表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶喪失になったヒロインは強制ハードモードです  作者: 春目ヨウスケ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/122

幕間 男達の空騒ぎ 2





 国王レイナードはその日、腹の虫の居所がとにかく悪かった。

 この直前、臣下の1人がレイナードのもとを訪れ嘆願したのだ。

 領民を助けて欲しい、と。

 決死の直談判。それは、毎日のように餓死者が出る領民を思う領主の悲痛な叫びだった。

 しかし、レイナードはその叫びに顔色一つ変えず、その場ですぐさま、その者を切り捨てた。

 当然の結末だ。国王(自分)という最上位の存在に楯突いた者に生きる資格などないのだから。


 ガレストロニア王国は大陸の北東を牛耳る巨大な国家であり、大陸で1、2を争うほど人口と資源を有する大国だったが、その内情はあまり芳しくない。

 度重なる周辺国家との戦争と歴史的冷夏による不作、そして、蔓延する疫病で国全体が疲弊しており、経済は行き詰まり、食糧は不足し、生活すらままならない者が増えていた。

 そんな内情を抱える国家の国王レイナードは、生粋の強硬派だった。特に戦争に関して積極的で、荒れる国内外をその武力で圧倒し潰してきた。しかし、経済政策……とりわけ生活困窮者への支援は国家が侮られる一因だと、一切行わない人間だった。

 


 (弱い者が悪いのだ。自分でなんとかすれば良いものを、余に歯向かい機嫌を損ねやがって……!

 弱き者へ施すくらいならば、軍事に回す。それがこの国の在り方、余の在り方だ。

 弱き者は強き者に全てを捧げれば良いのだ……!)


 王家主催の舞踏会が行われたその日、レイナードの機嫌は下降するばかりだった。

 彼の目に民の嘆きもあの者の覚悟も映ることはない。もし今日のように目の端に映ったとしても、彼はそれを目にすると苛立ちが募り機嫌が頗る悪くなる男だった。

 身に纏う金と毛皮で出来た高価なマントも、首にぶら下げた大振りなネックレスも、両手指全てに付けた宝石のリングも何一つレイナードの機嫌を良くしてくれない。

 苛立ちが止まらない。

 身の程知らずの弱者が厚顔無恥で浅ましい嘆願をしたようにしか彼には思えない。

 舞踏会の会場であるサンチュール宮殿には既に貴族が詰めかけ大賑わいとなっている。目の前で優雅な音楽が流れ、酒の匂いが漂い、人々の楽しげな談笑が聞こえるというのに、今やその全てが、レイナードの神経を逆撫でしていくようだった。


「……チッ……!」


「ご機嫌麗しゅう。レイナード国王陛下」


 そんな時だった。

 まだ少年期の面影を残す爽やかな男の声がしたのは。

 気づけば、いつの間にか目の前に知らない若い男が立っていた。

 身なりからしてかなり裕福な貴族だとレイナードは今までの経験で判断する。

 だが、この男は身分を知らないらしい。

 国王であるレイナードから話しかけるならともかく、発言の許可もなく、当然のようにそこらの平民に話しかけるように軽々しく話しかけてきた。

 ただでさえ苛立ちが募っていたというのに、更に不快になり、レイナードは眉間に皺を寄せ、話すまでもなくこの無礼で不敬な人間は始末しようと右手を上げる。

 それだけで王の周りにいる衛兵が動き、彼を斬死させるだろうと思ったからだ。

 だが、何故か右手を上げても何も起こらなかった。


「……?」


 違和感を覚えレイナードは目を見開く。

 だが、目を開いたその先には、茜空の瞳がレイナードを映して笑っているだけだった。


「初めまして、僕は…………・シルヴァリオ。シルヴァリオ男爵家当主として挨拶しに参りました。

 今宵は良き舞踏会日和ですね。満月で空も明るく、雲ひとつない快晴で風もない。気温もそれほど高くないので汗だくになることもない。夜通し踊れそうなほど、素晴らしい夜です」


「……黙れ、若造。どうやら何も分かっていないようだな」


 名前を聞きそびれてしまったが、レイナードは今から死人になる人間の名前などどうでもいいかと思い、腰に差してある剣に指をかける。

 だが、役に立たない衛兵は後で始末するとして、先に目の前の男を……というところで、その言葉は発された。


「それで、いつご返済いただけますか。国王陛下?」


「返済だと……?」


 そこでレイナードは思い当たった。

 シルヴァリオ男爵……目の前にいるのは、あのシルヴァリオ金融を経営している貴族だと。

 シルヴァリオ金融は貴族や商会が顧客の中心だが、王家にも金を貸し出している。

 もちろんレイナードも度々利用していた。

 何せ軍費はいくらあっても足りないのだ。

 戦争というのはただ戦えばいいものではない。人員の確保や武器の確保、医療品と食料の買い上げ、遠征費や陣の設営費などの諸経費……何千、何万という人間を動かす為の費用がかかるのだ。

 だから、レイナードは様々な金融機関で結構な額を数年に渡り度々借りていた。

 特にシルヴァリオ金融はこんな不景気、しかも男爵程度が経営している金融機関というのに、妙に羽振りが良く、面倒な手続きもせず契約書に自分の名前さえ書けば莫大な金を簡単に借りられた為、最も頻繁に利用していたのだが……。


「このような場で、金を返せだと、貴様、死にたいようだな!」


 誰もが煌びやかな非日常に興じる王家主催の舞踏会で興醒めするようなことを告げた彼に、レイナードは憤慨する。

 しかし、彼はレイナードの怒りを前にしても、ただ笑っているだけだった。


「仕方がないではありませんか。

 幾度も督促状(お手紙)をお送りましても、陛下はそれら灰にされたり踏み潰されたりします。

 では、と。直接お伺いしようとしたら今度は無視される。

 ですから、このように()()()()()()()()()()()お話ししなければならないと思ったのです」


 彼は笑う。貼り付けたような笑みをレイナードに見せる。そして、また。


「それで、いつご返済いただけますか。国王陛下?」


 そう馬鹿の一つ覚えのように聞いてきた。

 その無礼で恥知らずな一言にレイナードは憤った。


「貴様の言葉など聞く価値もない。我の舞踏会を荒らしたのだ。即刻、その首で詫びさせてやろう!」


「では、返さないということですか?」


「頭が悪いな。 シルヴァリオ金融ほどの弱小金融。困ろうが潰れようがどうでもいいわ。むしろ、国家の為に役に立ったのだ。それで十分だろう!

 さぁ、覚悟しろ! 今すぐに……!」


 だが、そう怒鳴った瞬間、レイナードは気づいた。

 やけに静かだ、と。

 優雅な音楽は途絶え、酒の匂いは消え、人々の楽しげな談笑はどこからも聞こえない。

 レイナードは違和感を覚え、剣に手をかけたまま辺りを見る。


「…………っ!」


 そこは、まるで、時が止まっているようだった。

 腕を振り上げたまま固まった指揮者、注文された酒を人に恭しく渡す最中に固まった侍従達、パートナーと笑顔で踊りながら固まった貴族達。

 だが、時が止まったわけではないと気づくのに時間はかからなかった。

 目が……。

 全てが固まっている中で、その無数の両目だけが動いていた。動揺、焦燥、恐怖……様々な色をした、ぎょろぎょろと動く目が一斉にレイナードを見ていた。

 あまりに異様な光景にレイナードは何が起こっているか分からず、怒りも忘れて息を飲んだ。


 (魔法か……? いや、だが、サンチュール宮殿は様々な防御魔法を幾重にも重ねた要塞が如き場所。それに、この場には魔法使いも招待している!)


 あまりに不気味な現実から逃げるようにレイナードは自分が集めた忠実で屈強な衛兵達を見る。

 しかし、彼らはただぼうっと気の抜けた顔をして前を見ているだけだった。誰1人真面目に職務を行っていなかったことに、レイナードは怒りに震えた。

 ならば、と、レイナードは招待した魔法使い達がいる筈の場所に目を向ける。

 だが、そこにいるのは、浴びるように酒瓶を傾け貪るように肉に食いついたまま硬直している魔法使い達だった。レイナードは国防の要であるはずの彼らの間抜けで堕落した姿に舌打ちした。

 その時だった。


「850億ガレス……」


「!!」


「それが貴方がご返済すべき金額の合計額です。

 おや、この金額、サンチュール宮殿がもうあと5個も建てられそうですね。こんな額を税収ではなく下級貴族の金融機関から賄っていたんですよ? 国王陛下……?」


 その瞬間、レイナードは彼にフッ、と鼻で笑われた気がした。

 下級貴族の金で政治をしていた王……そう嘲笑われたと思った。

 レイナードの頭に忽ち血が上り、これ以上ないほど眉が釣り上がる。


「貴様! 誰がお前のような下級貴族に850億ガレスなど借りるか! 第一、下級貴族がそんな金持っているわけがないだろう! 証拠はあるのか! 」


「えぇ、あるに決まっているではありませんか。金も証拠も。

 我が家を舐めすぎではないですか、国王陛下」


 彼はその手に分厚い紙の束を出す、100枚以上はあるだろうか。分厚い辞典のように積み重なったそれは全て金銭借用書であり、そのいずれもレイナードのサインが書かれている。


「他ならぬ陛下がうちの職員と作った借用書です。確認しますか? 一つ一つ、金額を計算し直すのも大変だと思いますが……」


「……!」


「それで、どうしますか?

 僕としては穏便に、この場でご返済を確約していただけると助かるのですが」


 彼の声はこの静寂に満ちた舞踏会の会場に良く響いた。

 ここにいる誰もが国王レイナードの多額の借金を知り、驚き、その返済を迫られている事実に目を剥いている。

 その視線に、レイナードは生まれて初めて焦りを感じた。

 亡き父から受け継いだ王としての在り方。それは強き王になることだった。

 圧倒的な力さえあれば、力づくで敵を屈服させ、臣下を跪かせ、あらゆる人間に忠誠を誓わせることが出来るからだ。

 しかし、今、その強き王というイメージが崩れ始めているのをレイナードは感じていた。


「……っ」


 だが、850億……金がないから借りたレイナードがそんな額を到底返せるわけが無い。

 しかし、彼はまるでそんなレイナードの内心を見透かしていたかのように告げた。


「国王陛下、シルヴァリオ金融は、一生かかってでも返せる見込みのある方しかお金は貸さないと決めているんです。

 大丈夫、返せますよ?」


「…………っ、何……!?」


「現金は今厳しいでしょうから。代わりに土地はどうでしょう?

 ギーシェ、アンブル、ハライー、ラクレイラ、サンジェ、サマ、ユクーサル……これらを全てご返済に当てていただけば丁度良い、かと……?」


「なっ……! 貴様、全て我ら王族の直轄領ではないか!」


 それも王族の直轄領の6割に当たる土地だ。中には、先祖代々から受け継がれてきた神聖な土地や、隣国から強引にもぎ取ったばかりの国防の要となる領地もある。

 現金では返済出来ないと下級貴族の彼に足元を見られた屈辱もそうだが、王族の沽券に関わる取引を持ち出した彼に、ただでさえ怒りが頂点に達していたレイナードは彼を斬り捨てようと、指をかけていた剣のグリップを握ろうとした。

 だが。

 レイナードの身体はピクリとも動かなかった。


「…………っ!」


 首から上だけしか動かない……そう気づいた時、レイナードはようやく事態の重大さを今更思い知った。

 そして、未だに笑うこの目の前の男の不気味さにも……。


「ふふっ……」


「貴様……一体……!?」


「ここまでしても、ご返済する気がないようですね?」


 彼は足を踏み出す。

 彼の黒塗りの革靴が床を鳴らす音が、異様に大きく聞こえるのは何故だろう。

 その音が、一音鳴るごとに、レイナードに向かっていく。

 レイナードはその不気味さに、生まれて初めて怖気付いた。


「ち、近づくな!」


「おや、何もしませんよ? 国王陛下は我がシルヴァリオ金融の大切なお客様でもありますから。

 ……まぁ、ご返済いただければ。というお話ですが」


「……く、来るな、来るな! 無礼だぞ! 下級貴族が! 俺を舐めやがって! お前は処刑だ! 公開処刑に……!」


「僕はきちんと返していただければ、それで良かったんです。

 だというのに、国王陛下。国のトップたる貴方は味をしめて次々と借りて……そして、今、踏み倒そうとしている。

 金融機関を運営している者として到底許せるものではありませんし、非常に失望しました。

 我が国の頂点にいるのは強き王ではなく、(したた)かな王なのだと。

 何も分かっていないのはどちらなのでしょうね?」


 カツン、と硬質な音がして、革靴の音が止まる。

 レイナードは息を飲んだ。すぐ目の前までやってきた若い男がニィと意味深に笑ったから……。

 鳥肌が立つ。いつの間にか顔から血の気が引き、真っ青になっていく。

 今までレイナードは様々な猛者と対峙してきた。高名な騎士も隣国の英雄も、全て斬り捨て必ず勝利してきた。

 だが、今目の前にいるただの借金取りの若造1人に、レイナードは圧倒され恐慄き、その茜空の瞳に命すら握られている気がしていた。


「命すら握られている()()()()()()? おやおや国王陛下、随分呑気ですね」


 くすくすと、笑い声が響く。

 レイナードのすぐ側で。

 周りに聞こえないようにか、声を顰め、目の前の彼は笑う。


「もう握っているのですよ……何の価値も無いですけど」


 レイナードがハッとしたその瞬間、目の前の茜空の瞳がレイナードを嘲笑い、妖しげに光り輝いた。


「…………国王陛下。いや、レイナード()()

 折角の舞踏会です。踊りながらでもどうするかゆっくりお考えください。

 夜は長いですし、ね?」


 その瞬間、レイナードの身体が動き出した。だが、レイナードの意思では無い。

 まるで巻ネジが回されたブリキの兵隊のおもちゃのように、レイナードはカクカクと関節を動かしながら勝手に歩き出した。


「や、やめろおおお!」


 そんなレイナードの絶叫が響いた瞬間、音楽が鳴り始めた。

 オーケストラがワルツを演奏し始めたのだ。だが、どうもおかしいとレイナードは直ぐに察した。演奏者の誰もが驚愕し目を見開いている。手を止めようとその目は必死にもがいているが、手は止まらない。その体は残酷に滑稽に優雅な音楽を鳴らし続けている。

 さらに、会場内にいる侍従達が一斉に、参加者全員に飲み物を配り始め、食事も用意し始めた。

 全員示し合わせたかのように同じ動きをし、まるで合わせ鏡のように給仕をし始める。だが、その目だけは困惑に揺れていて全く揃っていなかった。

 そして、参加者である貴族達は……会場の中心にやってきたレイナードに、歓声を上げた。拍手し、微笑み、指笛を鳴らし、まるで大スターでも現れたように黄色い声を上げる。

 だが、その身体は興奮し、全身で喜びを表現しているというのに、その目は恐怖に凍りついていた。逃げようとしているのに体が動かないばかりかもっともっとと歓声上げる、その異常さにその目は悲鳴を上げていた。

 あまりに異様な状況に、レイナードは発狂したくなった。叫んで喚いて止めろと何度も無我夢中で命令する。

 だが、止まらない。

 観客と同じように操り人形になったレイナードは、大観衆の真ん中で、全員の視線を一心に浴びながら、パートナーもいないのに踊るしかなかった。

 まるでカラクリ人形のように、関節をガタガタと動かしながら不格好なワルツを踊るレイナード。

 パートナーが誰もいないが故に、ステップを踏んで手を動かすだけになってしまった奇妙な踊りは特に何の面白味もなく、見せどころのターンも虚しいだけで終わる。

 そんな酷い踊りに歓声を上げ続けなければならない観衆の目には失望の色が見え、レイナードは焦り、ただ1人この状況を静観する彼に吼えた。


「今すぐ終わらせろ! 余が命じているのだ! 国王の! 国王の命だぞ! このガレストロニアの! 200年近く続く大国の王が命じているのだ!

 やめろ! こんな茶番をやめろおおお!」


 しかし、彼はその言葉の全てを無視し、やはり貼り付けたような笑みを浮かべたまま、わざとらしく拍手し、レイナードを褒め称えた。


「素晴らしい踊りです。やはり国王の地位を名乗るだけありますね。立派なものです。ま、パートナーをお忘れのようですけど……意外とおっちょこちょいなんですね」


「ば、馬鹿にして……!」


「あぁ! そうだ! 折角ですから、貴方のお仲間と踊ったらどうですか? きっと素晴らしい見世物になりますよ」


「……は?」


 その瞬間、 観衆の中から、パートナーと手を取り合い、レイナードただ1人が踊る会場に入っていく10数組の貴族が現れた。

 その顔は笑顔で、歓声を上げる観衆に手を振るほど楽しげだったが、その目だけは今に悲鳴を上げそうな絶望に染まっていた。

 そんな彼らに、彼は笑みを向けた。


「ご紹介しましょう。皆さん、我がシルヴァリオ金融が誇る、いつまで経っても返済を先延ばしにする大変困ったお得意様方です。

 陛下のエキストラにぴったりですよね」


 そう彼が言った瞬間、笑顔を浮かべていた彼らの口が開いた。


「いやあああああああ」


「助けてくれえ!!」


「踊りたくない! 踊りたくない!」


 悲鳴が会場内を響き渡る。

 そんな中で、彼はレイナードのサインが入ったそれではなく、別の借用書……哀れで姑息なエキストラ達の借用書を眺め感心していた。


「バナッシュ公爵家は9000万ガレス、フィエールマン伯爵家は8800万ガレス、レットン子爵家は6800万ガレス。他の貴族の方々も似たような額をお借りしてよくもまぁ……おや、トノー侯爵家は1億2000万ガレスですか。家、土地、家宝……全て売っても全然足りませんね~」


「ひぃ……」


 名指しされたトノー侯爵夫妻は踊りながら顔を引きつらせた。そして、踊りながら必死に命乞いするように声を上げる。


「払う! 払うから! このような見せしめ止めてくれ!」


「そうよ! こんなの惨めだわ! 社交界にいられなくなる! 払うからお願いやめて!」


「ん? 足りないと言いましたよね?」


「……っ!?」


「支払えないんですよ。今の貴方達は。だから、とっとと払って帰宅だなんて出来ませんよ。

 まぁ、それはトノー侯爵家に限った話ではないのですけれども……」


「…………え?」


「あ、そうそう。個人的な話なんですが、僕が経営している鉱山で今、従業員を募集しているんです。

 年齢とかどうでもいいんで、黙って惨めに身体動かして馬鹿みたいに働いてくれる人が欲しいんですけど、なかなかいなくて困ってるんですよね~」


「………………」


 彼の茜空の瞳が、絶句しながら踊る貴族達を見る。

 そして、にっこりと笑った。


「……貴族としての最後の夜、楽しんでくださいね?」


 その言葉に、その意味に、絶望した人間達の悲鳴が会場中に鳴り響いた。

 だが。

 それでも続く。

 舞踏会は続く、いつまでも。

 悪夢は終わらない。

 満月が中天から傾いて地平に向かい落ちようとしている中でも、舞踏会は永遠に続くかの如く開催されていた。


「……っ!……っ!」


 腕が吊っても足が痺れても、演奏させられ続けるオーケストラ。


「……は……っ……!」


 テーブルの上がドリンクと食べ物で埋まって山のようになっても運び給仕し続ける侍従達。


「すばらじ……! すば、らしぃ……!」


 喉が涸れても手の感覚がなくなっても、笑顔で歓声を上げ拍手し楽しむことを強要される観衆達。


「助けて! 誰か! 足が痛い! 腕が痛い! 止まってくれ! 頼む、もう止めてくれ! 助けてくれ!」


 足を震わせ手を痺れさせながら、楽しげに踊り続け、笑顔のまま涙を流し助けを乞う負債者達。

 誰も彼もが既に頭がおかしくなり限界を迎え発狂していた。しかし、それを表に出すことはいつまでも許されず、全てが狂ったまま舞踏会を続けなくてはならなかった。

 そんな舞踏会の中心で、レイナードもまた未だに踊っていた。


「いい加減誰か止めろ!」


 そう叫ぶが、衛兵達は壁際で薄ら笑みを浮かべて拍手するばかり。魔法使い達も酔っ払いらしい赤ら顔で歓声を上げているだけだった。

 止められる者はいない。

 いつまでも踊り続けるしかない……その事実にレイナードは絶望した。

 だが。


「レイナード()()、あるじゃないですか、止められる方法」


「……!」


「分かってますよね。この舞踏会の主役は誰かって。しかも、貴方は主催でもあられる。

 ……僕は、待っていますよ?」


「……く、そっ……!」


「あぁ、因みにちゃんと言葉にして皆さんに聞こえるよう僕に言って下さいね。

 人から借りたものをお返しできない駄目な人間なんですから、反省ぐらいはキッチリしましょう、ね?」


「貴様……貴様ぁ!! 言わせておけば調子乗りやがって!!」


 今にも彼に掴みかかりそうな勢いで怒り狂うレイナードだったが、その体は全くレイナードの思うように動かない。

 歯噛みしていると、突然、ステップを踏んでいた足が止まった。

 やっと終わったかと、レイナードは一瞬安堵した。だが、気休めだったと直ぐに気づく。

 レイナードの体は勝手にその指に付けた宝飾品を外し始めたのだ。

 レイナードの真っ赤だった顔は一瞬で青ざめた。


「やめろおおお!」


 指輪を外すと、ネックレス、マント、ベルト、コルセット、鞘に入った剣とどんどん外して床に落としていき、とうとう下着にまで手をかけ始めた。


「やめろ!……やめろ、やめてくれ!」


 レイナードがそう言った瞬間、レイナードは上半身裸になった。

 とはいえ、レイナードは武人だ。上半身を見せたところでそこには鍛え抜かれた体があるだけのはずだった。

 しかし……暴かれた、その上半身は。


「おい、なんだ、あれ!」


 踊っていた伯爵が思わず声を上げる。


「嘘……! なにあれ!」


 ステップを踏んだ子爵夫人もまた声を上げる。

 レイナードの上半身……そこにあったのは、マントで隠し、無理やりコルセットで押さえつけられていた、でっぷりと張り出し垂れたお腹だった。


「あぁ……あああ…………!」


 レイナードは口を開けたまま事実から逃げるように天を仰いだ。

 レイナードは確かに武人だ。幼い頃から立派な戦士となるべく修行を積み、鍛錬も欠かさず、戦で勝ち続けた。

 だが、彼はある時、酒に出会ってしまい、深く愛飲するようになっていった。

 それから次第に鍛錬より飲酒する時間の方が少しずつ増え始め、やがて逆転し、気づけば武人とは思えない程、だらしない身体になっていた。

 老人も若い人も男も女も、そんなだらしない王の体を、ジロジロとありえないものを見る目で見つめる。拍手喝采で称えながらも……彼らは、レイナードに失望していた。


「…………ぁ……」


 レイナードは、その瞬間、自分が一生をかけて創り上げてきた強き王という自身のイメージが跡形もなく崩れ去ったことを直感した。

 そして、観衆の失望が……忽ち怒りへと変わったことに気がつく。


 (言われずとも分かる)


 額から汗が止まらない。滝のように出てくるそれが、レイナードの頬を伝い、床に落ちていく。


 (強き王はいない。ここにいるのは、 ハリボテの王だと……皆、察している!)


 レイナードは今すぐ床に崩れ落ちたかった。

 もう一歩も動かず、絶望し、自身の失墜を嘆きたかった。

 だが。


「踊りましょう? レイナード()()

 自身を讃える素晴らしい臣民の皆様方にちゃんと見てもらいたいでしょう? ガレストロニア王国を代表する名高き武人のその体を、ね?」


「ああああああああぁぁぁ!!」


 悪魔がいる。

 落日の時を閉じ込めたような目を持つ悪魔が、斜陽の時を迎えたレイナードを楽しげに見つめて嗤っている。

 レイナードはようやく気づいた。

 この男は最初からこうするつもりだったのだ、と……そして、彼が作り出した悪夢はまだ終わっていないのだと。


「弱き者は強き者に全てを捧げるべき……でしたっけ?」


「……!」


「ふふっ、確認ですが、この状況で、この姿で、まだ自分の方が強いと思ってますか?」


「……ぐ、うっ……!」


「まぁ、どちらでもよろしいです。貴方が成すべき事が分かるまで何時間でも御付き合いしましょう。

 なんだったら、 城下町でパレードを催しますか? サンチュール宮殿からだと王都のメイン通りまで徒歩で2時間で着きます。今からだと朝日も昇って明るい良い時間ですね。

 素晴らしい話ではありませんか。

 平民の朝は早いですから、日の出をその背に乗せて行進するレイナードさんはすぐさま大衆の注目の的になるでしょう。

 その瞬間、国民からの大喝采が貴方を称えてくれると思いますよ?」


「あぁ……な、なんということを……!」


 この姿で躍りながら城下へ行けばどうなるか。想像に難くない。これ以上の屈辱と絶望が待っている。

 レイナードの名前は愚王の名前になり、末代まで笑われることになる。

 だが、レイナードはもう重々理解していた。

 回避は出来ない。

 彼はやる。

 容赦なく実行する。

 このまま何もしなければ、レイナードは……国王としても人としても死ぬ。


「シ、シルヴァリオ男爵……!」


「………………」


 レイナードは叫んだ。今日1番の叫びだった。

 そして、彼は、自身の最悪の未来を回避する為、ついにその口から懇願の声を出した。


「わかった! 返済する! 言われた通りにする! もう勘弁してくれ!

 余が、すまなかった。返済しなかった余に非があったのだ!」


 その瞬間、レイナードの体が何かから解放されたように崩れる。

 冷たい大理石の床に放り出された体は、受け身も取れずに、床に全身を打ち付けた。


「ぐっ……!」


 体が自由になったものの、長時間無理やり踊らされた疲労から起き上がることすら出来ない。筋肉痛と打ち身による激しい痛みに呻き、うつ伏せのまま床に這いつくばるしかなかった。すると、そのレイナードの目に黒塗りの革靴が映った。


「では、サインを」


 目の前に何かの契約書と万年筆が置かれる。

 屈辱的な体勢だが、一刻も早くこの恥辱から逃げ出したいレイナードは契約書の文面も読まずに躊躇いなく、サインした。

 そうしてサインされた紙は直ぐに回収されていく。

 もう後戻りは出来ない。

 レイナードは屈したのだ。たかが男爵、それも齢17の若い人間に。


「ああ、あああああ……」


 敗北を噛み締め心折れたレイナードの目に涙が浮かぶ。

 ……だが、終わりではなかった。


「確認しました。ありがとうございます。レイナードさん。

 これからは僕ではなく、我がシルヴァリオ金融の担当者が手続き致しますので、よろしくお願いします。

 …………ところで、ずっと聞きたかったことがあるんですけど、最後に聞いてもよろしいでしょうか?」


「…………」


 既に致死量の辱めに死に体になっているレイナードに何の疑問があるというのか、レイナードはゆっくりと顔を上げた。

 そこには相変わらず残酷なまでに無邪気な彼の笑顔がある。だが……顔を上げない方が賢かったとレイナードは後悔した。

 彼のその後ろ、レイナードと同じように解放され自由となった貴族達が顔を真っ赤にしてレイナードを睨みつけているのが見えた。

 その様子に青ざめるレイナードを彼はまたくすくすと笑った。


「僕、ずっと疑問だったんです。

 ……どうして、貴族の皆様を逃がさなかったんですか?」


「え……?」


「わかるでしょう。僕は貴方だけにしか用がなかった。別に、貴族の皆様を巻き込まなくても良かったんです。でも、往生際の悪い貴方が一向にご自分の借金を返済しようとしないから皆様を巻き込むことになった……。

 一言言えばよろしかったのに。

『これは余の問題だ。彼らは関係ない。彼らはこの場から出してくれ』って。

 そうしたら、僕も解放しましたよ? 流石にね。

 ……だというのに。貴方は貴族の皆様を逃がしもせず、助けを求める声に耳を傾けず、自分の外面やプライドばかり気にして、王として恥ずべきことに臣民を守らなかった。

 きっと貴方にとって所詮、臣民はその程度なんでしょうね。まさか、卑小な貴方が誰のおかげで玉座に座れるのか、お忘れになっているのでは……?」


「……あ、ああ……」


 レイナードの体がガタガタと震えた。

 そんな考え、レイナードにはなかった。

 何故なら、ずっと剣を振り上げ軍を率いてきたレイナードにとって臣民とは自分の手足であり道具でしかなかったのだから。

 しかし、その長年の驕りが、今、大衆の怒りとなって返ってこようとしている。

 貴族達がじりじりとレイナードに近づく。

 その目は真っ赤に充血し、眉は釣り上がり、今に掴みかかりそうなほど怒り狂っていた。

 レイナードは地べたを這い、彼に縋りついた。


「お願いだ! 止めてくれ! 死にたくない!」


「おや? 何故僕に頼むんです?」


「お、お前なら彼らを止められるだろう!? 止めたら陞爵してやろう! 待遇も良くする! 希望すれば大臣の地位も……!」


「要りませんよ。そんなつまらないもの」


 その瞬間、レイナードの目が見たのは深淵だった。

 一切の光の消えたその昏い瞳がレイナードを見下ろしている。

 レイナードどころかこの世界に対する愛着すらも感じない冷徹でがらんどうなその瞳にレイナードは息を飲んだ。


「……っ」


 その得体の知れないおぞましさにレイナードは思わず彼から両手を離して後退りし、尻もちを着いた。

 すると、彼は何事も無かったかのように笑みを浮かべ、レイナードに背を向けた。


「では、お疲れ様でした~ またのご利用、お待ちしておりまーす。次回のご利用時はきちんと計画通りにご返済下さいね? 貴方程度に休日を潰すの嫌なので~ よろしくお願いしまーす」


「ま、待て! 待ってくれ! 待ってくれぇぇぇぇ! ああああああああぁぁぁ!!」


 レイナードの叫び声が響き渡る。

 しかし、もう用を終えた彼が振り返ることなどなく、レイナードの叫びは忽ち断末魔へと変わった。





 圧倒的だった王の権威が失墜し、国家の防衛力の無さを露呈させ、貴族の誰もが巻き込まれ拷問のような時間を過ごした、この王家主催の舞踏会は、後に、サンチュールの狂夜と呼ばれるようになる。

 たった1夜にして王家と貴族の勢力図が塗り替わる大事件となったこの事件は、2年経った今も尚、畏れを持って人々に語られている。

 そして、皆、口にするのだ。

 シルヴァリオ男爵家を敵に回してはならない、と……。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ