幕間 輝き 1
ルキウスにとって、大切なものはいつだって、自分、家族、そして、未来だった。
自分は、当然の話だろう。ルキウス・シルヴァリオという名を持つ人間で、ルキウス・シルヴァリオという人間の人生を歩めるのは自分しかいない。だから、自分が不動の一番である。他者に人生を委ねるなど彼は絶対に許さない。
家族も、当然の話だ。自分を誰よりも大切にしてくれる他者である。大切にされたのなら大切にし、愛には愛を返すのが彼の矜恃である。だが、血の繋がりは気にしない。一生の仲になると1度でも思ったならその人間は家族だ。彼にとって家族とは最初からそういうものだった。
そして、未来……。これは、彼が最も、そして、唯一尊敬する人から託され、受け取った願いだ。
ルキウスの人生はこの世界に誕生する前から始まっていたようなものだった。
彼の誕生は、ルキウスの母親であるルディアが、自分の嫌いな男と嫌がらせで結婚されられそうになったことから始まる。
やけっぱちになった彼女は、腹いせも兼ねて、行きずりの男と肉体関係を持とうとした。
その時点で波乱にしかならないというのに、彼女が最初に出会い声をかけたのは男は、よりによって、精霊に星と呼ばれる神にも等しい存在の1人だった。
彼の名は、メトシェラ。
最初の動機こそ不純だったがルディアは彼に本気で恋に落ち、彼もまたルディアに惚れ込んで、2人は相思相愛になった。
その愛は何の邪なものはない純粋無垢なものだったが、それは、結果的に、ルキウスの人生を決定づけてしまった。
ルキウスは産まれる前から、婚外子というだけでなく、星の子というまるで呪いのような宿命を背負うことになってしまったのだ。
5年後。
メトシェラは、ルディアのお腹の中に出来た子どもに光と名付けたが、ルキウスが誕生する前に亡くなってしまい、彼はルディアのもとで育てられていた。
とはいえ、婚外子。本来ならば貴族ではなく平民として扱われる子ども。
幾ら金で国を黙らせたとはいえ、下世話な周りの口まで塞いだわけではない。
特に、問題だったのは、義父であり、戸籍上の父であるジャンだった。直接虐める度胸は無いが姑息なことはしたいこの男は、ルディアの目の届かないところで、ルキウスが婚外子であることを世間にバラした。
そのせいで、物心ついた頃には、ルキウスは裏で陰口を叩かれ笑われていた。
「あれだろ、あれ……」
「まぁ、平民の癖に貴族面しちゃって」
「恥さらしじゃない」
しかも、更に拗れややこしくなることに。
「星の子、今日もご機嫌麗しく……」
「貴方様に会えて嬉しいですわ」
「どうか何でも仰せつかって下さいませ。星の子たる貴方は我らにとっても特別な子。どうぞ良しなに……」
精霊からは何処に行っても敬われ、時に王族より敬われるが為にトラブルになる事が多かった。
精霊もいるガーデンパーティーに連れられていった時には、他の高位貴族を差し置いて盛大に持て成され大目玉を食らい、反感を買ってしまった。
それからは悪循環であった。
世間からの風当たりは強くなるばかり、精霊はますます過保護になって、その内、ルキウスは家から1歩出るだけで息が詰まるようになった。
齢5歳にしてルキウスは、人付き合いという下らない事しか起こらないイベントが嫌いになったのだ。
そんなルキウスの楽しみは、誕生日だった。
ルキウスの誕生日は生まれのこともあって他の貴族のようにパーティーを開くといった盛大なことは出来なかった。
出来たのは、ルディアと2人、小さなケーキを半分に分けて食べること、そして、ルディアから、誕生日プレゼントとして、実の父からの手紙を貰うことだった。
メトシェラは、一目見ることさえ叶わなかった自分の息子に、毎年一通ずつルキウスの誕生日に贈られるよう、手紙を残していた。
それをルキウスは心待ちにしていた。
その手紙には実の父親からの愛しか詰まっていなかったから。
『5歳になったルキウスへ。
今年も1年、元気に過ごした? 君の身長はどれくらいになったかな? 流石に体重も増えたよね、きっともう抱えられないぐらい大きくなったんだろうな……。
最近はどう? ルディアの5歳の頃はやんちゃばかりしていたらしいけど、君もそうなのかな? 僕には幼少期がないから分からないけど、ルディアの小さい頃は、拳一つで男の子を泣かせていたんだって……何となく、君はそうじゃないといいな。
僕の大好きなルキウス。
ルキウスには、自由に好きに生きて欲しいけど、自分の命が危ない時以外は暴力とかダメだよ。相手も自分も傷ついちゃうから。
君には自分を大事にして欲しいな。
君は、僕の大事な宝物そのものだから』
メトシェラの手紙はいつもこんな調子で、ルキウスの成長を想像しながら、心配もして、ルキウスに語りかけてくる。時に幼いルキウスでは分からない言葉も使うが、幼いルキウスでも分かるほど、文面にはメトシェラのルキウスへの大きな愛しか書かれていなかった。
年に一度、贈られるこの大きな愛のおかげで、周りから愛されているとは言い難いルキウスでも、愛される喜びを知った。
……だが、同時に、ルキウスはどうしようもない寂しさも知った。
こんなにも愛されているのに、ルキウスは彼の顔さえ知らない。きっと、重いと笑いながらも抱き上げてくれるだろうその人に、ルキウスはずっと、ずっと焦がれていた。
『追伸』
だが、5歳の誕生日、その日は少しだけ違った。
『今回は、手紙だけじゃなくて、君に物も贈ろうと思う。君が喜ぶかは分からないけど、大切にしてくれるといいな。
男爵家の庭に隠したから、探してみて欲しい。
ヒントはルディアに聞いてね』
いつもはケーキ1切れと紙切れ1枚で終わる誕生日に、今日は続きがあった。
ルキウスは手紙を読んだその足で庭に飛び出すしか無かった。
手紙以外の初めてのプレゼントだった。
興奮しないわけがなかった。
だが、飛び出したそこで、ルキウスは予想外の出会いまですることになる。
「何をしているんだ、お前……」
「…………」
自分とよく似た子ども。こちらが朝焼けなら、向こうは夕焼けのような目をしている彼は、庭先で、無表情に……。
……虫を踏み潰していた。
ルキウスが、その子どもを間近で見たのは、その日が初めてだった。
彼はジャンとルディアの間に出来た子どもで、戸籍上の兄……そう、ルキウスはルディアから聞いているが、実のところ、本当に2人の子どもなのかは妖しい。
ルキウスが物心ついた時には、彼はこの男爵家にいたが、ジャンは彼とは関わりたがらず基本避けたがり、ルキウスには愛情深いルディアも、彼を息子というより自分の後継者としか見ていない節があり、いつ見てもよそよそしい態度でしか接していなかった。そして、当の本人である子どもの彼もまた、基本的に誰とも関わろうとしなかった。
だから、一つ屋根の下に住んでいるのに、ルキウスは彼をこうして間近で見ることさえ今までなかった。
本当に家族か? 疑うほど、彼との関わりは希薄だったのだ。
しかし、今、彼がしている遊びに、ついルキウスは足を止めてしまった。
彼は庭の片隅で、地中から這い出たばかりの甲虫を踏み潰していた。
おそらく蛹から羽化し、ようやく成虫になって地上に出てきたばかりの虫……それを彼は雨ざらしの石像のような無表情で潰していた。
普通の人が見れば、彼の異常性に引き、彼を気味悪く思い、潰された虫を哀れに思うだろう。
だが、そんな彼を見つけて、ルキウスが思ったのは、気味が悪いでも、可哀想でもなく。
ルキウスは彼に近づきながら言葉で制した。
「おい、馬鹿。やめろ」
「…………」
「勿体ないことをするな。標本に出来たのに」
「…………」
予想外の言葉に彼の足が止まる。
ルキウスは気味が悪いとも可哀想とも思わなかった。ただ潰された虫が勿体ないと思ったのだ。
潰れたサイズからして、良いサイズの甲虫だった。標本にピッタリな。
「お前、頭、悪いな。潰したらそれで終わりじゃないか。せいさんせー? だったか? そういうのがあることをしろよ。殺すなら、せめてちゃんと使ってから殺せ。勿体無い」
「…………」
しかし、ルキウスがそう言っても、彼は何も言わない。
その目は確かにルキウスを見ていたが、ずっと無表情のまま黙り込んでいた。
一向にうんともすんとも言わない彼にルキウスは段々とイラついてきたが、ふと、ルキウスは天才的な閃きをした。
「お前、暇だろ?」
「……」
「暇なら手伝え」
そう言ってルキウスは彼の手を引っ掴み連れ出した。生きているマネキンのような彼は、その手に連れられるまま、彼の後ろをついていった。
メトシェラが用意したプレゼントは男爵家の庭に植えられていたもみの木の下に埋められていた。
埋められていたと言っても子どもが探し出すことを考えてか、落ち葉の山でプレゼントの箱を隠しているだけで、ぼぼ置いてあるだけだった。
しかし、ルキウスはそれを見つけた瞬間、朝焼けのその瞳をぱあっと輝かせ、大急ぎで落ち葉を掻き分け、箱を発掘した。
「見つけた! 父さんのプレゼント!
おい、お前! 開けろ」
ルキウスは完全に彼を子分扱いし、プレゼントの箱を開けさせようと渡す。
彼は最初こそ躊躇ったのか戸惑ったのか、受け取ったまま固まったが、やがて、諦めたようにプレゼントを包んでいた紙を破き、外箱を開け、中身だけルキウスに渡した。
中身は……子ども向けの百科事典だった。
そして、その表紙には、手紙が貼られていた。
『来年からは手紙だけではなく、こういったプレゼントも渡すから楽しみにしていて欲しい』
「……やった!」
ルキウスは無邪気に喜び、百科事典を開く。
中身はガレストロニア周辺でよく見られる動植物や大地の特徴などがイラスト付きでまとめられており、まだ読めない字もあったがルキウスは興奮するしかなかった。
そして、ルキウスは彼の手をまた引っ掴んだ。
「おい、まだ暇だろう。お前、付き合えよ」
「…………」
相変わらず無反応だったが、この数十分の付き合いで慣れたルキウスは彼の返事も待たずに、ぐいぐい引っ張って、出発した。
「この事典に載ってる奴と同じやつを探すぞ! お前も一緒に探せよ? あと、もう虫を見つけても潰すなよ。珍しい奴なら、標本にするから。わかったな?」
「…………」
やはり彼は無言だったが、ルキウスは構わず、庭の芝生に事典を開き、彼を連れて庭をあちこち歩き回った。
彼はルキウスの後ろを歩いて、じっと見つめるばかりで、全く役に立っていなかったが、事典に夢中のルキウスは気づかず、地面に寝そべって生えている雑草を1つずつ調べ出した。
「これが、アスバヘ、それが、ハルサプ……じゃあ、こっちは何だ。葉っぱの形は……」
そんな時、ふとその声は聞こえた。
「何が、楽しいの?」
最初、その声が何処からしたのか、ルキウスは分からなかった。
だが、それが自分のすぐ隣からだと気づいて、顔を上げた。
そこにはルキウスを見下ろしている彼がいた、だが、歳下とは思えないほど、その表情は冷たかった。
「僕には、全部同じ見える。全部、真っ黒でつまらないものにしか見えない。なのに、なんで、そんなに、君は、楽しそうなの?」
そう聞かれ、ルキウスは目を瞬かせるしかなかった
ルキウスの目には、青緑や萌葱色など様々な緑色で出来た見事な庭園が広がっている。
だが、彼は今、それを真っ黒と言った。
「お前、もしかして色が分からないのか?」
「…………」
「……まぁ、それにしたって、全部つまらないはないだろ。
遊んだ事ないのか、お前」
「…………」
「ないんだ。寂しい奴」
黙り込む彼にルキウスは考えた。幼い頭をフル回転し、英才教育で培ってきたその知識を使い、結論を出す。
徐に事典を閉じ、ルキウスは地べたから立ち上がると、彼の前に立った
「今日、俺は誕生日なんだ」
「…………」
「つまり、今日の主役は俺だ。世界の中心は俺だし、世界で一番偉いのも俺、世界で一番愛されているのも、世界で一番幸せなのも、俺だ。
だから、寂しいお前に特別に優しくしてやろう。
普段はしないから、有難く思えよ」
そう言ってルキウスは彼の手を掴むと、駆け出した。
数十分後。
ルディアは一向に帰って来ない息子を心配していた。
プレゼントは直ぐに見つかるようにしてある。彼の性格ならば直ぐに家に帰って読み始めると思ったのだが……。
「もしかしてもう事典に載っている生物を探しに……? はぁ、有り得るわ。あの行動力、誰に似たのかしら」
流石に男爵家の敷地内から出てはいないと思うが、ルディアは心配から彼を探すことにした。
だが、事典を隠していたもみの木の近くにも、彼の自室にもいなかった。
「どこに行ったのよ、あの子は……」
その時、彼女の耳に聞き慣れた笑い声が聞こえた。
慌ててルディアはその声の方へ走った。
男爵家の邸宅は庭の一部がなだらかな丘と隣接しており、声はそこからしていた。
ルディアが走っていくと、そこには……。
「…………!」
「見本は見せただろ。じゃ、転けんなよ」
その瞬間、ルキウスは彼を前に乗せて、乗っていたソリを丘の頂上から出発させた。
すると、ソリは勢い良く下り坂を滑っていく。
風が彼の髪を吹き上げ、地上からの引力がどんどん彼を下に下に落とし、石や砂利を噛んでソリはガタガタと鳴り初め、揺れ始める。
ソリは段々と速さを増し、恐怖を感じる程の速度になっていく。
これには流石の彼も顔色を青に変えた。だが、悲鳴を上げる暇もなく、凄まじい勢いでソリは地上に直滑降していく。
その時、彼は気づいた。走るソリのその先に……大きい岩が地面から顔を出していた。
同じ瞬間、ルディアもそれを見つけ青ざめた。
「止まりなさい!」
だが、止まらない。
2人を乗せたソリは真っ直ぐに岩に向かっていく。彼は最悪の結末を予想し硬直し目を閉じることしか出来なかった。
だが、激突するその瞬間、ルキウスは笑った。
「行くぞ!」
その瞬間、持っていたソリの手綱をルキウスは引き寄せた。
彼は息を止めた。
だが、彼にやってきたのは、少しの衝撃。浮遊感。そして……。
「おい、前、見ろよ!」
そんな声が背後からして、彼は言われるまま恐る恐る目を開け、前を見る。
空を飛んでいた。
そう気づいた瞬間、彼は、全ての音が遠くなったような気がした。
風を切る音も、石ころが飛び散る音も、全て聞こえなくなる。だが、その声だけはハッキリと聞こえた。
「見ているか? 俺達、今、空にいるんだぞ!」
その瞬間、彼の目には雲ひとつない青空だけが広がった。
「……!」
どこまでも広がっていて、自由で、青くて、澄んだ空を、彼は初めて見た。
目を見開く。
口を開く。
思わず、届きそうな場所にあるそれに手を伸ばした。
だが、その瞬間、バランスを崩したソリは、2人を乗せたまま横転した。
そして、青い匂いのする原っぱの上に2人とも投げ出された。
「…………」
あまりの衝撃に、彼は草原の真ん中で仰向けになって呆然と空を見る。その隣で、ルキウスは楽しげに笑っていた。
「1人でやるより2人でやるの方が勢いつくんだな! 初めて知った!」
ルキウスは起き上がり、隣にいる彼の顔を覗き込む。彼は息を飲んだ……不思議と、澄んだ青い空に、彼の朝空の瞳はよく映えて見えた。
「なぁ、楽しかったか?」
「……!」
「まぁ、どっちでもいいや。もう1回、滑るぞ。お前は、前に座っているだけでいい 、もっと速く高く滑る方法を捜すぞ!」
ルキウスが彼に手を差し伸べる。
その手に、常に彼の無表情なその顔に戸惑いの色が滲んだ。
もしこの手を握れば、またソリの上だ。あの恐怖をまた味わなくてはならない。
「…………」
だが、気づけば、彼はルキウスの手を取っていた。
彼は驚いたが、ルキウスは意地悪く笑った。
「体は、素直なんだな。お前」
「……!」
「さぁ、行こうか」
だが、その時だった。
「ルキウス!!」
血相を変えて、2人の元へ走ってくる人影がいた。
やってきたその人は……ルディアだった。
彼女はルキウスと彼を離すように、ルキウスの手を掴んで自分の元へ引き寄せると、ルキウスに聞いてきた。
「ルキウス、貴方、何もされていない?」




