれない。

 でも、だからこそ僕達は、奮闘すべきなんだ。この出会いを、この愛を、彼は無かったことにしようとするのだから。



 特に、君の兄弟は、可哀想だと僕は思う。

 君の兄弟は厄災の起点として創られた彼の分身だ。

 分身といっても完全な分身ではない。恐らく、最初から使い捨てるつもりで彼は作っている。だから、起点としての機能以外は何も搭載していない。

 厄災の為だけにいる神の子、それが君の兄弟だ。

 今から君に残酷な事を言う。でも、それが事実だから。心して聞いて欲しい。

 彼さえ死ねば、今回の厄災は起こることはない。

 彼を殺せば、未来はともかく今の世界は守れる。次の厄災はまた200年先に持ち越されて、人々は束の間の平和を手に入れられる。実際、1800年前の厄災はそうやって乗り切ったらしいから。

 その上、どちらにせよ、彼は厄災後の世界を生きられない。

 君の兄弟は、確実に今までの厄災の時と同じように、厄災が終わる頃には役目を終えて自壊して消えてしまう。人の歴史にも人の記憶にも残らず、ね。

 彼はこの世界にいてはいけない存在なんだ。いたとしても消えてしまう存在。

 でも、君は兄弟を殺したくはないし、死なせたくないだろう? 君にとって彼は既に無くてはならない存在だから。



 だから、これも明記しておく。

 彼を生かす方法は1つしかない。

 彼に厄災を起こさせないこと。厄災を起こさないまま、その身体が寿命を迎えれば、役割は自然消滅するはずだ。

 ただとても困難なことだと思う。君の相手はこの世界の創造主だ。彼が生存している限り、何がなんでも起こそうとしてくるだろう。むしろ、必ず起こるよう設定している可能性が高い。

 でも、君が君の兄弟の生存を望むなら、君は絶対に彼と戦わなくてはならない。

 そうするしか、君の望む未来も……僕が望む未来も無い。どんなに不利でも、どんなに過酷でも、君は対峙するしかない。

 だけど、希望はある。

 君にとっての昨日の出来事とは違って、約10年後に起こる本番は確定の未来じゃない。

 何度観測しても厄災の時期が定まらない。約10年後と書いているのもそのせいだ。秒数ならともかく日付すら特定出来ない。何なら観測出来ない時もある。

 多分、彼にとってもこの世界にとってもイレギュラーな出来事が約10年後に起こるのだと思う。だから、必ず200年に1度に起こっていた厄災ですらズレが起き、時に観測不可能になる。

 それはチャンスだ。

 未来はまだ定まっていない。君が奮闘すれば厄災を訪れさせないことだって可能だ。もしうまくいかない場合の対策だって幾らでも取れる。この戦いは決して不利な戦いではない。  

 とはいえ、それだけでは君には心許ないだろうと思う。

 だから、君に僕の全てをあげようと思う。僕、メトシェラが持つ知識も技術も何もかも。

 この世界の過去が築き上げてきた知識と技術も併せて使えば、きっとより良いものが出来るはずだ。



 ルキウス、目を逸らしたくなる時も、重荷に思う時もあると思う。

 でも、僕は信じてる、君は成し遂げると。

 辛い時は振り返って見て欲しい。過去が君の背中を押してくれるから。

 次に、隣を見て欲しい。守るべきものを再確認出来るから。

 そして、君が願う未来を思い描いて。朝日でも、青空でも、夕日でも何でもいい。君が見たい景色を思い浮かべて、そこに向かって突き進んで。

 大丈夫。ひとりじゃない。

 僕は過去(ここ)で君と一緒に頑張る。最後は君に託すしかないけれど、君の為に出来ることは何でもするつもりだ。そして、君に僕の全てを渡す為にも。

 僕の大事なルキウス。どうか胸を張って、最期まで君の人生を全うしてほしい。

 それだけが僕の、メトシェラという旭の願いを載せた人工衛星の願いだ。





--------------------






 ルキウスに宛てられた手紙の中身は、ルキウスどころか世界も知らない秘密と、父からの大きな期待と希望、そして、ルキウスがやるべき、否、やるしかない事が書かれていた。

 読み終わったルキウスが感じたのは、重圧だった。

 メトシェラは明言しなかったが、手紙の内容は、厄災が一度、起これば、自分が大切にしていたものは、全て失うことを示していた。

 実際、メトシェラは自分の未来を観測したと言ったが、その結末までは書かなかった。

 つまり、そういうことだろう。

 自分の手に、兄弟の命もこの世界もかかっている事実に、思わず口を手で押えた。

 

「…………はっ、はっ」


 息が上がる。手が震える。心臓が激しく鳴る。

 あまりの恐怖と緊張からルキウスは手紙を握ったまま過呼吸を起こした。

 ルディアが心配する声すらも聞き取れないほど、ルキウスは動揺し、混乱し、追い詰められた。

 しかし。

 人として生きると決めた彼を前にした時、ルキウスは覚悟を決めるしかなかった。

 彼を厄災の起点にしない。彼を死なせない……この未来から目を逸らさない。

 運命に抗う彼と同じように自分も抗うと決めた。








 だが、上手くいかない。


「謝らないといけないわ……ルキウス……。貴方を置いて逝ってしまうことを……ごめんなさい。お父さんの分まで貴方を見守るつもりだったのに……」


 ルディアは逝ってしまった。

 まさか彼女が厄災ではなく、例え最初から厄介者だったとしても、身内、それも名ばかりとはいえ夫に殺されてしまうなど誰が予想出来たか。

 それもこれも金目当てでジャンに近づき、あわよくば男爵家全てを奪おうと近づいた女のせいだった。

 悪どい彼女は、シルヴァリオが慢心からジャンに対する警戒を怠っていたこと、次期男爵家当主である兄弟がギリギリ成人になっていなかったこと、それらに目を付け、ジャンを言葉巧みに唆し、彼に妻の毒殺と、男爵家当主の座を手に入れるよう誘導し、金と男爵夫人の座どちらも手に入れようとした。

 あの馬鹿な男は初めての恋に舞い上がっていたせいもあり、それを全て叶えてしまった。

 そして、ルディアは死んでしまった。


「……母さん、謝るのは俺だ。

 ごめん……」


 ルキウスは何も出来なかった。

 彼は未来のことばかり気にして、そばにいる人の危機さえ気づかなかった。

 気がつけば、柩の中で眠る真っ白な顔色をした母親がそこに居た。


「もっと早く気づけば……もっと早く駆けつけていれば、もっと……もっと傍にいれば……こんなことには……」


 ルディアの棺にルキウスは顔を伏せるしかなかった。どれだけ後悔しても母親は帰って来ない。

 だが、ルキウスに悲しむ暇はなかった。


「ただいま、兄弟」


「……お前、その格好は一体……」


「あぁ、アイツら2人とも()()してきたんだ。君を殺そうとしたから」


 彼が告げた言葉に、その格好にルキウスは驚愕するしかなかった。


「……は?」


「僕より君の方が先に殺しやすそうとか思ったんじゃないかな? ほら、僕は仕事でよく外出するけど、君は基本的に家にいるからさ。

 ウチのシェフをお金で吊れば行けると思ったみたいだよ。

 馬鹿だよねぇ……前当主が毒殺されたばっかりなのにさ。警戒しないはずがないじゃん。

 しかも、狙っているのが君なんて……許せるはずが無いよね」


 彼は、「本当馬鹿な奴ら」と心の底から彼らを笑い、もう大丈夫だと言わんばかりに、ルキウスに微笑んだ。

 だが、彼の着ているシャツからズボン、靴に至るまでその衣服は、赤黒い返り血でべっとりと汚れていた。


「兄弟、ちゃんと僕はやったんだ。2人……いや、3人? まぁ、腹の子ども、ジャンの子どもじゃなかったみたいだし、ノーカンかな?

 2人ともさ、捕まえた当初は、まさか自分達が今から死ぬと思ってなかったみたいで、口汚く罵ってきたんだ。でも、見物だったな。最後には底辺の人間らしくみっともなく泣き叫んで血を吐きながら死んだよ。他人に飲ませようとした毒薬を、自分が飲むだけなのにね。怖くて仕方がなかったみたい。何で自分がされて嫌な事を他人には出来るんだろうね? まぁ、もう死んだしどうでもいいけど」


「……兄弟」


「表向きには病死ってことにしようと思ってる。

 ほら、ちょうど疫病が流行っているし、嫌われ者をわざわざ検死なんてしないから、上手い感じにごまかせるんじゃないかな? 数日前から病にかかったことにして、周囲とも口裏を合わせてさ。名実ともに病死ってことにしよう。

 まぁ、葬式の時に苦しんで死んだあの死に顔を晒す事になるけど……別にいっか。それも相応しい末路だよ、よりによって僕の唯一の家族を殺そうとしたんだから。

 あ、そうそう、死に際に、クレアの娘だけは面倒見てくれって言われたけど……地獄で家族ごっこさせてあげた方が優しいと思わない? ねぇ?」


「兄弟!」


 ルキウスは、返り血だらけの彼のシャツを両手で掴み上げる。

 それを彼は不思議そうに見ていた。

 彼は、あのガーデンパーティー以来、自分達の敵に対して過剰に反応するようになった。

 とにかく容赦がない。

 もう二度と立ち上がれなくなるまで徹底的にやる。それで最終的に死んだって彼は構わない。

 確かに、今やジャンはいつか排除しなければならない敵で、母親の仇だった。だが、それは十分な社会的な制裁を下せば良い話で、何も殺すまでしなくていい筈だった。

 それなのに、ルキウスを狙ったからと言って、毒薬で苦しませて死なすなど……ルキウスはやり過ぎだと思った。


「兄弟、殺しは無しだ」


「ん? 何で? 一番手っ取り早いのに」


 心の底から疑問に思っている顔で彼は首を傾げる。

 その目は純粋無垢に感じるほどに、他人を殺す事に躊躇いのない無情な目をしていた。

 それに思わず、ルキウスは息を飲む。

 こういう時、彼が兄弟である以前に、厄災の起点であることをまざまざと見せつけられる。

 彼にとってルキウス以外の全てがどうでもいいのだ。その辺の有象無象ならば苦しませても殺しても心が痛むことがない。だから、こんな事が出来る。

 ルキウスは歯噛みした。


「……前男爵の遺言は聞いてやれ」


 その言葉に彼は顔を歪めた。


「……えぇ? あれを?

 アイツが言ってたのって、どうか彼女の命だけは見逃してくれ。そして、頼む。彼女の未来の為にも学校に入学させ、彼女が学校を卒業するまでは、金だけでいいから面倒見てやって欲しいっていう超厚顔無恥なお願いだよ?

 人の家族を危険に晒してさ。言うお願いじゃないと思わない?

 そんな義理も義務もないし!」


「……だが、殺す理由もない」


 ルキウスは自分の手が乾いた血の欠片で汚れるのも構わず、震える手でそのシャツを掴みあげた。

 そして、ルキウスはその声に怒りを滲ませ、彼に告げた。


「お前に人道を理解しろとまでは言わない。だが、お前は、殺人鬼ではなく、シルヴァリオ男爵当主だ。違うか?」


「……!!」


「商人ならば人も法も上手く使え……母さんからもそう教わっていただろ。

 潰すにも潰し方を考えろ。人として生きるんだろ?」


 ルキウスは彼から手を離し歩き出す。母の入る柩と彼に背を向けて。

 母親の死を悼み、泣き叫びたい気持ちはあった。だが、ルキウスは自分の感情より優先させなければならないことが多すぎた。

 呆然となっている彼を、ルキウスは置いて行く。しばらくして彼はハッとなって、慌てて追いかけた。


「待って! 待ってよ! 兄弟!

 わかったよ! 今度からちゃんと商売人らしくする!

 嫌いだけど、大切なお客様だし、何より人材だもんね、人って! ちゃんと使えばお金を出すし役に立つし、道具になるもんね! 分かってる!

 ️あと、ちゃんと彼女のことも殺さないよ。お金だけだけど面倒見るから!

 だから、置いて行かないで!」


 失望されたと思ったのだろう彼は必死に弁明する。そんな彼に、ルキウスは1度立ち止まり……。


「着替えろ……血腥(ちなまぐさ)くてしょうがない」


 そう吐き捨てた。



 ルキウスは彼に真っ当な人生を歩んで欲しかった。

 だが、いつまで経っても彼が抱える嫌悪感は消えず、人嫌いのままで、ルキウスがいなくなったらどうなるか分からない。

 ルキウスは彼をどうすべきか考えあぐねていた。

 せめて、ルキウス以外にこの世界を生きる動機が何かあれば変わると思われるが、ルキウスにはその糸口を見つけられないでいた。

 だが、ルキウスはまだ知らない。この時、自分が吐いた一言によって、2年と数ヶ月後、彼に転機が訪れることを。









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