9. 身から出た錆
私の姿を鏡で見た時、自分の顔と身体だというのに感嘆の声を上げた。
それはミアリーがあの美少女達とは方向性が違う、しかし、完璧な美少女だったからだ。
毛先は金色なのに頭のてっぺんになるにつれピンク色になっていく艶やかな髪も、晴れ渡った青空を映したような綺麗な色の大きな目に、控えめな小鼻、ぷにぷにのほっぺに、発色のいい唇、日焼けなんかしていない肌、女の子の理想みたいな完璧な体型……。
メイクしていない素顔なのに完璧で可愛い顔も、出て欲しいところは出ている華奢で綺麗な身体も、正に理想の美少女だった……これは5股も出来る、と謎の納得が出来てしまうぐらい……。
でも、そんな美少女は今……。
「はぁ……サイアク……。虐めとか私の嘘だって言ってたよね、あの美少女達……あれこそが嘘だったのね……」
校舎の2階から水を盛大にかけられて、ずぶ濡れになっていた。
ガレストロニア王国立聖マイアヴェア学園。
ここは、ガレストロニア王国が運営する学校の1つで、王国最大のマンモス校。
普通科、経営科、騎士科、研究科の4つの学科で構成され、男女共学かつ5年制。王国で成人扱いになる16歳から入学でき、卒業出来れば国が誇る英才として栄光の未来が約束される名門校。
お義兄様の話によると、年齢制限をクリアして多額の入学金を払えさえすれば身分に関係なく誰でも入れる。が、しかし、年末に行われるテストで一定の点数を取らなければ進級できず即退学になるという厳しいルールがあるらしい。その為、生徒数は最高学年になるほど生徒数が減り、新入生ほど生徒数が多く、そして……。
「質が悪い……」
貴族も平民も関係なく入れるということは良いことだと思う。誰でも平等に学び、その価値を身分関係なく共有出来るということだから。
でも、人の内面を判断して入学させているわけじゃないから……悲しいことに、こんな人がゴロゴロいる。
「くすすっ、ふふっ……」
「やぁね、みじめなひと……ふふっ……」
2階から楽しそうに笑いながら去っていく女子の声がする。
記憶喪失2日目。学校休んだ方が賢かったかもしれない。
昨日あんなことがあったけど、恋人だった5人と、その元婚約者である5人と会わなければ別に大丈夫なのでは? と考えたのもそうだし、元婚約者の美少女達が、私の虐めは私の嘘だってはっきり言ってて、彼女達がやった証拠もなかったみたいだから、私の嘘なんだろうと信じ込んだのがいけなかった。
本当、馬鹿だった。
「はぁ……」
登校早々、全身ずぶ濡れだ。持って来た鞄の中身も無事か怪しい。
でも、自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれている暇はないかもしれない。
校門と校舎を繋ぐ石畳の道の先にある曲がり角、その物陰にこちらを隠れて伺う誰かがいる。
さっきから隠し切れてないスカートの端が壁の向こうで揺れていて見え見えだ。何をするつもりなのか分からないけど、私に対する悪意をひしひしと感じる。
「…………お義兄様の言った通りだった……」
私は嫌われている。
日常生活を脅かされるほどに。
数時間前。
「てかさ、そもそも、ミアリー、学校行くの?」
隣の席で朝食を食べているお義兄様が私の顔を不意に覗き込んだ。
「学校行かなくて良くない? 記憶ないんでしょ? 昨日の今日で気まずくないの?
それに、行っても意味ないと思うんだけど」
「…………行っても意味ないってどう意味ですか? 確かに、気まずいですけど……」
そう聞けば、お義兄様はにんまりと良い笑顔を……私にとって嫌な予感しかしないあの笑顔を作った。
「ミアリーにクイズです! じゃじゃん! ミアリーの成績は学年全体の何番目でしょうか!
ヒント! 君の学年である第一学年は500人います」
「ご、500人!? そんなにいるんですか?
え、えぇ……う、うーん、聞いた感じそんなに頭いい印象ないし……真ん中の下辺り……300位くらいとか……」
「おぉいい線行ってる! じゃあ大ヒント、下から数えた方が早い」
「え? じゃ、じゃあ、450位!」
「ぶっぶー! 正解はぶっちぎりの最下位でしたぁ!」
その答えに私は唖然となった。下から数えた方が早いというより真下じゃない! ていうか!
「私、真の意味で、馬鹿だったんですか!?」
驚いた。もうとにかく驚いた。思わず愕然となるそんな私をお義兄様は笑顔で告げ……いや、追い討ちした。
「うん、0.1割る100分の1が出来ない子だった」
あーつまり1+1は出来たけどそれ以上はダメだったってことか……。最悪じゃない!
「それで、よく入学出来ましたね……」
「 あははっ、入学するだけなら殆どの人間が出来るような学校だからね。卒業する頃には各学科合わせて100人もいなくなるけど」
お義兄様はそう言って、私をじっと見た。でも、その茜空の瞳は私を見ているようで……他の何かを見ているようだった。
「君はどうしようもない馬鹿だった。その上、アバズレで性悪で、恋人以外は敵しか作らなかった。
一言で言えば……調子乗ってたよ」
「……調子乗って、た?」
「本当、そうとしか言いようがない。ね! 兄弟!」
戸惑う私を置いて、お義兄様は私の向かいに座るルキウスお義兄様に話しかけると、ルキウスお義兄様はいつの間にか読み始めていた新聞から面倒くさそうに顔を上げた。
「何故俺を巻き込むんだ。はぁ……。
……あぁ、確かに調子乗ってた。
奴は男爵家の人間だと騙っているだけの平民だというのに、授業は堂々とサボり、男子生徒や教師や神官にも色目を使い、方方でトラブルを起こしまくっていた。
そうして気づけば、名のある令息共を次々落として堂々の5股だ」
「5股……」
昨日の彼らを思い出して、さぁっと顔から血の気が引いて青ざめる。嫌だぁ、何でそんな常識外れなことしたのよ、私は……。
ふと、そこで私は、項垂れる私をお義兄様がニマニマしながら見ていることに気づいた。
「ホント常識外れだよね。しかも、君のやらかし、これだけじゃないんだよね」
「は?」
「君はホント見境無かったからね。彼らだけでなく、同級生から上級生まで次々男を籠絡してはホイホイ捨てて、でも、男の方は君に本気になって……色々すったもんだあったよ? 中でも婚約破棄はとても多かった。
この国は政略かそうでないかに関わらず当主が決めた相手と婚約し結婚するのが普通だからね。
婚約破棄は家の裏切り者というその後の人生に関わる最悪な経歴が着く。
だから、タブーなんだけど……うん、君のせいで少なく見積っても30件の婚約に影響出たかな!
前のミアリー凄いね!」
「うぐっ……」
数として出されるとこんなに心に来ることは無い。
ただでさえ5股という時点で頭が痛いのに……前の私、どれだけ色んな人に迷惑かけたの!
「自分のことだと思いたくない……」
「うんうん、そうだよね~。
その結果、君は大勢の人間に嫌われているんだし」
「…………でしょうね」
それはそうなる。前の私は一言で言って男を誑かし女を泣かし家を貶めた悪魔じゃない。嫌われて当然よ。
なんてことしてくれたのよ、前の私!
そんな私に、お義兄様はポロッとこぼした。
「ミアリーは、本当、入学してまだ半年でこれだけよくやったよね……」
「………………半年? え? 私、まだ入学して半年しか経ってないのに、これだけ問題を起こしているんですか!?」
衝撃が凄すぎて、愕然となり、思わずポカーンと口を開けてしまう。
そんな私の姿が面白かったのかお義兄様は吹き出し、ルキウスお義兄様は呆れた顔を浮かべた。
……女の子がしていい顔じゃない自覚はある。でも、だって、おかしいじゃない。
半年でこれ? は? 有り得ない! 何で半年でこんなに問題起こしてるのよ!しかも成績は最下位だし……。
確かに、学校行く意味ある?ってお義兄様が言うだけあるわ。
こんなことして嫌われてるのは当たり前。行っても針のむしろだし、成績最下位なら来年の進級だって……多分、出来ない。
でも、どうしよう……。
「……私、学校には行きたいんですけど」
「? なんで……」
「だって、記憶の手がかりとかありそうじゃないですか」
「戻りたいの? 前の自分に」
お義兄様が首を傾げる。それは当然不思議に思うよね……。
「そうじゃないんです。ただ……やっぱり記憶がないからか。心が欠けてて足りない感じがして……。
前の私の行動は理解できないし、意味もわかんないけど……足りない部分を埋めたいんです。だから、学校に行って、せめて何か思い出したいなって」
「え~……」
お義兄様が不思議なものを見る目で私を見る。そんな理由で? と言わんばかりだ。それでも、私は私を知りたい。他人の評価だけで自分を判断するとか嫌だし、私という人間を自分の手で思い出したい。
……まぁ、思い出してもロクでもない予感しかしないけど。ちょっとは良いとこないかなぁ……なんて……。
「それに、昨日のお義兄様の話だと、私が学校行かなくなった時点で、金銭的援助は無くなるでしょう?」
確認する為にそう聞くと、お義兄様の顔から笑みが消え、すっかり忘れていたのか、ややあってお義兄様は額に汗を浮かべながら、歯切れ悪く答えた。
「…………えっと…………。
ま、まぁ、そうだね。義理は果たす?わけだし…………」
「やっぱりそうですよね! でも、記憶喪失の今、社会に放り出されたら死ぬ自信しかありません。お金が無い以前に、社会の暗黙の了解すら知らないんですよ? やらかすに決まってます。
だから、どうせ進級出来なくても、あと約半年は通学出来るわけですから、ここは厚顔無恥に、通わせていただきます。自分の将来の為にも!」
「いや、仮に放り出しても今の君なら生きていけるでしょ、絶対に」
疑いの目で私を見るお義兄様。なんてことを! 失礼しちゃうわ!
「何を言っているんですか! か弱い無知な女の子が一人で生きているわけないでしょ!」
「か弱いって、他人が言うならともかく、自分自身で言ったらお終いだって知らないの? ミアリー」
お義兄様は私に心底呆れたのか、やれやれとため息を吐いた。ちなみに、ずっと黙っているルキウスお義兄様は興味も無いのか、新聞から顔を上げない。
全くこの兄弟は! 女の子にガワだけでも優しく出来ないのかしら!
私がむくれていると、お義兄様は念を押すように、私に言い含めた。
「君の決断は固いようだからもう止めないけどね。
忘れないで。
君の通う学校の生徒はとにかく質が悪い。そんな彼らに君は嫌われている。
普通の日常なんか望めないし、むしろ、君の生活は脅かされる。
ま、身から出た錆だからね。どうしようもない。
そこで君はやっていかなきゃいけないんだ。
ま、精々足掻いてごらん、この分かりきった絶望の中でさ。出来るものなら。
……どうしようもない時は、お義兄様らしく相談くらいは乗ってあげるよ」
そう言って、お義兄様は私にウインクした。




