幕間 男達の空騒ぎ 1
「……なぁ、どうする?」
その言葉は、そんなに声量も出ていなかったというのに、恐ろしく部屋に響いた。
夕暮れ時の学校。
全てがオレンジに滲んでゆき、黒に変わる時、生徒会室という名札が煌めく部屋の中で、4人の男達が1つの机を囲み、考え込んでいた。
その表情はどれも暗い。
苦悩と迷いだけがそこにあった。
「昨日から既に丸一日……彼女と話せた者はいるか?」
そう聞いたのは、ミアリーに少年達の中で最も体格のいい精悍な美少年と評された、ガレストロニア王国の現騎士団長の息子であり、この聖マイアヴェア学園騎士科首席。 イヴァン・ディストン。
彼は足を組み、厳しい表情を浮かべていた。
「むーりだった! 第一、研究科と普通科の棟は遠すぎるし、放課後のタイミングも合わないし、せめて昼休みにって思ってたけど、誰かといてダメだった」
そうため息を吐いたのは、ミアリーに小柄で華奢な紅顔の美少年と評された、ガレストロニア王国が誇る天才魔法使い。エミール・オーガスタス。
頭に被る三角帽子の下、彼は何とも言えない顔で頬杖をついた。そんな彼に声がかけられた。
「……エミール、昼休み、彼女の隣にいたのはシルヴァリオ男爵だ。
はぁ……全く何故なんだ。昨日あんな事を宣いながら……よりによって……」
そう言って頭を抱えたのは、ミアリーに博識そうな眼鏡の美少年と評された、このガレストロニア王国、宰相の1人息子であり神童と謳われた次期宰相、アーノルド・レフォス。
彼は眼鏡を押し上げながら、苦虫を噛み潰したようなそんな顔をしていた。同時に、彼は酷く困惑していた。
「今までミアリーには全く興味がある素振りを見せず、それを以前のミアリーは嘆いていた。
だが、今日は昼休みも……そして、報告によると放課後も2人で帰宅したとある。
あれでは私達は近づけない。
更に、報告によれははっきりとは断言出来ないが、妹と呼んでいたと……」
アーノルドは一晩でシルヴァリオ男爵家に何があったのかと頭を抱える。今更になって彼女に同情し態度を改めたのか、何か重大な秘密から男爵が直接彼女を監視しているのか。彼は深刻に捉え思い悩む。
だが、それがまさか男爵が今のミアリーを大いに気に入っているだけであり、子どもが新しく手に入った玩具を気に入り肌身離さず持ち歩いているようなものとは幾らアーノルドとはいえ想像すら出来ないだろう。
「妹? それって正式に引き取ったってこと?」
エミールがそう聞けば、イヴァンは首を横に振った。
「分からない。情報が無さすぎる。
何しろ相手はあのシルヴァリオ男爵だ……親父達でさえその情報を手に入れるのに骨を折る相手なのに、俺達では分かりようがない」
「ふーん。ボクは貴族でもないし、色んな人達から恐れられているぐらいしか、知らないけど、シルヴァリオ男爵って凄い人なんだね」
呑気にそう感想を述べるエミールに、だが、イヴァンは険しい表情で告げた。
「凄い人などというレベルではない。お前、今日の昼休み、セロンの姿を見ていなかったのか?」
「え? セロン、いたの? 今日は姿が見えないからてっきり実家の手伝いでいないのかなって思ってたけど?」
「そうか。ならば仕方がないだろう……。
セロンはシルヴァリオ男爵の怒りを買い、結果的に許されはしたが……明日には実家から勘当される予定だ。さっき早馬で連絡があった」
「え……?」
その情報にエミールは驚愕するしかなかった。
セロンの実家、オーブリー商会は国家随一の歴史を誇る大商会だ。そこの跡継ぎとしてセロンは幼少期から英才教育を受け、類まれな商才を開花させ、商会の未来を託されていた。
しかし、3年前、オーブリー商会はとある事業で大失敗し、順風満帆だったその経営は一気に傾いた。
残ったのは、多額の負債と、大量の退職願、長いだけの歴史、捨てられないプライド、そして、セロンだけ……。
エミールの記憶の中のセロンはいつも実家の商会の立て直しに必死で、周りさえ見えていない様子だった。
そんな彼が勘当されると聞いて、エミールは青ざめた。
「そんな……。
なんで? 別に王族に背いた訳でもないのに……」
「……シルヴァリオ男爵家は、それだけの存在ということだ」
「で、でも男爵って貴族の中で一番下でしょう? それなのに……っ!」
そこでエミールはハッとした。
イヴァンもアーノルドも顔を上げていないことに。
……そして、その目に、諦めと、隠せない怯えがあることに……。
「サンチュールの狂夜……」
アーノルドの目が険しくなる。
それはガレストロニア王国の歴史、この200年間の中でも5本指に入るだろう大事件。
貴族なら誰もが知る……否、誰もが経験した恐怖の夜だ。
そして、それはイヴァンやアーノルドも例外では無い。
「2年前に起こったあの夜は、正に悪夢だった」
「悪夢?」
「えぇ。最終的に国王陛下がシルヴァリオ男爵に謝罪することで終わったが……」
「え? は? あ、あの国王陛下が?」
エミールは、何年か前、自身が留学する前に、褒賞授与式で見たガレストロニア王国国王、レイナード・ガレストロニアの姿を思い返す。
当時のレイナードは歴代の国王の中でもかなりの強硬派として有名で、国内の有事の全てを圧力で解決し、他国間の問題も武力で軍事解決し、平和的解決など全く行わないことで有名だった。
その性格は、恐ろしく高圧的で高慢。男爵程度に謝罪するような人間ではない。
あの国王が謝罪した……それだけでエミールは事の重大さを察せた。
「一体、何をしたの?」
「…………それは」
アーノルドはあの夜の話をすることにした。
2年前、誰もが例年通り賑やかで華やかな夜が来ると思っていた王家主催の舞踏会。
ガレストロニア王国の殆どの貴族が参加する大規模な夜会でそれは起こった。
その時、シルヴァリオ男爵は聖マイアヴェア学園経営科に通う17歳。当主の急逝により若くして爵位を継いだという以外、取り立てて特徴も無かった彼を、警戒していた人間はあの夜、皆無だった。
もし衛兵を派遣していた騎士団が情報収集にもっと比重をかけていれば。
もし宰相が国外の情勢だけでなく国王陛下の内情も知っていれば。
もし国王に招待された魔法使い達が酒を浴びるほど飲んでいなければ
……もし、国王が貴族を侮り慢心していなければ……。
誰もが賑わう中、国王陛下に向かい、彼はこう告げなかっただろう。
「それで、いつご返済いただけますか。国王陛下?」




