後日、もしくは、遠い未来
まだ背の小さいその女の子は、そこで、ずっと四苦八苦していた。
「……っ……!」
数年前に増築したばかりのまだ新しい大きな邸宅の一角。そこで彼女は背の高い扉の前でそのドアノブに向かい、懸命にジャンプしていた。
背が小さすぎて、部屋の扉のノブまで手が届かず、開けられないのだ。
それでも彼女は跳ね続けていた。
「……っ! もう……!」
だが、その時だった。
突如、扉が独りでに開いた。
「きゃっ!」
まさか独りでに開くとは思わず、彼女は転倒してしまいそうになる。
すると、背後からやってきたその人が彼女を抱え、彼女はすんでのところで転ぶことなくその人に抱き上げられた。
最初こそぽかんとしていた彼女だったが、自分を抱えたその人が誰なのか理解すると、彼女は目を輝かせた。
「ルキウス!」
女の子は彼に抱きつくと、そんな彼女の頭を彼は慣れた手つきで撫で始めた。
「小さなお嬢さん、どうしたんだ? こんな場所まで来て」
「ルキウスに会いに来たの!」
彼女を抱え、彼は背の高い扉の向こうへ入っていく。
そこに広がっていたのは、巨大な実験場。
天井の高さはビル2階分まであり、広さは一般住宅が3軒分余裕で入るほど広い。
そこには様々な実験器具やヒュームフード、流し台、洗浄機などが並んでいた。奥には、防弾ガラスに囲われた実験室や、鍵のかかった薬品室、薬品室よりも厳重に封鎖され、何故か扉がガタガタと頻りに鳴っている謎の部屋などあるが、彼女を抱えた彼はそれらを通り過ぎ、更に奥にある3人がけのソファに向かった。
「何の用だ?」
「そのまえに! あのね、今から話すこと、パパに内緒にしてほしいの。ダメ?」
「分かった。内緒にしよう。2人だけの秘密だ」
「うん!」
ソファまで辿り着くと、彼は彼女をまるで宝物のようにそっと丁寧にソファに降ろし、自身は彼女の為に手ずからに紅茶を用意し始めた。
「それで、レディ、どうしたんだ?」
「あのね……ルキウス、私、パパに内緒で魔法を習いたいの」
「……魔法?」
手馴れた所作で、温めておいたポットに茶葉を入れ、ケトルで沸かしたお湯を茶葉に当たらないよう注いでいく。
彼がそうして準備している姿を見ながら、彼女は話した。
「絵本を読んだの。聖女様が悪い悪魔によって暗闇に呑まれた世界を救う話。とってもかっこよかったのよ!」
「ほう……。もしかして聖女様に憧れたのか?」
「ううん、そっちじゃなくて聖女様のお兄様の方! ルクス様って言うんだけど、ドラゴンに乗っていて、すっごく強くて、とってもかっこいい魔法使いなのよ!」
「…………へぇ」
彼女の話を聞きながら、彼は笑みを浮かべる。その笑みは妙に上機嫌なものだった。
ポットからカップへ出来立ての紅茶を注ぎながら、彼は期待を込めて彼女に聞いた。
「その魔法使いみたいになりたかったのか?」
「うん! 私、ルクス様大好きなの! だから、ルクス様みたいな魔法使いになりたい!」
元気の良いハッキリとした解答。
それに気を良くしたのか、カップにミルクと角砂糖を入れマドラーで混ぜる彼の手はとても軽快であった。
「それでね、さっき絵本を持ってパパのところに行ってお願いしたの。ルクス様みたいな魔法使いになりたいから、魔法を習いたいって。
そしたら、パパったら酷いんだよ!
魔法は危険だから絶対ダメだって怒っちゃったの! で、ルクス様じゃなくて、聖女様の許嫁の方がかっこいいだろって!パパったら本当に見る目がない! ルクス様の方がかっこいいのに!
だから、私、言ったのよ! あんな意地悪でウザイ人ヤダって……そしたら、パパ、もっとプンプンしちゃって……。
……ルクス様じゃなくて、あっちの方がかっこいいって言うまで、魔法は絶対に習わせないって……!
ルキウス、酷いよね!? 危険だからダメじゃなくて、ルクス様が好きだからダメなのよ! 訳わかんない!」
彼女は段々とあの時の怒りを思い出してか、口をへの字に曲げてしまう。
そんな彼女の前に、彼は、作りたてのミルクティーを彼女に差し出すようにそっと置いた。
「レディ、ミルクが1、角砂糖が2だったよな?」
その一言に、彼女はぱあっと目を輝かせた。その顔からは自分の父親への苛立ちなどすっかり無くなり、彼女は喜色満面の笑みを浮かべる。
「覚えていてくれたの!?」
「あぁ、もちろんだとも」
「凄く嬉しい!」
彼女の小さな手がカップを手に取る。そのミルクティーはいつの間にか、彼女が直ぐに飲めるように、程良く温くなっていた。
「わぁ……! パパは魔法使えるのに、パパがフゥーフゥーしてあげようか?というばかりで冷ましてくれないの!
ルキウス、ありがとう!」
「これくらいどうということはないさ。お前の父とは違ってな」
上機嫌にそう言って彼は、彼女の隣に座る。
その手にはミルクも角砂糖も入っていない紅茶のカップが握られている。
「魔法の件だがな……」
「うん!」
「俺は教えられない」
「え! な、なんで?」
優しい彼ならば教えてくれるだろうと、彼女は期待していた分、ショックを受け、その目に涙を浮かべる。
そんな彼女を慰めるように彼女の艶やかな黒髪を彼は撫でた。丁寧に、優しく、その指に親愛を込めて……。
「俺は、もう普通の魔法は行使できない。似たようなことは出来るが……扱っているものが違う分、教えることは出来ないんだ」
「そんな……」
「ゴメンな。魔法は別のヤツに教えて貰え」
そう言って彼は謝るが、彼女はみるみる落ち込んで行くばかり。
そんな彼女に、ルキウスは苦笑いを浮かべた。
「代わりに……君の知らないルクスの話をしようか」
「え? ルキウス、ルクス様を知っているの?」
パッと顔を上げ、彼女は破顔した。そんな彼女に、彼は微笑みを浮かべたまま言った。
「知っているとも、よく」
「よく……?」
「だが、この話を聞くなら、約束してくれないか?」
「約束……?」
「この話は、誰にも話すな、一生」
「2人の秘密ってこと?」
「そういうことだ」
彼女はほんの少し考えたが、直ぐに笑みを浮かべる。
「分かった。秘密にする!」
彼女は近くにあったテーブルにミルクティーを置くと内緒話をする為に、彼の膝にちょこんと座る。
彼女が見上げれば、そこには太陽が昇る早朝の空のようなその目があった。
その目と目が合うと、彼は語り始めた。
「ルクスには、願いがあったんだ」
「願い?」
「そう。大切な人達が末永く幸せに生きて欲しいという願いがな。
特に2人には。聖女とその許嫁には幸せになって欲しかった……」
「2人とも頑張ったから?」
「そうだ。
だから、ルクスはこの世界の神様になることにした」
「神様……」
あまりにも突飛な展開に、彼女は目をぱちくりと瞬かせるしかなかった。しかし、彼は顔色一つ変えずに淡々と話し続けた。
「条件は揃っていた。
実の父親から星の力を受け継いだこと、聖女の、否、星の力を増幅させる装置が起動していたこと、聖女とその許嫁の間に愛の力が芽生えたこと……その全てがプラスに働いた。
だから、ルクスは世界がリセットし、全てが一旦壊され再起動するという時、2人にとって不都合なことしか起こらないこの世界を反転させたんだ」
「はんてん? 逆にしたってこと?
だから、えっと……ツゴウがいい世界にしたの?」
「賢いなぁ、レディ。その通りだ。
どうせ歪んでいた世界だ。今更、都合がいい世界に変えたところで何も問題はなかった。
確かに、ルクスはもう2度と普通の魔術は扱えなくなってしまい、完全に人間とは全く違う存在になってしまったが……2人の幸せに比べれば些事だ。
彼はとても満足した。見たい未来を見れたんだ、それはもう満足した……」
「…………」
その彼の話を聴きながら、彼女は目を瞬かせた。
自分は確かにルクスの話を聞いている筈だった。だが、聞いているとどうにも……。
「もしかして、ルキウスの話だったりする?」
疑問そのままにそう彼に聞けば、彼は彼女の髪を指で梳きながら、はぐらかした。
「ルクスの話だと言ったろう? 俺の話ではない」
「えぇ、でも……」
彼女はじっと疑いの目で彼を見るが、彼は意味深に口角を上げるばかり。諦めて彼女は彼に寄りかかった。
「まぁ、ルキウスが神様でも神様じゃなくても良いや。
どっちもしたって、私の大好きなルキウスには変わりないから」
「嬉しいことを言ってくれる。俺のこと好いてくれるのか?」
「えへへ。うん、私、ルキウスのこと大好き。
将来、ルクス様かルキウスに似た男の子と結婚したいぐらい!」
その瞬間、パキリ、と白磁のカップにヒビが入る音がした。
自分の上から聞こえた音に、彼女が、ん?と思っていると、その低い声は聞こえた。
「気が早いな、君は……本当に」
「? 気が早い……?」
「もし、そんな奴が現れたら、1度、俺の前に連れてきてくれ、この俺自ら査定してやる」
「さてい……? 知らない言葉、何それ」
「レディに相応しい男か見極めてやるということだ。
君に相応しければ普通に認める。が、もし、到底認められないような男だったら、この神自らの手で、その場で海の藻屑に転生させてやろう」
「……もくず? てんせー?」
賢い彼女でもその意味がよく分からず、彼女は首を傾げたが、こんなに優しいルキウスのこと、彼なら悪いようにしないだろうと思い、彼を信頼することにして、まぁいっかと彼女は微笑む。
すると。
「まぁ、そんな決定事項はさておき……」
「ルキウス?」
「……レディ、どうやら時間切れのようだ」
彼の言葉に彼女はハッとなる。
……部屋の外から微かに自分を呼ぶ声がした。
そして、その声は段々と近づいてきて……。
「失礼します。ルキウスお義兄様。こちらにウチの子は……」
背の高い扉をノックして、その人は入ってきた。
やってきたその人を見るなり、彼女は声を上げた。
「ママ!」
彼の膝から降りて、彼女はその人に駆け寄る。
ギュッとその人に抱き着けば、その人は彼女を抱き上げた。
「勝手にこんな所まで来て! パパはずっと貴女を探していたのよ?」
「だって、パパが、ルクス様より聖女の許嫁がかっこいいって言わないと魔法教えないって言うんだもん!」
「は?
はぁ………。
どういう理由よ! 意味不明だわ!
全く、相変わらずね……」
その人は頭を抱え、腕の中の愛娘を見る。
そこへ彼が歩いてきた。
「お前も反対か? 彼女に魔法を習わせるのは」
「ルキウスお義兄様……」
「あの馬鹿のことはいっそ無視しろ。
せっかくこれだけ意欲があるんだ。家庭教師を雇ったらどうだ? 」
その言葉に彼女はぱあっと目を輝かせる。彼女の為に説得してくれるらしい。
しかし、彼女の母であるその人は渋っていた。
「えぇ……でも、ルキウスお義兄様、危ない気が……まだ小さいし……」
「俺も兄弟もこのくらいの年齢の時には普通に魔法を使っていた。教え方次第だろ。良い家庭教師を見つけることだ。
……あ、兄弟に選ばせるなよ。あの親バカのことだ。全員、漏れなく落とすだろうから」
「…………」
その人は不安そうに彼女を見る。まだ背の小さい彼女が心配でたまらないようだった。
だから、彼女はその人に満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、ママ! 絶対に無茶なことはしないわ! ルクス様みたいなかっこいい魔法使いになりたいだけなの! 頑張るから、お願い!」
安心させつつ全力でお願いし、彼女はその人を見つめる。
懸命にお願いすれば……その人は諦めたように息を吐いた。
「分かったわ……」
「!」
「但し、まずは1ヶ月だけよ。1ヶ月毎日頑張れて、怪我をしなかったら、本格的に魔法を勉強していいわ」
「ママ……!」
感極まって彼女はその人を抱きしめる。ぎゅうぎゅうに抱きしめれば、その人は嬉しそうに笑った。
「喜んでくれて良かったわ」
「ありがとう! 大好き!」
「でも、ちゃんと頑張るのよ? 分かったわね?」
「うん!」
そう言いながら、彼女はその人の見えないところで、彼にウインクする。それに彼は頷き返した。
「じゃあ、今からパパを説得しに行きましょうか。
ルキウスお義兄様、ありがとうございました」
「ありがとう! ルキウス! ミルクティー美味しかったわ」
「え? ミルクティーまでご馳走になったの!? ルキウスお義兄様、本当にありがとうございました!」
頻りに感謝するその人に、彼は「気にするな」と言って、彼女に笑いかけた。
「また気兼ねなく来い。次は菓子も用意しよう」
菓子。その一言に彼女はぱあっと目を輝かせ、頷いた。
彼と別れ、彼女はその人と手を繋いで長い廊下を歩いていた。
そんな時、ふと彼女は疑問に思った。
「そういえば、ママ」
「なぁに?」
「ルキウスとママって、きょうだいなの?」
その人がお義兄様と呼んでいることから、彼女はきっと2人は兄弟なのだろうと勝手に思っていたが、ふと気になって彼女は改めて聞いてみた。
すると、その人は笑顔で答えてくれた。
「えぇ、そうよ。血は繋がっていないけれど」
「ふーん……」
血は繋がっていないが兄弟。そう聞いて彼女はふと気づいた。
彼がルクスの話だと言っていた話が、もし彼の話だったら……その場合、彼が幸せにしたかった2人とは、彼女のママとパパのことではないかと。
「ママ、今、幸せ?」
その人を見上げて、そう聞いてみる。
突然の問いに、その人は驚いたが、直ぐに笑顔を浮かべて答えた。
「…………えぇ、幸せよ」
その一言には、彼女でも分かるほど重みがあった。その人がどれほど今の幸せを噛み締めているか理解して、思わず、彼女は目を見開く。
すると、彼女を抱き上げ、その人は彼女を抱きしめて言った。
「だって、貴女がいるもの。ルーナ」
ルーナ。
それが彼女の名前。
母譲りの顔立ちと、父譲りの黒髪、そして、夜空に浮かぶ黄色い満月をそのまま嵌め込んだような瞳の色をした女の子は、2人が長年待ち望んでいた待望の子どもであり、彼女こそが2人の幸せの象徴そのものだった。
頬を寄せくっつけ合う。そのこそばゆさに、彼女は幸せそうに笑った。
「ママ……」
「ねぇ、ルーナ。突然どうしてそんなこと聞いてきたの?」
「あ、えっと……ただ知りたかっただけ」
「ふふっ、そう」
その人は微笑み、不意に聞いてきた。
「じゃあ、貴女は幸せ?」
その問いに彼女は笑顔になった。そんなの答えは一つだった。
「もちろんよ、ママ!
ルーナは世界一幸せよ!」
彼女はそう言ってその人を抱きしめた。
「大好きなママがいるでしょ! 結構暑苦しくて嫌になるけど、パパもいるでしょ! フェイリーもいるし、メイドさん達もいる、シルヴァやお馬さん達もいる!
それでいて、大好きなルキウスもいるから!
私、世界一幸せ!」
その人の腕の中で彼女はつい頬が緩んでしまう。
無意識的ながら、自分以上に幸せな人間などいないと彼女は自信を持っていた。そのぐらい彼女は彼女を取り囲む人々に愛され、彼女もまた自分を大切にしてくれる人々を愛していた。
だからこそ。
「ママ、私、頑張るわ!」
「ルーナ?」
「私、魔法使いになって色んな人を助ける! とってもかっこいいヒーローになる! 」
彼女の夢は膨らんでいく。
純粋な愛から生まれた彼女は、太陽の光を受けて輝く月と同じように、誰かからもらった愛の分だけ、困っている見ず知らずの人に愛を贈ろうとしていた。
その人はそんな彼女が……自分の娘が眩しく見えた。
「良い夢ね……」
正に希望の光。
彼女を抱きしめ、その人が目を閉じると、彼女のその声が聞こえた。
「ママ、応援してて!
絶対よ、ずっと、ずっと、応援してね!」
「えぇ、もちろんよ、ルーナ」
2人は歩き出す、長い長い廊下を。
けれど、退屈とも虚無とも無縁だった。
そこにはありふれた、しかし、満ち足りた幸せしかなく、廊下の先には希望しかなかった。




