63. 精霊王
その姿はとても美しかった。
……確かに美しかった。
それは人型をしていた。
その体はシミもシワもない真っ白なローブに覆われ、背中からはまるで朝日に輝く雪原のような白銀の蝶の羽が6枚広がっていた。
頭から垂れ下がり地面まで着きそうなほど長い髪は上等なシルクのように艶やかで繊細、そして、シルクよりも神々しく輝いていた。
だけど、その顔は……。
大量の白い布で覆われていた。
まるで、蝶が顔に集っているようにも見える。
レースやガーゼ、麻布や毛皮など、ありとあらゆる白い布がその顔を覆っていた。そのせいで、その顔の輪郭や性別すら分からない
文字通り、人外。
そして、それの周りには、数え切れないほどの真っ白で煌びやかな精霊達が飛んでいた。
その姿を見て、兵士達もロザリンデ様達も殿下達も、皆、動揺しているようだった。
兵士達は甲冑の下で驚いた顔のまま固まり、ロザリンデ様達も顔を見合わせ、殿下達は息を飲んだ。
「精霊王……何故ここに……」
殿下の言葉で、あれが精霊王であることを知る。
確かに綺麗な姿をしているけど、あの性格が終わりすぎている精霊2匹の親玉……あまりいい予感はしなかった。
ルキウスお義兄様の胸の中で、私は息を飲んだ。
その時、精霊王の足元に、体を引きずりながらそれは現れた。
「……っ」
一目見ただけで私は何故かそれが何なのか分かった。
私を消そうとし学園に魔物を放ったあの精霊……だけど、その姿は……。
「精霊王様……」
その姿は目も当てられないくらい醜悪な姿をしていた。
まるで芋虫を何倍も大きくでっぷりと太らせ、それに蛾の頭と小さな羽虫の羽をつけたような……精霊というより魔物に近い姿になっていた。
蛾の頭は言葉を発する度にガクガクと震え、その胴体からは汗のように緑色のドロドロとした液体が溢れ出た。
……気持ち悪い……。
生理的嫌悪で吐き気を感じる。
私が青い顔して俯いていると、突如、兵士達が一斉に列を作り始める。
何事かと思って見ていると、兵士達が、ある方向に向かって一斉に敬礼する。
その兵士達が敬礼する先を見る。
そこには1人の壮年の男がいた。
明らかに普通の神官じゃない。金の僧衣を纏ったその彼は、雰囲気も品格も全てが別格だった。
彼は兵士達の前に出ると、精霊王に向かい、目を細めた。
「何用ですかな? 精霊王殿。
ここは我らの聖地。そこに散歩に来たわけでもありませんでしょう。如何なさいましたか?」
そう語る彼の後ろでは、ロザリンデ様の周りを兵士達が固めているのが見える。
だけど、精霊王は、彼もロザリンデ様も一瞥すらすることなく、私の方を向いた。
「星の力が増している……200年、否、全ての時代よりも……」
ヤバい。そう直感し、ついルキウスお義兄様の影に隠れるように縋り付く。
だけど精霊王は、私の方から目を離さず、布に塗れたその顔で、私に語りかけてきた。
「星の力をこれほどまでに引き出した聖女はいない……。
その上、君は、加護まで受けているようだ。
……星は、我々の悲願を理解したのだろう……有り難いことだ」
……は?
…………は??
………………はあ!?
貴方達の為じゃありませんが!?
むしろ、貴方達のせいでこんな事になったんですが……!? 何よ、星は悲願を理解したって! どんだけ自意識過剰なのよ!
湧き上がる怒りに、わなわな震えてしまう。
精霊、嫌い!
イライラしすぎて、一言、言いたくなる……!
だけど、そんな私を制すように、お義兄様の手が私の前に伸ばされた。
「……お義兄様……?」
お義兄様の方を見る。
だけど、お義兄様は何も言わず、私に目線だけ送ると微笑み、精霊王の方に一歩前に出た。
「相変わらず、ご自分がこの世界の中心だと思われているのですね。精霊王」
お義兄様がそう声を上げれば、精霊王の視線はお義兄様に向き、その瞬間、顔が、その体が、確かに嫌悪に震えた。
「黙れ……。貴様の声など聞きたくもない……。
貴様の声を聞くだけでこちらまで穢れるようだ」
「おやおや? お見かけしない間に、随分寛容になったとお見受けしましたのに、違ったようですね。
何せ足元にそんな汚物を連れているのですから、ねぇ?」
汚物……。
お義兄様の言うそれは、絶対、あの落ちるところまで落ちてしまった精霊のことだ。
巨大な芋虫になったそれは頭を持ち上げ、精霊王に懇願し始めた。
「王……精霊王様……ぼくは、まだ出来ます……精霊としてまだ働けます……アイツを殺す許可を……」
しかし、殺すと告げた瞬間、芋虫の身体がブルブルと震え出し、独りでに足がもげた。
「……アッ……アガッ……」
もげた箇所から新しい蛾の脚が一瞬で生える。しかし、その脚が地面を着いた瞬間、その脚は腐り落ちた。
「……ア、あっ、せいれい、おぅ……さ……」
それでも彼は精霊王に縋り付く。足もなくなりタダの肉団子になってしまったのに、どうしてそこまで精霊王に執着するのかは分からない。けれど懸命に訴えかけていた。
けれど……精霊王は。
「何のことだ?」
その声音は、ゾッとするほど冷たかった。
しらばっくれているとか、無視しているとかいう次元じゃない。存在さえ認知していないし、許していない。
私は息を飲み、お義兄様は肩を竦めた。
「……こちらが誤解しておりました。全く、お変わりないようで……。
……反吐が出ます」
お義兄様の声色がガラリと変わる。
低く、冷たく、ゾッとするそれは……何故か、精霊王のそれに似ていた。
「精霊王、貴方にうちの義妹はやれません。
だって昔から最低な性格をしている貴方のことです。
足元のそれのように使い捨ての道具にするつもりでしょう?
ちょっとでも汚れたら捨てる。ちょっとでも理想から外れたら最初から無かったことにする……貴方はいつもそうですよね。そうして、贅沢に使い捨てて、捨てた道具を思い出すこともない……。
うちの義妹ちゃんは、精霊の為に存在した事なんてただ1度もないし、貴方からそんな扱いをされる為に生きていない」
そう告げて、不意にお義兄様は精霊王にニィ、と笑みを浮かべた。
「……絶対、あげないよ。バーカ」
そうお義兄様が心の底から精霊王を馬鹿にした瞬間だった。
お義兄様に向かって、大量の精霊が放たれた。
真っ白な無数のそれは、空中で集まり群れになると、巨大な球状の何かになっていく……そして、それは次第に何かの形に変わり始めて、やがてそれは……怪物の姿になっていく。
無数の宝石で出来たそれは、見上げるほど大きな6本の足を生やし、誰もが悲鳴をあげるほどに巨大な頭部を、胸部を、腹部を作り出し、そして、胸部からホールを覆い尽くすぼどの巨大な羽を顕現させた。
気づけば、そこにいたのは超巨大な蝶の怪物。
舞う祝福もここまで来ると……ただの脅威にしか見えなかった。
それがお義兄様のすぐ目の前にいる。
だけど、お義兄様は慌てる様子も焦る様子もなく、肩を竦めるだけだった。
怪物が、その羽を羽ばたかせる。
すると、その瞬間、ホールの天井は吹き飛び、凄まじい衝撃波が放たれた。
瓦礫は吹き飛び、天井は限界を迎えて壊れ、上の階は最初から無かったように消えていく、ガラスや柱が忽ち崩壊して飛散していき、ホールの壁際に私達は叩きつけられた。
「……きゃあっ!」
「くっ……!」
叩きつけられて、それでも止まない衝撃波によってルキウスお義兄様と一緒に壁に張り付けにされる……あまりの力にそこから動けない……!
だけど、私は目を見開いて驚いた。
何故かお義兄様は未だ平然とホールに立っていた……。
そして、それは精霊王も同じ。
2人とも衝撃波の中にいるとは思えないほど、髪さえも風に流されず、そこに佇んでいた。
「やはり、貴方は早くに処分すべきだった……」
精霊王は淡々と言葉を紡ぐ。けれど、その布に覆われた顔は……明らかに不快感が滲み出ていた。
「妖精の取り替え子」
「我々……妖精種の汚点……!」
その瞬間、お義兄様は確かに不敵に笑った。




