8. 新しい朝が来た
「…………っ!」
ハッとなって目が覚めた時、目の前に見慣れない天井があることに気がついた。
なんてデジャヴ……昨日もこんな感じだったのにまただ。でも、眠った記憶も横になった記憶もない……ということは、あの後、自分は気を失ったのか……。
うっ、しかも、今度はすっごく頭が痛い……割れそう……。
「はぁ……気絶してばっかり……頭痛いし……うぅ、ここはどこ……?」
起き上がろうと体を起こす。
その時だった。
「どこって、本邸の客室だけど? 我が義妹ちゃん?」
目と鼻の先に、それはそれは楽しそうに笑うお義兄様の顔があった。
「うわああああああっ!?」
起きて早々、私は絶叫した。
「おっはよ~! 朝から顔色悪いね~! 赤くなったり青くなったり、器用だね!」
「誰のせいだと思ってるんですか!? 寝起きに貴方の顔は心臓に悪すぎます!」
「ふふっ、それってドキドキするってこと?」
「えぇ! そうです! 嫌悪感でですがね! 鳥肌ですよ!
あと、何で、女の子が寝ているって分かっているのに部屋に無断で入って来てるんですか! ヘンタイ!
怒りますよ!!」
「ぷ、くくっ……すごーい! おもしろーい! 絵に書いたようなプンスカした顔してる~!」
「っ! あーもう! この人は……!!」
朝から何でこんなストレスに晒されきゃならないの!
ただでさえ頭が痛いのに、何しに来たんだこの人!ただ揶揄う為に来たならあまりにも腹が立つ!
イライラした私は、ずっと笑い続けるお義兄様を無理やり部屋の外に押し出そうとしたけど、悲しいかな……体格差のせいか、私が非力だからなのか、全身の筋肉を使ってもお義兄様は動かなかった。
「あははっ、何やってんの?」
「出てって下さい! 朝から貴方の相手をするのはカロリーが重すぎます! 」
「えー? やだ」
「ヤダじゃない!」
「それにきっと困ると思うよ、君」
「……は?」
思わず2度見したお義兄様はニコニコで……うんざりするくらい人の悪い笑みを浮かべていた。
あ、嫌な予感……。
「これなーんでしょ?」
そう言って差し出したのは……ハンガーにかけられた洋服……それもワンピース。明らかに女の子の服だ。
私は直感した。
これ、私の着替えだ!!
「持ってきてくれたんですか!? ありがとうございます!」
私はその制服を受け取ろうと手を伸ばして……その瞬間、ひょいっとお義兄様に私の身長じゃ届かないところに腕を上げた。
「ちょっと!何するんですか?」
「ミアリー、そういや出て行って欲しかったんだっけ?」
「……え?」
「ふふっ、言われた通り、出て行ってあげるよ。じゃあね!」
そう言って、お義兄様は鼻歌歌いながら部屋から駆け出して行く。
その手に私の着替えを握って……!
「あぁぁぁ! この人私の着替え持ち逃げした!!」
「ほらほら頑張って? 捕まえてごらん~」
「ああもう本当にクソったれですね! お義兄様!!」
こうして始まった仁義なき鬼ごっこ。
でも、土地勘もない間取りも知らない場所で、お義兄様を追いかけるのは不利すぎた……。
「ぜー! ぜぇー!」
長い廊下の真ん中で膝をつく……もう体力が限界だ。
あれからどれだけ走ったか。
あの人、頑健なだけじゃなくて足も早い。全然追いつけない。
しかも、撒くのも得意で、追いついたと思うといなかったり、背後に回っていたり……捕まえられる気がしない!
しかも、逃げる最中、楽しげに揶揄ってきたり、鼻歌歌ってたり、徹底的に私をおちょくって来て、本当にムカつく!
頭は痛いし、膝はガクガクしてるし、ここが屋敷のどこだかも分からないし、最悪……!
「ゼーゼー! ぜっ、たい、ゆるさな、い……! みつけ、たら、いっ、ぱつ……!」
「ここで何をしている」
その声にパッと顔を上げると、そこには白衣ではなく、学校の制服を着た朝空の瞳のその人……もう1人のお義兄様がいた。
名前は確か……。
「ルキウス……! ルキウスお義兄様!」
「は? 兄? おい、誰が許可したんだ。そんな呼び方。お前如きにお義兄様と呼ばれる筋合いはない」
「え? じゃあなんてお呼びすれば……? ルキウス様とか……?」
「…………。気持ち悪っ……」
「理不尽!」
ルキウス様とかこれ以上無難な呼び方ないのに!気持ち悪いとかほざいて!
あぁ! もう! 兄弟2人揃って!本当扱いづらい!
「わかりましたっ! じゃあお兄ちゃんって呼びます!」
「は? 何がじゃあだ、何故そうなる?」
「だってルキウス様でダメならもう無難な呼び方ないじゃないですか! ですから、お兄ちゃんです! それが嫌なら? 別に、にぃにでも、おにーたんでも構わないんですよ?
貴方がうだうだ言っても、ずっとこの呼び方で呼びますからね!」
「……はぁ。訳が分からない。朝からギャーギャーうるさい上に、めんどくさい女……」
「そっくりそのまま返します! めんどくさいのはどっちですか!ねぇ、おにーたん!」
「だっるっ……!!」
むくれる私に舌打ちし、ルキウス様、否、お兄ちゃんは心底面倒くさそうに私を見下ろし、ため息を吐いた。
「……因みに、兄弟はお前に何と呼ばせているんだ?」
「お義兄様です」
「…………。事の発端はアイツか……チッ、朝からウンザリさせてくれる……」
頭を抱えるお兄ちゃんに、私も何度も頷いて激しく同意する。本当に、あの人は!
「本当ウンザリさせますよ! あの人、朝から私を驚かせた挙句、私の着替えだろうワンピースを持ってきたと思ったらそれ持って逃げ出して! あの人、人をおちょくって楽しんでるんですよ!!」
「……ワンピース?」
ふと私の言葉に目を瞬かせるお兄ちゃん……ん? 何か私、おかしなこと言ったかな?
首を傾げると、お兄ちゃんはため息を吐いた……そして、馬鹿な子どもを遠目から見るような憐れみの目を浮かべた……。
「お前、本当に馬鹿だな? 少し考えれば、侍従でもない兄弟がお前みたいな居候に着替えを持ってくるなんて有り得ないと分かるだろうが」
「……え?」
「そもそも呼び鈴鳴らして侍女を呼べば解決する話だ。彼女達を呼べば幾らでも他の着替えを出してくれたはずだろう?
そんな常識も忘れたのか? 階段から落ちて、脳細胞も尽く死滅したとしか思えない。でなければ、説明つかない。
こんな程度の低い挑発に乗って、本当馬鹿なヤツ……」
う、嘘でしょ!? じゃあこの時間はなんだったの!?
私が頭痛を我慢して、走っていたこの時間は……!!
「くっ、くぅぅ……! や、やられたぁ!! 絶対許さない! いたいけな女の子を揶揄って弄んで……!」
「いたいけの意味を知ってそれを使ってるなら、自意識過剰だぞ」
「るっさいです!」
余計な一言を!
あまりに頭に来て、お兄ちゃんを睨みつけると、肩を竦めて心の底から呆れた目をして……急に、その人の雰囲気が、どことなく柔らかい雰囲気になる。
あれ……?
「毒気が抜かれた……いや、馬鹿馬鹿しくなったとも言うが」
かけられたその言葉には、びっくりするくらい今まで感じていた刺々しさを感じなかった。言うならば、やれやれって感じ?
急なお兄ちゃんの変化に私はキョトンとした顔になるしかない。
「え……?」
「お前みたいな哀れな女にせめてもの慈悲をやろう」
その瞬間、朝空の瞳が細められ、私に近づいて来る。
あっ、と思った瞬間、耳元に彼の唇が寄せられた。
「なっ……!」
あまりの近さに顔が真っ赤になるのが分かる。
そんな私にそっとその声は耳打ちされた。
「今後、俺のことは、ルキウスお義兄様と呼べ」
「……きゅ、急に、なんで……?」
「しばらくすれば分かる。あぁそうだ。俺から提案したことは黙っておけよ。その方が上手く事が運ぶだろうからな」
何だか意味深にそう告げるとお兄ちゃん……もとい、ルキウスお義兄様は私から顔を引き離し、何事も無かったかのようにさっさと歩き出した。
「来い。朝食の時間だ」
真っ赤なまま呆然となってしまう私にそれだけ告げて去っていく。
何故か……頭痛はすっかり治まっていた……。
あれだけ嫌がっていたのに、急にルキウスお義兄様と呼べと言われ、私は凄く疑問だった。
でも、その理由は朝食の場で、直ぐに分かった。
「何で! 兄弟は名前付きで呼ばれているの! ずるい! ずーるーいー!」
ルキウスお義兄様と私に突っかかるお義兄様。
今まで余裕の顔を浮かべて、人をおちょくって遊んでいたその人が、今目の前で本気で悔しがっていた。
ただ私がルキウスお義兄様と呼んでいるだけでこの変わりよう……よっぽど悔しいみたいで、子どもみたいに地団駄踏んで口元をへの字に曲げて……ふふっ……私より絶対歳上なのにみっともない。自業自得だ。
「いーやーでーす! お義兄様はお義兄様のままでーす!」
ぷいっとそっぽを向けば、お義兄様は私に縋り付くように抱きついてきた。
距離感!!
しかも、力強っ!
「ちょっ、離して下さい!」
「嫌だ! ねーねー何で僕はダメで兄弟は良いの?」
「ご自分の行動振り返ったらどうですか? ただの最悪な兄ですよ?
お義兄様より少しはマシな性格してるルキウスお義兄様を見習ったらどうです?」
「え? マシ? つまり、僕、兄弟に負けたの? あの傲岸不遜陰険男に……!?」
「少なくとも女の子を揶揄って遊ぶ最低なお義兄様よりマ・シ・で・す!」
「そんな~」
お義兄様は不満そうだ。でも、身から出た錆だ。この際、一生名前を呼んでやるものか! 名前知らないけど!
ヤダヤダボクモボクモとお義兄様は私に縋りついて来るけど、怒っている私は無視を決めこんだ。
その時、チラッと私は目の前の席を見る。
目の前に座るルキウスお義兄様は、黙々と朝食を食べていた。もうお義兄様にも私にも興味無いって感じだ。私の視線も無視して食事に集中している。
うーん、思うところはいっぱいあるけど……この人の機転のおかげで調子乗ってたお義兄様に一矢報えたのよね……。
そう思うと感謝したくなる。
「……ルキウスお義兄様、ありがとうございました」
そっと感謝の言葉を伝える。
すると、ずっと無関心を貫いていたルキウスお義兄様の目が動いて、あの朝空の瞳に私が映った。
でも……。
「お前……人に感謝出来るのか。これだけ頭が悪いならそんな常識など知らないかと思っていた」
……ルキウスお義兄様はルキウスお義兄様だった。
見直した直後にこれだ!
やっぱりこの家、性悪しかいない! 朝っぱらから人を揶揄って遊ぶ人と、口を開いたら暴言しか吐かない人しかいない! 普通に会話出来るマトモな人が欲しい……!
「はぁ……ここより学校の方がマシかも……」
「それは無いんじゃない?
行ってみれば、分かると思うけど……ミアリー、君はね、嫌われているから。とてつもなく」
「は?」
耳元で発されたその事実に、私は耳を疑った。




